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マグロとウナギの教え

2014-10-04 10:07:53 | 日記
 マグロとウナギ、ともに絶滅の恐れがあるとして、世界最大の消費国である日本は漁獲の自主規制に踏み出しました。日本の食文化を危惧して様々な声もあるようですが、どこか視点がずれているように感じています。その最もたる声の一つが、養殖に対する期待です。近畿大学のマグロの養殖に味を占めてか、柳の下の泥鰌ならぬ、鰻よ! ということなのでしょうが、ことわざ通り、もう一匹狙うのは強欲というものです。周知のとおり、私たちが口にするウナギのほとんどは養殖です。その養殖の稚魚であるシラスそのものが絶滅危惧種の仲間入りとなっているのです。
 
 そもそも、マグロの養殖も、養鶏、養豚、養牛と同じであって、稚魚が成魚になって我々がマグロの刺身を口にするまでには、イワシを初めとした大量の小魚をマグロに与えなければならないのです。鶏1キログラム生産するのに約2キログラム、豚が4キログラム、牛が10キログラムの穀物飼料を要するのと同じです。日本の人口減少とは裏腹に、途上国の人口増加によって世界の食糧需給が逼迫している中、成金国の贅沢の為に、一次食糧となる穀物や小魚を無駄に浪費していることにこそ、もっと目を向けるべきなのです。イスラム諸国で起きている内乱も、根底には貧困と飢餓が絡んでいるからです。ローマ法王も危惧するように、第三次世界大戦の恐れなしとしない世情なのです。

 前回取り上げた、宇沢弘文さんの「社会的費用」を敷衍するならば、マグロ養殖の「社会的費用」は必ず「つけ」として回ってくるはずです。生態系の破壊は言わずもがな、現実にマグロもウナギも食べ過ぎて絶滅寸前に至っています。加えて高度成長下の肉食の浸透によって、成人病ならぬ、子供たちにも広がっている「生活習慣病」=慢性病の増大による国民医療費の拡大が、経済的にも不合理であることを如実に証明しています。
 
 食も含めて大量消費の時代は終わったのです。右や左を問わず、政治家やマスコミ、そして一部の我田引水型の学者の言に惑わされて、いつまでも経済成長に夢を託すのは終わりにしたいものです。「つけ」を払わされるのはいつの時代も庶民です。不況、失業、家庭崩壊、犯罪、戦争、そして老後破産、いずれも真っ先に犠牲となるのは下々であってお上ではありません。
 柳の下の泥鰌はいない、ことになっていますが、実はいたとしても捕ってはいけない、古人の戒めだったように思います。古人重ねて曰く、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」、「糖衣飽食」に未来なし。

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