農文館2

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盆の迎え火

2014-08-12 09:49:47 | 日記
 少し早かったけれど、昨日盆の迎え火をしました。迎え火で焚く材料のことを「おがら」と言いますが、その「おがら」もところによって違うようです。長年在住していた東京周辺では乾燥した麻の茎が使われていましたが、こちら信州では松の皮や、樺の皮が使われているようです。又ところによっては麦わらなど色々あるようです。昨日使ったのは樺の皮でした。ところ変われば品変わる、どういうこともないことなのですが、やはり気にかかることがあったので一言取り上げることにしました。

 樺の皮を求めた先は松本のスーパーでした。店先には二種類の樺の皮がおいてありました。その二種類とは国産と中国産の別でした。食糧のみならず木材が輸入品に席巻されているのは周知の事実ですが、お盆の「おがら」の材料まで外国産が入ってきているとは、こちらに移住してきて十数年気がつきませんでした。大學での講義の延長として、このブログでもかつて取り上げたことがあるように思いますが、ここ数十年来、集中豪雨の度に起きる中山間地での土砂災害の最大の原因が、山林地域の荒廃にある、ということを指摘してきました。市場原理主義という新興宗教が一世を風靡してからというもの、汚い、きつい、厳しい、とされる農林漁業は、非効率、非合理的、非生産的と言う汚名を着せられ、それこそ崖を転がり落ちるようにその存在価値を無くして行きました。農業従事者同様、林業に携わる働き手を失った山々は荒れ放題、長い歴史の中で人間の手が入ってこそ最小限の被害に食い止めることが出来た自然の猛威も、今やなすがままのようにすら見えます。

 ちなみに中国産の樺の皮の値段は、国産の数分の一でした。「安ければ」何でも、と言う国民の声を反映して、そのうちスーパーなどからも、国産の「おがら」は消えていってしまうのかもしれません。しかしその一方水源地の涵養の森である山々は一層荒廃し、その付けもさらに膨らむことになるのでしょう。財政の赤字が止まることを知らない現状下、国民医療費ととともにコンクリートによる国土保全事業費もままならぬことになることもこれまた自明です。

 お盆は、先祖、故人を偲ぶとともに、今ある己を顧みて亡き先達者たちに感謝する日々でもあります。せめて迎え火、送り火ぐらいは国産のもので行いたいものです。伝統行事をそれこそ「伝統的」に護ることにこそ、「日本の活路」があることを、いみじくも樺の皮が教えてくれていたように思います。第一に外国産の樺の皮を炊いても、故人は煙の違う迎え火に戸惑い彷徨い、我が家に辿り着けないかもしれません。合掌

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