1週間近く前になるが、大阪桜宮高校の入試中止が決定され、それを受けて、桜宮高校の在校生が記者会見に臨んだ。
その映像を、私は、偶々目にした。
ホンの2,3分の映像だったが、それを見た私の心は、激しく波立った。
体罰をなくさなければいけないのは、分かり切ったことだ。
だけど、だからと言って、大阪市長が問題をすり替えて、強権的・強圧的に、桜宮高校体育科の「入試中止」を迫っていることに、私はかねてより強
い憤りを感じていた。
でも教育委員会は、市長の圧力に屈して、結局「入試中止」を決定した。
入試中止が決定された日の朝には、市長は桜宮高校に直接行って、生徒集会で自分の考えを生徒たちに訴えた。(と言うより、「押し付けようとした」
と言う方が適切だと、私は思うが‥)
もちろん生徒たちはそれに納得できず、自分たちの気持ちを市長に訴えた。
でもそれは聞き入れられず、夕方の「入試中止」の決定に、至ったのだ。
記者会見に臨んだ生徒たちの声は、悲痛なものだった。
自分たちの気持ちを全く聞き入れてもらえなかった悔しさ。
今までの自分たちの努力を、土足で踏みにじられたような屈辱。
その生徒たちの声を聞きながら、私は、今度ばかりは黙っていられなかった。
この生徒たちを、なんとかして励ましたい!
そして、生徒たちをこんな苦しみに陥れた、市長たちの卑劣で「暴力的」なやり方に抗議したい!
いろいろ考えたが、結局ある新聞社に投稿することにした。
私にとって、初めての投稿だ。
そして今日、私の投稿した文章が、紙上に掲載された。
でも私は、その文章を読んで、顔が赤らむ思いがした。
紙上に載った自分の文章を改めて読んでみて、文章の拙さゆえに、自分の思いが十分表現されていないことが分かったから。
投稿から掲載まで1週間ちかい日数があったことで、編集者によって、かなり添削されたこともあったが、それは言い訳にならないと思う。
でも、私は今回投書するに至ったことで、今、“ささやかな決意”をしている。
仕事を辞めてから今まで、私は、自分の生き方を、こう考えていた。
自分の心を豊かにして、自身を幸せにし、人に迷惑を掛けずに生きることが、私にできる最善の道だと。
でも、それだけでいいんだろうか?
やっぱり、少しは社会とかかわって生きるべきではないだろうか?
もちろん大きな事はできないのは分かっている。
でも、少しでも社会の在り方に関心を持ち、自分の意見を(選挙だけではなく)表明していくべきではないか?
そのためには、「活字拒否症」を克服して、新聞も読み、少しずつでも勉強していかなければいけないと思う。
私ができる事など微々たるものに過ぎないけれど、私は今、私たち庶民が安心して暮らせる世の中を作るために、自分のできる事を、少しずつでも
やっていきたいと思っている。
もちろん、疲れて倒れてしまわない程度に‥だけど。