“ガタロさん”は、広島生まれの63歳。
30年来、広島にある“基町(もとまち)ショッピングセンター”の清掃員をされている。
月給、15万円。
“ガタロ”という名まえは、故郷を流れる三篠(みささ)川(旧・太田川)に住む“河童”にちなんだ名まえ。
広島では、“河童”のことを、“河太郎”とも“ガタロウ”とも言う。
河童の“ガタロウ”は、川の中で、今も自由に暮らしているのだそうだ。
その“ガタロウ”からとって、“ガタロ”と名乗ることにされたのだという。
ガタロさんが清掃の仕事をされている“基町ショッピングセンター”は、戦争で家を失った人のために建てられた“基町高層アパート”に併設して、造ら
れた。
下の写真は、基町高層アパートの夜景と、基町ショッピングセンターの一部。
基町ショッピングセンターは、店舗数が100を超え、通路の全長が400メートルもある、かなり大きな商店街だ。
東西南北の4ヶ所に、4つのトイレがあり、便器の数は50にものぼる。
その通路とトイレ全てを、ガタロさんは一人で掃除される。 朝の4時から。
幼い頃から絵を描くことが好きだったガタロさんは、ショッピングセンターの掃除道具をしまう4畳半ほどの部屋を、絵を描く場所として使う許可を得
た。
こうして、彼の念願の“アトリエ”ができた。
とは言え、掃除道具と同居の、お世辞にもキレイとは言えない“アトリエ”だけど。
そして彼が使われる画材は、使われなくなった色鉛筆やコピー用紙などなのだ。
アトリエを持った彼が先ず最初に描かれたのが、“掃除道具”。
彼は“棒ズリ”や“モップ”を見ながら、しみじみと言われる。
「僕が時にいら立って、ガーッと使うてもね、黙って立っとるでしょ。」
「何も文句を言わんわけですよ、最も汚い所をきれいにする仕事やっとって。」
普段は、誰にもかえりみられることのない掃除道具。
だけど彼らは、文句も言わずに、やるべきことをきちんとやって、静かにそこに存在している。
その姿・たたずまいに、ガタロさんの心は強く惹きつけられた。
ガタロさんにとって、掃除道具は、自分の仲間であり、分身であると同時に、尊敬すべき存在でもあったのだ。。
ガタロさんは2年前、“素描集『清掃の具』”を、自費出版された。
彼の人生初の画集だ。
(その中から、4点の作品を次に載せます)
『大五郎』とは、彼が清掃道具を入れて運ぶために、自分で作った「愛車」につけられた名まえ。今は3代目が活躍している。
最後の「歯の抜けた棒ズリとホース」は、掃除道具としての役目を終えようとしている棒ズリの姿を、描いたもの。
「最後に、残った毛を散髪してきれいにしてから、土に埋めようと思っとります。」
その彼の言葉は、私の胸に、熱く重く響いた。
物を単なる物として見るのではなく、一つの命ある存在物として見、大事にされるガタロさん。
その心の有り様を、私はとても素晴らしいと思う。
そしてそれは、消費生活に慣れきった私への、強い警告でもあった。
ガタロさんは、1949年、広島の生まれ。
被爆者であるお父さんは、原爆について多くを語られないまま、60歳で亡くなられた。
ガタロさんがお父さんの口から聞いたのは、「地球の終わりじゃ思うた‥。」の一言だけだったとか。
ガタロさんは被爆の現実に向き合うべく、掃除道具と並行して、原爆ドームを描き続けていかれる。
4~500枚は描いたであろうと言われる原爆ドームの絵は、しかし何故か、そのほとんどが気に入らなくて、処分してしまわれたのだそうだ。
残ったものの中から、2枚だけ。
10年前、ガタロさんの前に一人のホームレスの男性・S氏が現れ、自分を描いてくれと頼まれた。
ガタロさんは、彼の真意をはかりかねながらも、とりあえず彼を描いた。
しかし、何枚か描いていくうちに、ガタロさんは、彼を描かなければいけないと、考えられるようになってきた。
口数の少ないS氏だったが、彼を描くうちに、彼の存在そのものに、ガタロさんは強く惹きつけられていく。
「彼が生きとるんじゃということも、僕が描きゃあ、残るいうんかね…。」
ガタロさんは、S氏が確かにこの世に存在しているということを、S氏の生の尊厳みたいなものを、自分の絵で表そうとされたのかもしれない。
しかし、S氏は5年前に、突然姿を消した。
今でもガタロさんは、彼のことを忘れられないでいる。
ガタロさんは、清掃の仕事を始められたあと、40歳で、7歳年下の悦子さんと、結婚された。
今は一人息子が独立し、決して広くない借家で、悦子さんと共働き(悦子さんは看護師さん)の生活を送られている。
ガタロさんはもちろんだが、妻の悦子さんも、実に実にスバラシイ人だ。
下の写真(右)は、悦子さんが、忙しい仕事の合間をぬって、借家の周りで、丹精込めて育てられている薔薇。
彼女は言われる。
「私は、主人の、掃除道具を描いた絵が好き!」と。
そして、
「主人は体も弱くて、世の中の真ん中を大手を振って歩くような人じゃないけど、“表現する”ということができて、本当によかったと思う。
一日でも長く生きて、描けるもの・描きたいものを描いてくれたらいいと思う。」 とも。
彼女もまた、人間にとって何が大切なのかを、よく分かっている人なのだ。
本当に素晴らしいご夫婦だ!
私は広島・基町を訪ねて、ガタロさんご夫妻に一度会ってみたくなったりもした。
今はどーなのかな。