のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

法要で大田へ (2)“湯元旅館”~法要~帰途

2014-11-11 14:07:26 | 日記

 私たちが今回泊まった『湯元旅館』は、三瓶温泉の源泉に最も近い、鄙びた温泉宿だった。

 かつては、この一帯にも沢山の温泉宿があったらしいが、交通の便がイマイチだったりして、湯元旅館以外は廃業を余儀なくされたようだ。

 湯元旅館は、きれいさや便利さから言うと、お世辞にも良しとは言い難かったが、温泉はとっても気持ちがよかった。

 それに、私が何より感動したのは、料理の美味しさだ!

 野菜はすべて自家製の無農薬だと、おかみさんが胸を張って言われるだけあって、どの野菜もそれが本来持っている濃厚な生命力に溢れた味で、とて

も美味しかった。 (私はこんな味の濃い野菜は、久しく食べていないような気がした。)

 味付けも薄味なのに旨みに溢れていて、どの料理も、本当に美味しかった!

 下は夕食の一部。(沢山あり過ぎて写しきれなかったし、一見平凡な料理に見えるけれど‥。)

                    

 

 翌日の朝食も又、とても美味だった。

 私は長いこと卵かけご飯などというものを食したことがなかったが、お米(ご飯)と卵(烏骨鶏)の美味しさにつられて、久しぶりに卵かけご飯なるものを

食べた。 (メッチャ美味しかった!)

 お味噌汁もお漬物もホウレンソウのおひたしも焼いた鯵も‥どれもどれも、生きた素材の味がした。

 こんな食事をしていると、体の中からキレイに健康になり、生きる力が湧いてくるような気がした。

 

 この宿で、私がもう一つ感じたのは、自然の中に身を置くことの素晴らしさだ。

 都会のマンション暮らしで私は、いつも人工的な音や光に取り巻かれて生きている。

 この日、夜中の3時くらいに目覚めた私は、久しぶりに静けさの中で降る雨の音を聞いた。

 (マンションは気密性が高く、少々の雨の音など、全く聞こえない。)

 昔ながらの日本布団に包まれて、雨の音を聞きながら横たわっているのは、とても幸せな気分だった。

 

 


 

 

 

 今回の法要には、上から2番目の姉が体調イマイチで参加できなかったが、あとの姉妹は、その旦那・(一部の)子どもも含めて可能なかぎり参列した。

 姉妹の中で一番下の私が、もう70歳。

 なので、姉たちは、当然のことながら、更に高齢だ。

 実年齢と健康とは、必ずしも一致しないけれど、もしかしたらこのように集まれるのは、今回が最後になるかも知れないという思いが、誰の心にもあっ

た。

 その中でも今一番心配なのが、お義姉さんの健康状態だ。

 足が悪く、歩くのも苦労されている。

 その上、耳が悪いので、意志の疎通がとても困難だ。

 そんな状態の中で、今回の法要を一人で準備されたのは、さぞかし大変なことだったろうと、遅まきながら思い、これからのことが心配になった。

 義姉には二人の娘がいるけれど、二人とも東京暮らし。

 今は、大好きな猫2匹(ゴン太と茶太郎)といっしょに暮らされている。

 お義姉さんは、いつも、この2匹を見送ってやらないと死ねない、とおっしゃっている。

 どうか、2匹の猫とお義姉さんの平穏な生活が、できるだけ長く続きますように!(私には、祈ることしかできない)

 

 (そのゴン太と茶太郎は、私たちが行ったとき、お義姉さんのベッドで、仲良く並んで横たわっていた。 でも、茶太郎の方は、何処へともなく姿を隠してし

  まった。なので、ゴン太くんの写真だけ載せておきます。 ゴン太くん、どうかお義姉さんをヨロシクね。) 

                           

 

 


 

 

 

 法要が終わった後は、場所を変えて、皆で食事した。

 そして、姉夫婦と私は、その日のうちに大阪に帰るべく、2時過ぎには席を辞した。

 (同じくその日のうちに東京に帰る姪一人といっしょに。)

 私たちはタクシーで大田市駅に向かった。

 

 次は、駅のホームから撮った写真。

 その日は雨がずっと降り続いていて、周りは靄がかかったように霞んでいた。

                    

                    

    

 

 飛行機で東京に帰る姪とは出雲で別れ、私たち3人は、行きと同じコースで帰阪した。

                    

                            

 

                    


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