赤い服を着せられ跪かされて、人質となった後藤健二さんがテレビ画面に映し出された。
そして、「イスラム国」から命の期限を宣告された。
その事実を知った全世界の人々は、強い衝撃を受けた。
そして、多くの人々が、『I am KENNJI』のプラカードを掲げて、後藤さんの解放を要求し祈った。
後藤さんは、私利私欲を捨てて紛争地にとび込み、戦争やテロによって傷ついた人々に寄り添い、その悲惨な姿を世界に発信し続けてこられた。
彼は、このような悲しい現実が一刻も早く無くなることを願い、可能な限りの援助をされてもきた。
そんな彼の姿を知る人々は、彼を慕い、彼を頼り、そして深い尊敬の念を彼に抱いてきた。
『I am KENNJI』は、そんな人々の中から生まれてきた言葉だ。
しかし、『I am KENNJI』のプラカードを掲げた(プラカードこそ掲げなかったけれど、思いは同じだった)多くの人々の祈りもむなしく、後藤さんは殺害
されてしまった。
私は、「イスラム国」の残虐非道に激しい怒りを感じると同時に、後藤さんを救う手だてが本当に無かったのかを考えている。
以前のブログにも書いたが、私は、この間の日本政府の対応に、少なからず疑問を感じている。
なかんずく安倍首相が、日本人2人の拘束を知りながら、わざわざ中東で「イスラム国」を刺激するような演説を行ったことは、何とも解せない。
2人の日本人人質の映像が流されたのが、その安倍首相の演説を受けてのことだったからだ。
聞くところによると、今回の安倍首相の中東行きには、外務省も反対したという。
その反対を押し切って中東に赴き、あの演説をした安倍首相の意図は、一体何だったのか!?
そして後藤さんの殺害が分かった後は、「イスラム国」を激しくののしり(それはもっともだが)、彼らを必ず罰するといきまき、すぐに自衛隊の後方支
援を持ち出してきた。
まるで、今回のことを予見していたかのような対応だ。
安倍首相は、今回のことを利用して、平和憲法をなし崩しにし、武力行使に道を開こうとしているようにも見える。
そいう安倍首相の姿勢に強い危機感を感じている折りも折り、あるテレビが“私たちはこれから『We are not ABE』を、世界に向かって発信してい
かなければいけない”と、言っているのを聞いた。
「そうだ、その通り!」 私は心の中で叫んだ。
『We are not ABE』は、決して安倍首相に対する個人攻撃ではない。
私たち日本国民が、今回安倍首相が打ち出している力による制裁の方向とは違う道を模索しようとしていることを、世界に向けて発信するための
キャッチコピーだ。
それは、後藤さんが考え実行されてきた道でもある。
私は今回のことが起こるまで、後藤さんのことを知らないできた。
なので、『I am KENNJI』は、何とも口幅ったくて言えなかった。
でも、『We are not ABE』は、声を大にして言えるし、言わなければならないのではないかと、思っている。
日本がかつてのように、二度と戦争をする国にならないために!