のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

二つの≪棚田≫

2012-01-27 20:26:13 | 日記

 最近2つのテレビ番組で、前後して、美しい棚田の風景を見る機会を得ました。

 

  一つは、「世界一番紀行」というシリーズの中の≪世界で一番大きな棚田‥中国雲南≫という番組です。

                 

 「世界一番紀行」は、“世界で一番~~”の場所を、俳優やタレントが訪ねて、そこで暮らす人たちと1週間くらい生活を共にし、そこで生きていく“大

変さや喜び”などを、身をもって体験し伝える番組です。

 今回の訪問者は、俳優の大高洋夫(おおたか・ひろお)さんでした。

                    

 (彼は、今まで何回かこのシリーズに登場されていて、その素朴で人間味あふれる人柄に、私は好感をもっています。)

 

 中国・雲南省の棚田は、ハニ族という少数民族によって、1300年にわたって耕され維持されてきたものだそうです。

 その広さは、なんと、東京ドームの1万倍

 一番下と一番上の棚田との高低差は、500メートルあり、一番上の棚田は、1800メートルの高さに達するという!

 カメラでも、その全体像がとらえることができないくらい、大規模なのです。

                 

 したがって、上の写真も、雲南の棚田の、ホンの一部にすぎません。

 

 棚田の美しさもさることながら、私がこの番組を見て心を動かされた(ブログを書こうとまで思った)のは、棚田を耕すハニ族の人たちの、棚田に対す

る熱い思いでした。

 そして、その思いは、あとで触れる、奥能登の人たちにも、全く共通するものでした

 

 大高さんが雲南の棚田を訪れたのは、稲の刈り取りの時期。

 彼は、呂さんという、親子2世代で棚田を耕す家族の家に身を寄せて、お米の収穫からその後の棚田の修復の作業を手伝います。

 狭い棚田のこと‥稲の刈り取りは、もちろん鎌一つでするのですから、大変な作業です。

 

 でも、それにも増して大変なのは、翌年に備えての、棚田の修復作業です。

 まず呂さん父子は、あぜの側面を鍬で削り、側面に生えた雑草を全て削りとります。

 そうしなければ、草の根がはびこって、あぜを崩してしまうんだそうです。

             

                   

 呂さんの家族が持っている棚田のあぜの長さは、全部で1km、二人掛かりで1日中やっても、1週間かかるとのこと。

 

 そして次は、削ったあぜに田んぼの泥を厚く塗り、それを上からシッカリたたいて、あぜを頑丈なものに仕上げます。

                    

 これも又、尋常ではない労力を要する仕事です。

 

 そしてその後が、田んぼの代掻き。もちろんこれも、鍬1丁で。

                     

 それが全て終わると、雲南では、田んぼに水を引いて、来年の田植えの時期を待つのです。

 その間、呂さん父子は、出稼ぎに行かれるとのことでした。

 

 修復作業が終わった田んぼで、大高さんが呂さんに尋ねます。

 「毎年毎年、こんなにキツイ作業を同じように繰り返して、嫌になったりしないのですか?」と。

 すると、呂さんのお父さんは、胸を張って答えられました。

 「毎年毎年、同じ事を繰り返すことこそが大事なのです!そうすることで、祖先から受け継いだ棚田と生活を守ることができるのですから」と。

               

 また、大高さんの、「この美しい棚田の風景が、呂さんの目にはどんなふうに映るのですか?」という質問に対しては、呂さんの息子さんが、「僕にとっ

て棚田の風景は、美しいというより、愛おしいものとして映ります!」と、これまた、誇り高く答えられました。

              

 呂さん父子の、すがすがしい笑顔と瞳は、私には、とってもまぶしく感じられました。

 

 

 さて次は、「新日本風土記」の≪奥能登≫から。

             

                          

 

 奥能登(輪島市・白米=しろよね)にも、“千枚田”と呼ばれる、美しい棚田の風景があります。

                     

                     

 平地のないこの地に、棚田がつくり始められたのは、江戸時代の初めとか。

 苦労に苦労を重ねて田んぼを拓き、明治の中頃には、8000枚の田んぼができたそうですが、今はそのうちの、1004枚が残っています。

 棚田だけの専業農家は、今では3人だけになってしまったため、ここでは、1口2万円でオーナーを募り、棚田の維持に当てているのだそうです。

 番組では、専業農家の一人、鵜嶋智さんが、春になって田植えの準備作業をされている様子を追っていました。

                 

                        

 鍬1丁で、あぜを修復し、田んぼを耕される姿は、時期こそ違うけれど、雲南の呂さん父子の姿と、ピッタリ重なります。

 棚田に対する愛情も誇りも、呂さん父子と全く同じでした!

 

 田植えの季節。

 千枚田には、オーナーとなった人たちが家族連れでやって来て、慣れない田植えの作業を、農家の人と一緒に、楽しみながらやっておられました。

                       

 

 そして、秋になって稲の収穫が終わった田んぼには、大勢のボランティアの人たちによって蝋燭が灯され、千枚田は一夜ながら、光に満たされる

のだそうです。

                      

 

 ≪雲南の、世界で一番大きい棚田≫と、≪奥能登の千枚田≫。

 そのどちらも、

 恵まれない条件のもとで、

 遠い昔から、血のにじむような努力を重ねて、

 切り拓かれ、受け継がれてきたのだ!

 

 まさに、働く人間が築き上げた、大切な財産なのだと、強く思いました。