ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・1

2013-01-20 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward
  デリー中央第一刑務所第二収監区
 
  1994年12月19日(月曜日)
約7週間、デリー中央第4刑務所アシアナでスタッフ中毒の治療を受け90%ぐらい回復したぼくはデリー中央第1刑務所第2収監区Cバラックに移送された。驚いた事にワード・ゲートの中に入ったぼくを迎えてくれたのは今回ぼくの逮捕に重要な役割を果したであろうと確信していたスリランカ人ショッカンだった。奴もスタッフ所持でここに収監されていた。フィリップス、キシトーに会った。5ヶ月振りの再会だがまさかこんな場所で会うとは思わなかった。奴は自分の置かれている状況に全く無頓着でぼくの手を握り
「トミーやっと来たか」
と言って手を叩いて大声で笑いやがった。愉快な奴だ、深刻に考えていたぼくは拍子抜けした。メインバザールで良く見た顔が数名いた。
 デリー警察はドラッグの取締りを強化しジャンキー、プッシャーの一斉検挙を行っていた。デリーは非常に危険な都市に変っていた。世界中で安心して吸える場所は次々と消えていった。カトマンズは吸えるが良いドラックがない。自分だけは安全だと考えていたがそんな甘い状況ではない。ポリの目はいつもどこからでもターゲットを捜している。インド人、タイ人それにジャンキーも幾らかのお金と自己保身の為に密告者になる。今は少しでも早くここを出ることだ。一緒にいるスリランカ人やフィリップスも
「お前のケースはドント・ウォーリ早く出られるよ」
と言ってくれる。大使館は
「あなたのケースはミニマムで十年の刑に相当します」と言う。
その違いが今はまだはっきりと理解できない。彼等は来年の4月頃迄には出所可能だと言った。
「2ラークも払えばノー・プロブレム」
そんな事が本当に出来るのか、信じられない。約6ケ月ぐらいで出所出来るなんて夢のような話しではないか。一度は首を吊ろうしたがインド人に見つかり未遂に終った。10年の刑とヘビーなシックはぼくから生きる望みの全てを奪っていた。だが今は違う少しだが生きてここを出る望みを持ち始めた。儚い夢かも知れないがとにかく早く出る事に全力を尽くす。早く、早く出て自由になりたい。鉄格子に囲まれ禁止された規則が沢山ある生活が毎日続いている。不自由も慣れてしまえばそれ程感じなくなる。今日まで色んな人々、インド人、スリランカ人それにアフリカ人に助けられ毎日退屈だが何とか生きている。
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