ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・2

2013-01-21 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward
 ノートとボールペンの支給について申請書を出していたが今日ジャクソンが持って来てくれた。アシアナからここ第2監房区に来て10日程が経っていた。今は健康になり体重も少し増えたと思う。しかし「塀の中の懲りない」人々の1人となったぼくはここでもう毎日ビリやスタッフを吸っている。アシアナから移って来たその夜ショッカンが用意していたスタッフを何の躊躇いもなくぼくは吸った。約7週間振りのスタッフは身体の細胞に満ち快感に包まれた。
 危ない橋を渡っている。昨日、トイレで粉を入れているのをチクられ危なく捕まるところだった。塀の中の刑の加算は致命的だ。24時間ロックの懲戒房が待っている。考えが軽過ぎる。ここを出るまでは慎重な行動をしなければならない、ここを出る事が何より最重要課題なのだから。彼等の話しを信じれば後3~4カ月で出られる。来年インドの猛暑が始まる前にカトマンズだ、そうなりたい。ネパールの友人達も待っているだろう。カトマンズで店を始める話しも学校も全てそのままストップしてしまっている。5月に戻る事が出来れば来年の学校の手続きも出来る。また1年生からやり直しになるがしかたない。
 夕方6時、鉄格子の施錠後ハプニングがあった。1人のイラン人が釈放になった。長い刑期だったのかもしれない、かなりの者が彼を祝福して肩を抱き頬にキスし喜びを現していた。1人ハッピーな人間がいてその他大勢の収監者にとって心穏やかではない。スリランカ人グループの所へ毎日食事に来ていたアミーゴ、いつもは朗らかなスペイン人だ。イラン人の出所を祝って抱擁を交わした後、急に落ち込んでしまった。スペイン人42歳のアミーゴ、クリスマスを前に子供や妻それに祖国のクリスマスの風景などが浮かんで来たのだろうか、涙を見せまいとバラックの奥トイレへ歩く彼の背中が震えていた。彼も収監されて1年は過ぎていた。ここから出たい気持ちを抑え切れなかったのだろう、それはぼくも同じだ。
コメント
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