銀ステ根なし草

銀のステッキ旅行・スタッフの雑記帳

三陸ツアーにて その③ 消費される物語

2014年04月22日 | のほほん同志Aの日常
今朝、新聞を読みながら――。

びりりっ

思わずそのページを破り、かばんに突っ込んでいました。

朝日新聞に寄せられた、高村薫さんの「オピニオン」です。

オピニオンのタイトルは「消費される物語」でした。

小保方さんや佐村河内さんの例をあげるまでもなく、
日々、作られては崩されていく物語。
そのあまりにも早いスパン。

「心地よい物語を作っては消費して、
 飽きたら捨ててまた新しい物語を作る。」

その繰り返しに社会の進歩はない、と警鐘を鳴らす高村さん。

その次にきた言葉に私は思わず、
あぁ、と深くうなずいていました。

「阪神と東日本の大震災は、
 『喪失と癒し』といった小さな物語として消費されてしまいがちですが、
 本来、『自然と文明』という大きな物語の方向に開かれるいい機会でした。
 (中略)
 が、結局、『復興』という美名を冠した
 あまたの物語にのみ込まれてしまったのです」

そうです。
3月に訪ねた三陸海岸で、ずっとかすかに胸のなかにあったのが、
この「物語化」への違和感でした。

陸前高田の一本松。
南三陸町の防災庁舎からの命がけの放送。
大多数の児童が亡くなった石巻の大川小学校。

それらは訪問前からすでに、テレビ等の映像を通して
訪ねる私たちの側に、「物語」として共有されているようでした。

今も被災地に残る防災庁舎や一本松。
すでに知っている「物語」のシンボルを巡り、
手をあわせたり、カメラを向けたりしながら思いました。

たくさんの生死のなかから生まれてきた物語。
テレビを通して拡散したのち、いったいどうなるのだろう、と。


一方で、高村さんはこうも言います。

「人間の社会があるところには必ず物語が誕生します」
「物語は人間が生きていくうえで必要なものなのです」

思い出すのが、釜石の町で初めて知った釜石小学校の校歌です。
(歌詞は写真をご覧ください)

いきいき生きる…で始まるこの校歌は、井上ひさしさんの作詞で、
犠牲者を出さなかった「釜石小学校の奇跡」としてメディアでも紹介されたようでしたから
この「物語」をご存じの方も多いのでしょう。

釜石の駅前でこの石碑を見つけ、
「釜石」や「三陸」といった地名のひとつも出てこない
小学校の校歌としてはかなり風変りな歌詞を読んだとき、
なぜかオーストラリアの巨岩ウルルで見た壁画が思い出されました。

絵物語のような形をとりながら、
水や薬草のありかや、動物の居場所を描いた壁画の数々。
文字をもたない先住民アボリジニが、
茫漠とした赤土の大地を代々生きぬくために描いたものです。

次を生きる者のために伝え、残したいこと。

それが、物語の担うひとつの大きな役割なのだとすれば、
アボリジニの壁画や釜石小学校の校歌には、それを感じます。

そして、作り手が込めた「伝えたい」の思いの多寡こそが
物語の寿命を決めるのだろうと、
日々、生まれては消えていくあまたの「物語」を前に思います。


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