靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

チック症について、その四 治ったようです

2013-05-12 01:05:05 | 子育てノート
おかげさまで、治ったようです。頻度と動作の大きさが徐々に緩和しているなと感じながら見守っていたのですが、ここ一週間ほどで症状が消えました。症状が出てから二ヶ月と少し。

この二ヶ月、次男との関係の見直し、環境の調整、取り組んできました。今何が大切かの優先順位を整理しつつ。

医者が「こうすれば治る」と簡単に言えるものでもないというのもよく分かります。親の歩いてきた道、その子の性質体質、親と子の相性、そう簡単に変えることができない環境や状況などもあります。様々な要素が絡み合い、根も深く、「こうすればいい!」と一筋縄にいくものでもありません。今はバランスが崩れチックという症状になって表れているけれど、成長と共に、子供の側で環境に順応するバランスを手に入れるもの、だから何もする必要がないというのも分かります。

それでも、家の場合は振り返り見直してみると、改善しどころが満載。この次男のチックという症状が、様々なことを改善するきっかけになってくれた、そう感じています。


私自身、最もパワフルに効果があったと思うのが:


1.こうしてあなたと共にいることを喜んでいる楽しんでいると子供に感じさせること。そんな雰囲気で包み込む、そんな雰囲気で場を満たす。

小さな身体が動きを繰り返すのを見るのは、胸が裂けるほど辛いもの。それでも心配顔や考え込み顔は横に置き、一緒にたくさん笑い、たくさん遊び、共にいることを喜んでいる、こうして一緒にいられることを楽しんでいるのだと感じさせる。

「愛情を注ぐ」「そのままを受け入れる」、そういったことも、そうしなければ、とか、それが尊いことだから、といった姿勢よりも、そうすることを自分が心の底から楽しんでいるという状態が、最上にパワフルなのだと。それには日々子育ての原点に立ち返り(「プロローグ、命が宿る」)、子育ての喜びを瞬間瞬間に思い出していく(「喜びを見出す、その一その二」)。それはトレーニングを必要とすることでもあり、今回のことは、そんな鍛錬の機会にもなりました。


2.そしてそんな姿勢で子供に接しつつ、できること(「チック症について、その三」)に確実着実に取り組んでいく。

症状改善にとってよかったと思われるこういった姿勢は、これからの子育てでも基本としていきたいです。そして将来また何か問題が起こったとしても、その都度また精一杯取り組んでいきたい、そう思っています。



「チック症について その一、四」は、我が家のケースではこういうことが助けになったという「チック症状改善へ向けての一つの取り組み」です。症状が出て以来、「とにかく情報が欲しい」、そう切に思い、ネットで検索して見つける様々な情報に励まされたように、少しでも参考になることがあればと願っています。

これからも、取り組みを続けていきます。長い目でみた内面の強さを、培っていけるよう。

心配してくださった方々に、心よりの感謝をこめて。

チックに取り組む全ての方々に、エールを送りつつ。

次男の日常風景:

こんな体育館のようなところでプレーデート。

自転車やボールやスクーターなどの持ち込みも可。13年間の育児生活、ここがあること知らなかった! ここ冬に子供達遊ばせるのに最高。教えてくれた友人に感謝。

友人娘ちゃんのこのペダル無し二輪車。

バランス感覚を鍛え、補助輪期間を経ずとも二輪自転車に乗れるようになるとも。四歳娘ちゃん速い速い!

スナックタイム!



昨日は海の見えるトレールへ。

よいしょよいしょ。


あ、海!


海沿いを行く。


おはぎおいし~。


小枝集めて焚き火ごっこ。


気持ち~午後。



家にいるときは作るの大好き。
一緒に作ったもの、色々増えていきます。

子供言葉、信じているのになんで?

2013-05-12 01:04:14 | 子供言葉
夕食前テーブルをセットしながら突然、


次女九歳: パパはゴッド(神)を信じているのに、何でクリスチャンじゃないの?


75パーセント近くがクリスチャンとされる合衆国、周りのお友達にもクリスチャンの子が多い。


私: 色々な宗教があって、ジーザス、アッラー、ハシェム、ブッダ、八百万の神、ヒンドゥーの神々、シャーマニズムなど、それぞれの宗教で、何らかの「人間を超えた至高存在」が信じられていてね。どの宗教も本来それらの「至高存在」に近づこうという試みであって、世界中にその道筋はいくつもあるのよ。

パパもママもね、「ゴッド」というのは無限で、言葉にはおさまりきらないと感じていてね。この形ある世界で「「至高存在」」に近づこうとするには、宗教などの具体的な道が必要なのだけれど、「ゴッド」や「至高存在」と呼ばれるものの上にも、限りない存在が続いているように感じているのよ。ジーザスもアッラーもその「無限」の一つの形。だからパパとママの信じる「ゴッド」は、ジーザスでもあり、ハシェムでもあり、アッラーでもあり、アマテラスでもあり、ブッダでもあるといえるのかもしれないね。自分にしっくりとくるもの、縁のあるものから学ぶといいね。

パパはクリスチャンとして育って、ママは仏教や神道の雰囲気の中で育って、こうして故郷を離れて異国の地で暮らしている。異国の地に異人として暮らすパパとママにとって、あなたたちに内面的なことを伝えるためには、周りの雰囲気といったものだけではなかなか足りないと感じていてね。ディアスポラ(離散)を経て生き残ってきたユダヤ教には、どこにいてもアクセスできる何千年もの間書き記されてきた資料が豊富で、だからユダヤ教にも学ばせてもらっているのよ。

ママの言ってること分かるかな。


次女:何となく。

どういうときに嘘を言っていい?

2013-05-12 01:03:40 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

どういうときに嘘(untruth)をついていいか?について

日本には「嘘も方便」という言葉があってね、自身にどういった意図があるのか、それを見極めるのが大切と。”Love Your Neighbor” by Zelig Pliskinを参考に、それぞれの項目について話し合いました。

1. 争う二人の間にピースを築くため。「相手はしたことを後悔しているよ」と伝えるなど。to tell an untruth to make peace between two people who are having a dispute, or to save someone from harm. For example, you may tell someone that a person with whom he has quarreled now regrets his behavior, even if it is not true -- if you have no other option. Your words should be as close to the truth as possible.

2.ホストが快く誰でも受け入れもてなす人ならば、良心的でなく不徳な者へ「あなたも歓待されるだろう」と伝えない。If your host was very hospitable, you should not tell an unscrupulous person about the hospitality extended, since he might take advantage of the host.

3.誰かに聞かれその答えがうわさを生み出すような情報ならば、真実を伝えるべきでない。 When someone asks you for information that if you answered truthfully would constitute rechilus, (talebearing -- needlessly telling someone what another person said or did something against him) -- you should tell him a lie rather than relate that information.

4.自分に注目が集まらないよう、謙虚さからなら、真実を伝えなくてもいい。You are permitted to tell an untruth out of humility to not draw attention to yourself.
この項目については、日本と米国の違いについての話に。日本では褒められると「全然そうじゃないんですよ、できないんですよ、本当に馬鹿で」などと答えるけれど、こちらでは「そうなんですよ」と肯定する場合が多く、その上に「自分がいかにできるか」をアピールし始めることも。子供たちもその違いをよく感じるよう。長男曰く「いや、そうでもないんです」と言う方が、「いやいや本当に!だってあれもだしこれもだし」と余計に褒められることになるとも。過度に卑下することなく、過度に自慢することなく、状況に応じて。エゴを太らせない、それに最も注意しつつ。本心から自分はまだまだだと思いつつ「ありがとうございます」という気持ちでいるといいねと。日本では親が子供に対して、「この子は本当に出来が悪くて馬鹿で」というようなことを、昔はよく子供の前でも言ったものだけれど、最近はあまり見られなくなった、というようなことも。

5.騙そうとする相手に対して。You are permitted to deceive someone who is trying to deceive you in order to save yourself from being cheated. However, you may not deceive someone to revenge a past wrong he perpetrated upon you.

6.褒めることが相手にとって良いと思われるなら、その褒め言葉に必ずしも値しなくとも。You are allowed to praise something that someone has acquired, though it may not deserve that praise.

7.命を救うためなら。 You may lie to save someone's life.

8.師が生徒に学習に集中させるための罪のない偽りならいい。A teacher may say an incorrect statement to see if his students are paying attention or remember their learning

9.慣用句やよく用いられる言い回しは嘘ではない。「何千回も言ったじゃない!」など。It is not lying to make a statement that everyone knows is an exaggeration, i.e.. "I told you a thousand times."

プロローグ、命が宿る

2013-05-11 23:59:23 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
「ユア」

 年明けのお祝いムードから街が日常のリズムを取り戻す一月の終わり、それまで三年間取り組んだネイティブ・アラスカンの仮面についての修士論文を大学オフィスに提出し、その足で産婦人科へと向かいました。下腹部に鈍い痛みが続き、わずかな不整出血、その上めまいも感じていたためです。論文の追い込みで随分と寝不足が続いていたから身体に負担をかけてしまったのだろう、無理をすると以前もこんな症状が出たことがあったし、一度しっかり検査をしてみよう、そう思っていました。

「おめでとうございます。六週目ですよ」

 口ひげを生やしどこかのカフェのマスターにも見える産婦人科医の明るい声を、不思議な気持ちで聞きました。目の前のスクリーンには小さな影が映っています。こんなに小さくても頭、胴体、手、足、人の形をしているなんて。私の内に、私ではないもう一つの命が育っている・・・。

 ふと、「ユア」を思い出しました。アラスカ南西部に暮らす「ユピック」の人々は、かつて森羅万象あらゆるものに、「ユア」という「精霊 (spirit)」が宿ると信じていました。三年の間、寝ても冷めても向かい続けたユピックの仮面には、「ユア」が表されたものがあります。目に見える形を超え、どんな姿にもなるとされた「ユア」。仮面に刻まれた「ユア」は、動物や人の身体の中に、人の形として刻まれています。下腹部とエコーの画面とを交互に見比べながら、まるで産婦人科のドアを叩く前日まで毎日向き合っていた「ユア」のイメージが、現実となったような気持ちでした。

病院を出ると、辺りはオレンジ色に染まっていました。こうして夕焼けを眺めていたって、もう一人じゃないんだな、初めての感覚にとまどいながらも、胸の奥底から温かい気持ちがこみ上げてきます。新しい命。赤ちゃんを抱く自分。それまでの生活で、描いたことも無い自分の姿であるはずなのに、なぜだか少し懐かしいような気持ちになります。

一年もすれば赤ちゃんは歩き始め、五年もすれば学校へ行くようになり、子供から大人へと移り変わる中で旅をし、そして愛する人にめぐり合い、再び命が宿り。線路沿いの道を一人歩きながら、はるか先の風景と、それまで自分が歩んできた道を重ね合わせていました。

この新しい命がまた新しい命を宿す頃には、私も老い、そしていつか私もこの世からいなくなる。それでも命というのは、こうして一人一人の身体を超え、「ユア」のように永遠に続いていくのかもしれない。西の空に傾く太陽を見ながら、そんなことを思っていました。


ネイティブ・アラスカン「父」の言葉

 夫とは、当時アラスカと日本とを行き来する別居暮らしを続けていて、論文が無事通り卒業したら、夫の暮らすアラスカへ移住しようと予定していました。それでも、まさかもう一人の家族というプレゼントがついてくるとは思いもしませんでした。
 
桜の木の下で卒業を祝い、梅雨雲が空を覆い、その雲の合間から青空が見え始める頃、合衆国政府からビザが下り、妊娠七ヶ月でアラスカに渡りました。ひっそりとしたアンカレッジ空港に、一人降り立つ私を、妊娠が分かって以来始めて会う夫が迎えてくれました。大きなお腹を前に、とまどいと決意が入り混じった少年のような表情を覚えています。

 こうして日本から遠く離れた異国の地で、小さなワンベッドルームにほとんど家具も無く、フライパン一つで何もかも調理するといった、まるでままごとのような暮らしが始まりました。窓の外のチュガッチ山脈が、私達夫婦と、もうすぐ生まれる赤ちゃんを、暖かく見守ってくれているように頼もしく見えたものです。

 臨月に入り、ある日重いお腹を抱え、ダウンタウンを夫と歩いていたときのことです。ネイティブ・アラスカンの「父」に偶然出会いました。「父」というのは、私が村々を旅していたときお世話になった家の父なのですが、私はその家で彼らの亡くなった親族の名前をもらい、彼らの「家族」として迎え入れられたのです。

 ユピックの人々の間には、亡くなった親族の名前を、生きている人々に再び授けるという慣習があります。あの家の三男のアザラシの食べ方は、三年前に亡くなった叔父のジェフにそっくりだ、あそこの家の次女は、十年前に他界した祖母のメアリーが編んだバスケットを小さな頃から大切にしている、そんな様子から、「ジェフ」や「メアリー」という名前を、生まれた時から持っている名前に加えていくのです。ユピックの人々は、私はジェームスであり、ジェフでもあり、クリスでもある、そんなようにいくつもの名前を持っています。 

 村を訪ね、ユピックの人々と暮らした夏、私の歩き方やお茶ばかり飲んでいる様子から、私の内には彼らの親族が二人宿っていると、告げられました。そしてシャーマンの家系に育ったというその「父」に儀礼をしていただき、二つの名前を授かり、私は彼らの家族の一人となったのでした。

 飛行機に乗って一時間ほどのところにある村にいるはずのその「父」が、突然前方からこちらに向かって歩いてきます。驚いて駆け寄る私に、「ネイティブの集会に参加しに来たんだよ」と、「父」はいつもの穏やかな表情で言いました。そして妊娠したことをその時初めて告げた「親不孝な娘」を、その大きな手で抱きしめると、私の下腹部を指し示し、こう言いました。

「This person needs you, you need this person.
This person needs this world, this world needs this person.
That is the reason why this life is here.

この子にはあなたが必要 あなたにはこの子が必要
この子にはこの世界が必要 この世界はこの子を必要としている
だからこうして命が宿ったんだよ」


私の目をまっすぐ見つめる「父」の目は、私を突き抜けはるか遠くを見ているようでした。この「父」の言葉が、その後の私の子育て生活で、どれほど支えになってきたか分かりません。五人の子供を追い掛け回し一日を終えぐったり疲れてしまっても、ふとこの言葉を思い出す度に、また明日から頑張ろうと思えたものです。

地球上に何十億といる人々、ほとんどが一生会うということがありません。その中でこうして縁あり、親と子という関係で共にいる。親と子互いに必要だったからこそ、こうして生まれて来るのだと「父」 は言います。そしてこの子が今のこの世界に生まれることが必要だったように、この世界もこの子の存在を必要としている、この世界に必要とされない命など一つもない。「父」のメッセージは、私の心の奥深いところで、強く響き続けています。
 

シャチに「ユア」の仮面      


カモメに「ユア」の仮面


近況整理、こうして元素周期表もサイクルに加わる

2013-05-05 05:44:02 | 今週の整理
1.五月!新緑!と窓の外を見れば、ゆっ、雪! 今日は朝から雪が降ってる!しかもちらちら舞うというよりこんこんと降り積もるといった感じ。今週は、雨やみぞれやと寒い日が続きました。

2.週半ば水曜から三女が咳ごほごほ始め、そこへ木曜から次女も加わり、それでも金曜日はとても楽しみにしていた行事(ロッククライミングにピザ作りにTシャツ染め)に何としてでも出席するのだと二人とも意地で回復させ登校、と思いきや、二人学校へ行かず家にいると大はしゃぎでくっついて遊んでいた次男がごほごほと始め、昨夜は熱。まあこれだけ一日中咳の二人に挟まれ遊んでいる次男にうつらない方が不思議ではありますが。学校でもかなり流行っているようで、昨日ボランティアに出かけると、三女のクラスの仲良しなお友達が、「私○○(三女)と同じ咳!げほげほ」と嬉しそうに。 
 夜中、何度飲み水にトイレに鼻水にくしゃみに咳にと起きたことか、寝てるんだか起きてるんだか境が朦朧、夢心地な今日この頃です。(笑) 次男も咳に熱の状態でも元気に遊んでおり、残り一同も元気、このまま風邪、尻すぼみとなりますように

3.週の初めに長男、元素周期表クイズ。1から18までの元素記号、元素名、プロトン、エレクトロン、ニュートロンの数、価電子の数(一番外側の殻に入っている電子の数)を覚えてくるというもの。18以上覚えたものはエキストラポイントをもらえるとのこと。クイズがあること随分前から分かっていたはずなのに、あれやこれやと重なり前夜、しかも夜八時頃から取りかかる長男・・・。108覚えていくんだと必死で机に向かう。いつもは10時には寝ているのだけれど、この日は真夜中まですると。いつも子供達と寝てしまう私も付き合い、起きていることに。
 プロトンとエレクトロンは同じ数、ニュートロンは原子の重さからプロトン/エレクトロンの数を引いた数、ふ~ん、昔こんなこと覚えたっけ?と思う隣で、beryllium, germaniumとチャレンジングなスペリング、4、8、24と小数点を四捨五入した原子の重さを必死で覚えていく長男。それでも週末の疲れや部活やらでへっとへと、しかも翌日は他にもテスト、授業後は陸上競技会もあり(夜7時過ぎまで!)、結局半分ほど何とか覚えた11時頃、今日はもう寝ようということに。もっと早くから見ておけば全部覚えられたのにと反省しきり、悔しさかみ締めベッドへ。
 翌日のクイズ、1-18以上は10元素だけエキストラポイント、しかも「重さ」(あのややこしい数字)は覚える必要がなかったとのこと。友人間で行き渡っていた噂、多くの子のためのこれからの準備に大いに役立ったでしょう。(笑) 最大限のエキストラポイントをゲットできたと喜びつつも、余裕をもって取り掛かるという今回の反省を今後に生かそうと。
 必死で覚える隣で、 今までこうして記憶問題に取り組んだ時のことを懐かしく思い出して。数字、フォニックス、毎週のスペリング、九九、アメリカ合衆国州名州都名、SATのボキャブラリー、語源ルートクイズなどなど。下の子達に順番にその時期がめぐってくるたび、上の子達との様子も思い出しながら。これからこの元素周期表も、そのサイクルに加わるんだなあと思いつつ。

4.長女が「マスダービー」というアンカレッジ市内の公立小学校五・六年生対抗の算数競技会に出ることに。ここ二ヶ月ほど週二日授業後練習してきた。学年から三人選ばれることになっているのだけれど、一度出たことがあったり、学年よりあまり先を行く子は出ないことになっているようで、六年生の中でも算数のトップの子達は選ばれない。ということで長女に回ってきた参加権、算数に親しむ機会を与えられ、ありがたいことです。競技会は来週!

5.長男陸上、リレー、三段跳び、走り幅跳びで学年上位三位に入り、市内中学対抗競技会に出ることに。来週再来週と授業後大会が続きます。リレーは強い子と組んでいるため自動的に、三段跳び走り幅跳びは、ダントツで強い子がいて、その後に続く二位三位を争うことになっていたよう。念願の入賞、とても嬉しいよう。来週からも悔いなく最大限の力を発揮できるよう! 毎日友人からいただいた自転車型エキソサイズマシーンで汗びっしょりになって鍛えているようです。

6.夏休み予定決まりつつあります。マラソン(家族)に水泳(長男長女三女)にダンス(長女次女)にサッカー(次女)に。長男長女は数学のコースをオンラインでとり、SATなどの試験対策を少しずつ。長男は救援活動NPO合宿一週間(スタッフとしてオーガナイズする側に)と二週間(インディアナ州にて)。長女と共に、ロボティックスやオールタナティブ・エナジーのワークショップにも二週間。キャンプもところどころに入れて。あと三週間怒涛の行事続き、気がつけば雪空も夏空へと移り変わり夏休み!となっているでしょう。

今日明日は誕生会にプレーデート続き、長男はNPO活動で航空ショーのボランティアなどです。明日は雪やむかな。行事の合間を縫って散歩に出かけたいです!

それでは皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!


日常風景:

マラソンの翌日はプール!


うっひょ~、とジャンプ!


私も何度か25メートル行き来しても、ふらふらしないようになってきました。(笑)

帰り道に陣地取りゲーム。

次男も参加して兄弟姉妹でゲームができるように。

楽しかったねえ。


次男Cちゃんとプレーデート。

クラフトして。

飼い犬が何であんなに吼えてるんだろうと、玄関に行ってみると、

あ、あれ!


なぜか鴨達が憩いの時。それほど近くに池とかあるわけではないのですが。初めてです。

しばらく玄関の前に鴨。

とにかく作るの大好きな僕、

一日中何か作って組み立ててしてます。

次女三女お休み日には、寒天レモン作り。

お腹にやさしいしね。

木曜日夜は、アンカレッジ中の六年生がスタジアムに集まり、バンド・オーケストラ演奏会!

市内中の六年生と同じメロディーリズムを一斉に奏でて、いい体験でした。

次女学校で、サーモンパイ作り!

以前友人達と作ったものはポテトでしたが、これはお米入り。これもいけました。

子供言葉、学び続ける

2013-05-05 05:43:25 | 子供言葉
昨夜は次女九歳の仮面作りプロジェクト展示会。ダウンタウンのギャラリーにて。


地元アーティストによる展示の片隅に、


子供たちの仮面。


社会性・感情面の発達を促すためのカウンセラーが担当する授業でのプロジェクト。
まずは自分が大切にしたい「心の習慣」を四つ選び。顔型を取り、固めた仮面に、その四つの習慣を象徴する飾り付けしていくというもの。(こちらにより詳しく

次女が選んだのは:
・的確さに励む (Striving for accuracy)
・創造、想像、発明 (Creating, imagining, innovating)
・過去の知識を新しい状況に応用する (Applying past kwowledge to new situation)
・学び続ける (Remaining open to continuous learning)

テープ・メジャー(的確さに励む)、レゴ(創造・想像・発明)、時計(過去の知識を新しい状況に応用する)、鍵(学び続ける:学びのドアを開け続けるという象徴)などを象徴するモノとして仮面につけていました。




その横には詩が:


いつもオープンに

見直し 情報を伝え 創造的に

私は開きっぱなしの辞書のようなもの

それは新しい言葉を読むようなもの

読み方を教えてくれた母 綴り方を教えてくれた母を思い

私は時計に手を伸ばす 決して止まることなく動き続ける時計

アインシュタインはこう言った

「学ぶことをじゃまする唯一のものは教育」と



最後のアインシュタインの引用にがつんとやられました。

「なんとなくそう思った」ということらしく、9歳児にこの言葉の意味がどれほど分かっているのか疑問ですが。

アインシュタインが学校制度の中では落ちこぼれ扱いだったこと、試験やテストでも不合格点を何度も取っていたこと。「こんな簡単な公式も知らないのですか?!」と聞かれ「どこにでも書いてあるようなことを何でいちいち覚えなきゃならないのだね」と答えたというようなエピソードを少し話し。

この引用を見た長男も「It is true」と。13歳はもう意味も結構分かりつつ。

学び続けていくこと、考えていきたいです。

子育てノート、習慣にするということ

2013-05-05 05:43:10 | 子育てノート
 子育てをしていてつくづく思うことの一つは、子供は「思い」や「観念」だけでは育たないということです。「育児にはこれが大切!」 そういった情報に触れ、その場はそういうものかな、明日から私も頑張ってみようと思うものの、さて実際の生活で何をどうしたらいいのだろう、そう途方に暮れてしまうことが、私自身何度あったでしょうか。そうしていつしか、その情報に触れた時に感じた「よしっ!」というインスピレーションも薄れ、それまでの日常に元通りです。

 子供は、思いや言葉だけでなく、実際の行動や行為を繰り返し体験することで育ちます。食事の後は、お皿とカップを流し台に持っていく、靴を脱いだら揃える、引き出しを開けたら閉める、帰宅したらジャケットをハンガーにかける、そう何度も何度も実際に繰り返す内に、実際にそうするようになっていくのです。そうして繰り返す内に、やがて「あれをしなければ」「これをしなければ」とその都度思い出すことがなくとも、日常的に身体が自然に動くようになっていきます。それが「習慣」です。

 朝目が覚め右側からベッドを降り、両頬から顔を洗い始め、フルーツとトーストを食べ、歯を左の奥歯から磨き、毎日同じところに置いてある鍵を手に取り、車窓から外を眺めながらその日の予定を思い、車から降りる時は親子で目を合わせハグし、元気に手を振り校舎に向かって歩いて行き。私達の生活は、日々こうしてオートパイロットに身体が勝手にする様々な行為=「習慣」によって、成り立っています。

 そして習慣の中には、その人の生き方に大きく関わるものもあります。毎日右側からベッドを降りようが、左側からベッドを降りようが、両頬から顔を洗おうが、額から洗おうが、そう大して違いはありませんが、それでも物事に対する姿勢や考え方などの「習慣」は、その人の人生に大きな影響を与えると言えるでしょう。

 グラスに半分のミルクがあり、「ああ半分しかない!」と思うか、「まだ半分もある!」と思うか、それとも「あと半分をどうやったら増やせるかな」、「たくさん増やして自分だけでなく周りの人にも分けられるかな」と考えられるか。同じ物事を前にしたとしても、「考え方」によって、次にどう動いていくかにも随分と違いが出てきます。そしてもし、その「考え方」が「習慣」になっているとするならば、その人の生き方そのものも随分と変わってくるでしょう。

 一度習慣になったものは、なかなか変えるのが難しいものです。特にまだ知識や体験の積み重ねがほとんどない真っ白な状態の子供時代から、繰り返し繰り返し身につけたものを大きくなってから変えるのは、そう簡単ではありません。左の奥歯からでなく、右の奥歯から歯を磨き始めることを一ヶ月も繰り返せば、初めは居心地が悪くとも、次第に右の奥歯から磨くことが自然になっていく、そんなようにはいかないでしょう。

 ですから、小さな頃から、その子の将来を支えるような習慣を身につけさせていきたいです。何度も繰り返し習慣となった行為は、その子を支える柱となります。

 どんな行為を繰り返すのか、その子の根幹にどんな柱が必要なのか、見つめていきたいと思っています。



メモ:

・まずは周りの大人がモデルとして示す。体現に勝る教授法はない。共に暮らす大人が習慣にしてしまう。


・習慣とは、脳科学的には、その考え方や行為を繰り返すことで脳に回路ができ、それをすることがさほど難しくなくなるということ。何かを変えたいのならば、新しい行為を何度も繰り返し、脳に溝を作り何度もなぞるイメージで。すると古い回路より、より使われる回路のほうがしっくりくるようになっていく。

暗示やアファーメーションなどもそんな効果があるのでしょう。自分はこうだと繰り返し自分に語りかけることで、自分は~だという回路ができ、それがやがてしっくりくるようになる。それを行為として繰り返せばまた確実なものに。


・考えを植え付けるのなら 行為を手に入れ
行為を植え付けるのなら 習慣を手に入れ
習慣を植え付けるのなら 人格を手に入れ
人格を植えつけるのなら 運命を手に入れる
“Sow a thought, and you reap an act;
Sow an act, and you reap a habit;
Sow a habit, and you reap a character;
Sow a character, and you reap a destiny.”
                  By Samuel Smiles






Heart Runマラソン!

2013-05-05 05:42:00 | 出来事や雑感や (行事)
今年はレースから歩行者まで参加者約五千人!
(Heart Run:心臓病患者の支援ファンドレイジングや、健康や心臓疾患への関心喚起のためのイベント)

Heart Runと書かれたお揃いのT-シャツ着込んで。


まずは長男五キロレース。まだかな、お兄ちゃん。


あ、お兄ちゃん!

中央人物後ろに半分見えている黒いフーディー。

去年の夏より五分速く走れたよう。冬までにいくつかマラソン大会に参加して、タイムを縮めていきたいそう。同じ学校の友人が、大人含めた千五百人近くのレース参加者中上位10位入賞! 長男よりも小柄な子、大きな大人に混じって全速力でゴールする様子、感動でした。

レース終わり、ふ~。


さて、次は私達! この人の群れ!


タイムは出ませんが、それでもやる気満々の長女と次女は二人で先へ。


私はやはり走る気満々の三女と。

次男は、長男をNPO活動に送るため途中で抜ける夫と。

さて皆完走完歩できるか!? 

スタート!


走る!というより、わっせわっせと群れになって移動という感じ。(笑)

こんなスコティッシュな楽隊の音色も聞きながら。五キロ折り返し地点では日本太鼓の演奏もあったらしいです。


三女走り続け。人の合間を縫ってあっちにこっちに。


えっ、ちょっと待った、えっ、どこ~?と追いかけつつ、


見渡しが良くなってきたと思いきや、ぴゅ~と全速力、えええええ、追いつけな~い!


息を切らし心臓あたりを押さえながらよろよろな私。これで心臓に何かあったらHeart runどころじゃありません。

で、そのまま、みごと、見失いました・・・。

まあポリスもたくさんいるし、これだけ人の目もあるんだから大丈夫だろうと呑気に歩いていたのですが、途中で抜ける夫から次男を受け取った際、「ここは日本じゃないのだし六歳児一人はよくない」と彼。一気にサーと青ざめ。三歳次男をストローラーに乗せ、走って歩き走って歩き。途中折り返して道路の反対側を走ってくる長女次女に三女がいないか見ておいてと告げ、夫も長男の集合時間ぎりぎりまで探すも見当たらず。そして三キロ終え歓声に包まれゴールするも、先を行っているはずの三女の姿はどこにもなし。ポリスに捜索願いを出すべきかと思い始めていたところ、たったたったとゴールに向かって走ってくる三女の姿が。

ゴールでメダルを貰い嬉しそうな三女。

ああ、もう、ちょっとちょっとおどこにいたのお~、としどろもどろで取り乱す母を前に、きょとん。ママは後ろを追いかけてきてると思っていたそう。

どうも三キロコースから五キロコースに混じりこんでしまい、結局五キロ走って歩いて走って歩いてとしていたようで。途中「もうこのまま永遠にレースが続くのかしらと思った」と。(笑)

ホント無事でほっとしました。これからは一人では走らないと話し合い。次回は、私とパートナーでなく、長女と次女組に三女を混ぜます。(笑) 



会場では、パンや飲み物の支給や、様々なブースがあり。

人工呼吸の練習ブースも。

長女・次女・三女・次男、皆体験。


そして、スタートゴール地点から駐車場までも行き帰りで二キロほどあったのじゃないかと。

あ、やっと車が見えてきた!とまた走る長女次女。早朝からマラソンだと張り切り続けていた三女、この頃は流石に疲れきって能面のように表情がなくなってました。車ですぐに眠りに落ち。

といって子供たちはちょっと寝たらもう回復。私は翌日のプールとで、その後三日程あちらこちら筋肉痛でかなり変な動きをしてました。

子供たち大はしゃぎ、親にとってはスリル満点、体力的にもかなりチャレンジングな週末でした。(笑)

少し別の器によそい、思い出すこと

2013-05-05 05:41:07 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)


様々な人々の助けや条件の重なりによってこうしていられると思い出すこと:

「いただきます!」と始める前に、少し食事を別の器によそい、仏壇なり神棚なりに供える、そんな風習が日本にもあったもの。ユダヤの聖典にも、様々な祝い事に用いられる「ハラ」というパンを、生地の段階でどれほどの量食べないよう分けておくかといった決まりが細かく記載されている。

自分で作って、全部自分で食べる、自分で稼いだのだから、全部自分のもの。そうではなく、様々な人々(祖先や周りの人々や)の助けや、様々な条件の重なり(今こうしていられない可能性はいくらだってあるもの)、そうした自分をはるかに超えた存在によって、こうしていただけるのだということを思い出すために。

家には仏壇も神棚もありませんが、食事の度に思い出し、「いただきます」「ごちそうさま」に心を込められるよう。


・ルールもその子のためを思ってこそ:

帰宅時間を守らなかった男の子が、学校から帰ってからの外出を両親から一週間禁止させられる。同じように遅く帰った友人は、何ら咎められなかったのになんて不公平なんだろうと姉に愚痴を言う。何ら口を出さないのと、罰を与えるのと、どちらがその子のことを思っているか、姉とそんな話しをする内に、両親は自分のことを思ってくれるからこそ、こうして叱ってくれたのだと思い直す。

そんな話(aish.comより)を九歳次女が読み、皆に説明。

子育てノート、同じテンションとフォーカスで

2013-05-05 05:40:54 | 子育てノート
「何てことするの!」「ちょっと何やってんの!」

咎め、非難し、叱る時は、その時取り組んでいたこと全てを中断し、かなりのテンションとフォーカスで迫るもの。

それでもついつい、認め、褒め、賞賛するときは、何かをする片手間に、「そう」「よくできたね」「おめでとう~」と声をかけて終わりとなってしまうことが。

できてるときや、よいことをしたときや、何かを成し遂げたときにも、同じようなテンションとフォーカスで向き合ってみる。

手を休め、中断して立ち止まり、祝い、共に喜ぶ。

子育てノート、今のその子にフォーカス

2013-05-05 05:40:04 | 子育てノート
過ぎ去ったネガティブな面を何度も掘り起こして突きつけない:

 頑固でわがままだった二歳児の時のこと、一年前玩具をシェアできず独り占めしていたこと、冬に買ったばかりの手袋をなくしたこと、三ヶ月前グレープジュースをカーペットにこぼしたこと、一ヶ月前ミルクを冷蔵庫にしまわなかったこと、先週大事な宿題を忘れたこと、三日前クラリネットを学校に置き忘れてきたこと、昨日簡単なスペルを間違えたこと。

何度も口に出さない。

今良くなっているその子にフォーカス。