靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、雪に囲まれ夏休みへ!

2013-05-19 09:13:58 | 今週の整理
1.5月下旬、しとしと雨降りの肌寒い日が続いているなと思ったらば、昨日から雪。五月の初めにちらほらと雪が降るということは何度が体験しましたが、下旬にこれだけ積もるほど、というのはもうすぐ14年になるアンカレッジ暮らしでも初めてのこと。何でも1963年の5月9日というのが、ここ100年程の記録中、最も遅く1インチ以上の雪が降った日なのだそう。合衆国中でもここ10年の間今年が1番寒い4月だったよう。

あたり一面真っ白な雪に囲まれ、夏休み前の最終週に突入です。


2.少し暖かくなったかと思ったら、一気に寒くなったせいか、体調を崩している大人子供も多いよう。次女のクラスでも週の初めから9人が風邪で欠席。週の半ばから、次女もその仲間入りに。熱が続き咳。クラスでも背は中くらいなのに体重は一番軽かったりと、日本では普通なのでしょうが、こちらではかなり痩せている分類に入るようで、本人ももう少し肉をつけたいなあと言っているのですが、ここ三日ほどほとんど食欲もなく、ますます痩せて。赤い頬でフーフー言いながら「ママ~そばにいて~」「マッサージして~」と。そうは言っても他四人はいつもの調子で飛び回り、夫も出張。なかなか次女のペースでゆっくり付き添ってやることもできず。熱もピークの時よりは少し下がったまま続いているので、今朝病院へ連れて行きます。

 と、今病院から帰ってきたのですが、熱が下がらないし咳だし気管支炎か肺炎かとも思ったのですが、肺はさっぱりきれいで、風邪とのこと。「こんなに熱が続くの初めてです」と言うと、今流行っている風邪は三日~四日熱が出て咳というタイプ、毎日何人も同じ症状の子が来ますと。アンカレッジにお住まいの方、お気をつけて!


3.週の半ばには、友人のお別れ会。三年程したらまた戻ってくる予定なので、しばしのお別れ。今まで本当にお世話になった方。いつも優しく暖かく支えてくださり。三年後に会えるのを今から楽しみに。三年なんて、本当にすぐだよね、そう言い合い、そう信じながら。


4.長男、先週末はマラソン大会とNPO活動、週の始まりから期末テストにプレゼンテーションに、半ばにはアンカレッジから三時間のスワードへのフィールドトリップ(朝八時から夜八時まで)、陸上大会が終わったので木曜からスイムチームに戻り、金曜は学校でのトライアスロン大会。その足で友人の誕生会ピザ屋&映画館&スリープオーバー、今朝は一足早く友人宅に迎えに行き、そのままNPO活動で今夜はタルキートナ(アンカレッジから二時間ほど)で雪中キャンプ、学年最終週の来週も期末テスト続き、週末はまた別の友人の誕生会スリープオーバー。もう、こう予定を書き留めるだけでも目が回りそうです。


5.夫の母親の、博士課程卒業式が先週。電話で嬉しそうに話す義母。19歳で夫を生み、離婚、再婚、南米から移民し、内職や掃除の仕事などをしながら30代で大学に行き始め、こうして60歳で教育学博士に。おめでとうございます!


6.疲れてくると出てくる思考パターンの一つが、「私の身体がもう一つ二つあったら、もっとしてやれるんだけどなあ」というもの。もっと一人一人のニーズに合った対応もでき、やる気のタイミングをうまくつかみ伸ばすこともでき。
思い返せば、赤ちゃんがいたときなんかは、上の子たちも本当にほったらかしで。今何とかできるだけと向き合いつつも、やっぱり物理的に無理もあり、ぼろぼろと掬い切れないこともたくさん。

何を今優先するのか、その選択を常に迫られます。その選択の一つ一つが、先に続く道を築く、そう背筋を伸ばして。


7.「もっとしてやれるんだけどなあ」と言うと、子供のことだけを考えているようですが、自分自身のしたいこととの葛藤も心の奥の中心に常にあります。私自身、時間があれば何をしたいかと問われるのなら、もう今は「書きたい」ということしか浮かばないのですが、その自分の根幹にある欲求と子供に注ぐ時間とエネルギー、その葛藤は常に。

 長い目で見た枠組みに置き直し整理してみること、そうすることが、葛藤にがんじがらめになる私を引き剥がし、前へと進ませてくれます。今日明日一週間後数ヵ月後一年先二年先五年後十年後三十年後五十年後百年後、もっと広い枠組みで見ていくこと。

 今しかできないこと、今大切なこと、それはこうして一日一日と成長し、いずれ社会に出て行く子供達が、その人自身となっていく手伝いをすること。書く方は、子供の成長とともに、少しずつより時間も取れるようになるだろう。赤子の一歩、亀の歩みに見えようとも、少しずつ少しずつ。早朝の二時間を大切に。一生、目に見える形でとらえられることはないかもしれないけれど、このささやかなる一歩ずつの歩みが、地面下で何かの根を育てる肥料のかけらになることもあるかもしれないと。

 毎日こつこつと続けられるということ、子供たちがこんな至らないケアでも、ハッピーに育ってくれているということ、感謝を込めて。



雪の中、夜は長女のダンスショー。今日明日とで長女の飛行機プロジェクト仕上げ。来週は毎日誰か彼かの行事です。金曜日からは夏休み!

皆さんの一週間が、素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

母の日にサプライズ(こそこそしている子供達に気づかないふり)のお祝い。


ありがとう!



雪も解けたし(また週の終わりに降り始めるとは予想もしてませんでしたが)、サイクリング!

夕食終わってからもこうして散歩に出かけられる季節に。

ボートの上でふざけ。

まだ氷あるね。

ボート裏返し、


乗ったり、


引っ張ったり。


青空に、


きもち~寝る前散歩。



友人しばしのお別れ会。


友人の一人チョコレートファウンテン持参!


イチゴやバナナやマシュマロ、チョコ浴びて。

持ち寄り料理の数々、すてき~、おいし~の声浴びて。

ライオンちゃんもイヌちゃんも、


外で跳ね回り。



雪も解け(一旦)、秋できずじまいだった落ち葉かき。


この日は、遊んでるだけで時間切れではありましたが。


それ~。



小学校でリタイヤする先生と掃除夫さんのさようなら会。リタイヤとは?の後に言葉をつなげる付箋を貼る子供達。

長男も参加。

レゴにはまる三女と次男。

ここ何日か、朝から晩まで。新しいレゴセットが欲しいとのリクエストも。


子育てノート、感謝の気持ちを養う

2013-05-19 09:13:00 | 子育てノート
子供たちの内に育んでいきたい「心の持ち方」を考えるときに、やはり最も重要に思うのが、「感謝の気持ちを持つこと」です。

といって、「ほら、何ていうの?」と、何かをもらう度に「ありがとうございます」を相手に伝えるよう促していくことも大切ですが、形や礼儀だけでなく、感謝の気持ちを、心から感じられるように教えていきたいです。

 感謝の気持ちとは、「どれほど与えられているか」を思い出すことで、心から湧き上がるものではないでしょうか。目の前に湯気をあげる白米も、ただ空腹を満たすものとして口の中にかきいれてしまえばそれでおしまいですが、少し立ち止まり、その白米が目の前に現れるまでの過程を想像してみます。すると、どれほど多くの条件の重なりと、どれほど様々な人々の働きのおかげでこうしていただくことができるかを思い出すでしょう。

 一つ一つ出会う物事を前に、少し立ち止まり、その物事が目の前の形になるまでの過程に目を向けてみること、その繰り返しが、「どれほど与えられているか」を思い出させ、感謝の気持ちを養うことを助けます。手に入れた可愛らしい洋服も、自分のことを思ってくれる親がいて、買うことのできる経済的な条件がそろい、そのお店にその洋服がたどり着くまでにも、デザインした人々、はるか遠くの国々の工場で働く人々、商品を流通させる人々といった様々な働きが必要です。

回りを見回しても、何一つとして、自分一人で作りあげたものなどありません。こうして暮らしていられるのも、
「与えられているからこそ」、普段の生活から、そう思い出させていきたいです。

 また、あの人はあんなに、私はこれだけ、そう「もっと持っているように見える」他人と比べてばかりでは、自分がどれほど与えられているかが見えなくなってしまいます。まずは、自分の目の前にある自分専用にカスタマイズされた「恵み」を、丁寧に一つずつ見つめてみる姿勢を教えていきたいです。


「どれほど与えられているか」を思い出す

 長男が十一歳の時、崖から落ち、手首を複雑骨折したことがあります。アラスカ州スワード市の夏の風物詩「マウンテンマラソン」に、「参加してみたい!」という長男のたっての希望で、マラソンコースを下見にいった時の出来事でした。

麓の駐車場で下の子達と待っていたところ、真っ青な顔をし、夫に肩を抱えられた長男が下りてきました。ただ事ではないと長男と夫の表情から分かりました。これからすぐに病院へ行くと車に乗り込む夫。腕をジャケットで覆いながら、それでもしっかりとした足取りで歩いていた長男に少しほっとしながら、すぐにそこから一分もかからないところにある救急病院に駆け込みました。応急処置を受け、見た目は元の形に戻った手首でしたが、「改めて翌日大きな病院で手術をする必要がある、手術が成功しても、腕がこれ以上伸びない可能性がある」と説明されました。

その日から二日間キャンプする予定だったのを切り上げ、帰途につきました。麻酔がきき車の中で眠る長男。楽しいキャンプの旅になるはずだったのに、なぜこんなことに? 思い描いていた旅とのギャップに、まるで半分現実ではないような気持ちでした。

 明日は全身麻酔の手術で、その後も腕が伸びない可能性もある。何て災難なんだろう。何て不幸なんだろう。長男の寝顔を見ながら、目の前が真っ暗になり、胸が押し潰されました。

 それでも、崖から落ちた時の様子を詳しく知るにつれ、手首の複雑骨折だけですんだことが、奇跡のような状況だったのが、分かり始めました。夫によると、長男は三十メートル近くある急斜面を転げ落ち、あげく木にぶつかり止ったそうです。レントゲンを眺める医師が、「かなりの衝撃が加わったようだ」と言っていたのを思い出しました。

 もしその衝撃が頭や首や背中にかかっていたら、もし激突した木が切り立った岩だったら、もし尖った岩や木々が突き出す崖だったら、もし麓からすぐ近くの崖でなかったら、もし救急病院がすぐ近くになかったら、そう想像すると、「ありがたい」という気持ちがとめどなく溢れ出しました。今度は感謝の気持ちで、胸が苦しくなるほどでした。アンカレッジまで三時間の車窓に、夕焼けに染まる山々が、ぽろぽろと流れ落ちる嬉し涙で、一層大きく膨らんで見えました。もし腕が伸びなかったとしても、こうして命を救われたことに、一生感謝して共に生きていこう、そう心に決めました。

結局、翌日の手術も成功し、その後おかげさまで腕も無事伸び続けています。この体験を思い出すたび、五人笑顔で、普通に暮らしていることへの感謝の気持ちが、心の底から湧き上がります。嵐のような日々に、くったくたになっていても、「ありがたい」という気持ちでいっぱいになるのです。長男も、事故から二年たちましたが、毎晩眠る前に感謝の言葉を言い合う際、手首が無事治ったことについて、崖から落ち命拾いをしたことについて、「ありがとう」と言います。

 事故や災難にあう可能性は、キャンプや山に出かけずともいくらだってあります。毎日の学校の送り迎え、放課中の校庭、近所の公園、習い事のダンス、走り回る家の中、それら日常的な風景の中にも、事故の可能性は常に潜んでいます。雪道を隣斜線の車が曲がりきれず突っ込んでくることだってあり得ます、校庭の遊具から落ち脳震盪を起こすことだってあるでしょう、持っていた小枝が目に刺さってしまったり、公園のブランコから飛び降りたところ衝突し歯が折れてしまったり、ダンス教室で転んで骨を折ってしまったり、寝る前に追いかけあっこをしていて玩具につまづきドアの蝶番で額を切ってしまうことだってあります。これらは全て、身近な周りに実際に起こったことです。

こうして普通に暮らせることも、いつだって、「こうして普通に暮らせない」可能性と隣り合わせにあります。もしあそこであの人に会わなかったら、もしあの時あの電車に乗っていたら、もしあの時あの情報を耳にしなかったら、もしあの時病院で検査しなかったら、そう振り返ってみるとき、「今の状況ではない」可能性など、いくらでもあったと見えてきます。

雨風をしのぐ家、柔らかい毛布、温かいお風呂、子供達の笑い声、身の回りにある見慣れた風景も、水面上に現れた氷山の先っぽのようなものです。水面下では、それらを可能にする膨大な条件や、様々な人々の助けが支えているのです。今の自分が置かれた状態というのは、想像もつかないほど多くの条件の積み重ねの上に、築かれているのです。

 また、事故や災難にあったとしても、もしあの時助手席に乗っていたら、もしもっと勢いよくあの遊具から飛び降りていたら、もしあの手に持って走っていた小枝がもう少し長かったら、もしもっと勢いよくブランコから飛び降りていたら、もしダンス教室でもっと高くジャンプしていたら、もし寝る前にぶつかったのが蝶番でなく家具の尖った角だったら、ぶつけたのが額でなく目だったら、そう「もっと悪くなり得た可能性」も、いくらだってあります。

 失って初めて、「どれほど与えられていたか」を思い知ることがあります。病気になって健康の、事件事故災害にあって普段の何気ない生活の、戦争になって平和の有難さに気がつくのです。失ってからではなく、普段からこの見慣れた風景を前に、「どれほど与えられているか」を思い出していきたいです。
 
 アラスカに移住したての頃、ワンベッドルームの小さなアパートに暮らしていました。低所得者専用のアパートで、周りには世界各地からの移民がひしめき合っていました。そのアパートのある道の名前は、質素な建物が立ち並ぶ風景とは対照的に、「ハリウッド・ドライブ」と言いました。

「私達、ハリウッドに住んでるのよね」

近所の人々とアクセントの強い英語で言い合っては、笑ったものです。
妊娠七ヶ月で移住し、最初にしたことは、このアパートの地下にあるコインランドリーに洗濯物の山を運ぶための、大きなバッグを縫うことでした。紫色に緑色のポケットという、今思うととんでもない色合いのそのバックを担いで、階段を上り下りするのが私の日課でした。

貧しい暮らしでしたが、豊かな日本に生まれ育った後では、現実であって現実でないようなままごとを楽しんでいるような気分だったのを覚えています。貧しく命の危険もある国からの移民とは違い、日本に帰ればまた豊かで平和な生活が手に入ると信じていたからでしょう。

そんな生活の中、毎日のように六歳と一歳半くらいの兄と妹を見かけました。旧東欧から戦乱を逃れて移民した家族でした。お兄ちゃんは妹を抱っこし、時にはベビーカーに乗せてアパートの周りを散歩します。妹をのぞき込み、何度も話しかけながら。毎日毎日何時間もの間妹の世話をするお兄ちゃん。妹を思いやる仕草、笑顔で寄り添う姿が目に焼きついています。その兄と妹の母親は、「食べ物に不自由なく平和に暮らせることがどんなにありがたいか」そう静かに笑っていました。

今こうして一軒家に住み、子供達も毎日習い事に宿題にと忙しく、周りは物に溢れ、あの子だけこんないい思いをして、私だけこんなに損をしてる、そんな兄姉妹弟間の諍いもしょっちゅうです。ふと、あの「ハリウッド・ドライブ」に何を置き忘れてきたのだろう、そう思うことがあります。あのお兄ちゃんと妹の姿が、我に返してくれます。溢れる物に埋め尽くされ、忘れかけていた感謝の気持ちを思い出させてくれるのです。

 明日の食べ物に困ることなく、日々命の危険にさらされることもない状況で暮らせるのは、世界でほんの一握りの人々です。そして世界の飢餓人口は、ますます増えているとも言われています。国連食糧農業機関(FAO)が2002年に実施した調査では、世界人口の七・八人に一人の割合(八億五千二百万人)が飢えており、毎日、二万五千人が飢餓や栄養失調などで死亡しているといいます。そしてその四分の三までが 五歳未満の子どもです。想像してみて下さい、目の前の暖かい毛布に包まれ眠る子供と、ちょうど同じくらいの年恰好をした子供達が、毎日二万人近くも「食べる物がない」という理由で亡くなっているのです。またギャロップ・インターナショナル(スイス)という世論調査機関が、世界六十六カ国で五万人を対象に「過去一年間で、自分や家族が食べ物に困ったことがあるかどうか」と尋ねた結果、「ときどき」「ひんぱん」と答えた人が四十六%もいたといいます。

 また日本や「先進国」といわれる国々でも、五十年ほど遡れば貧しい暮らしをしていたものです。長い歴史を振り返るのなら、今のように物質的に恵まれた状況になったのはつい最近のことです。遠く離れた地域のこと、古い昔の人々のことと身近には感じられないかもしれません、それでも同じ地球に暮らす人々、そして今ある自分たちの土台となってきた人々のことなのです。 

 今目の前にあるそのプラスティックの器も、明日の食料にも困る人々の働きの上に、安価に手に入れることができたのかもしれません。バケーションに出かけ豪華なホテルに泊まるその同じ島では、夕飯にありつけなかった子供達が、食べ物を夢見て眠っているかもしれません。そして過去を振り返るのならば、戦争で亡くなった方達の上に、こうして今の平和な日本があり、敗戦から立ち上がりがむしゃらに働き続けた人々のおかげで、物に溢れた豊かな日本があるのです。

 今の自分が置かれた状況が、とてつもなく多くの人々や条件によって支えられていると、心の底から自覚するとき、今ここでの状況に感謝しつつ、自身が助けられてきたように、今大変な状況にある人々に何をすることができるのか、そう思えてくるのではないでしょうか。

 まずは、家の中、慣れ親しんだ町、生まれ育った国、身近な隣国、世界中の様々な地域、そう周りを見回し、そして今日、昨日、一週間前、一年前、五年前、五十年前、百年前と過去を振り返ってみることです。すると、今自分がどれほど与えられているかが見え始めます。バケーションも、差し出されたキャンディーも、新車も、新居も、新しい仕事も、そういったものを手に入れることができるのは、世界中で一握りの人々。今目の前に見ているものは、水面にちょこっと顔を出した、氷山の先っぽでしかないのだということを思い出します。
 
 物質的に恵まれた地域に暮らす子供達は、周りに溢れる物があることが、「当たり前」になっています。コンビニへ行けばあらゆる種類の菓子が並び、新しい機器が売り出されたら手に入れるのが当然、友達が持っているのならば自分も持つのが当たり前。次から次へと新しい製品が生み出され、メディアからは購買欲をそそるコミカルなコマーシャルが流れ続けます。物に溢れ、次から次へと手に入れることが当たり前となった現代の子供達に、「どれほど与えられているか」を思い出させるのは、難しいことです。

 だからこそ、こんな今の時代だからこそ、感謝をする習慣を、日常生活で意識的に持つことが大切ではないでしょうか。今の時代ほど、一つ一つの物事を前に立ち止まり、どれほど与えられているかを思い出し、感謝する習慣を、故意に日常生活に取り入れることが必要とされる時代はないのかもしれません。

 砂漠では、水の貴さありがたさが身にしみて分かります、それでも水に溢れた地では、水があるのが当たり前で捨てるように使ってしまうもの。砂漠で水を与えられた喜びの感覚を、この水に溢れた普段の生活に浸透させましょう。日々砂漠に立ち返り、水一滴のありがたさを思い出すことを、習慣にしていきたいです。


過程に目を向けさせる

照りつける太陽、聳え立つ山々、雪に覆われた木々、氷道を行く車、暗闇を照らす街灯、玄関の明かり、暖炉の温もり、湯気の立ち上るココア、スピーカーから流れるギターの音色、窓の外の星、周りを見回せば、自分一人で作りあげたものなど、何一つないことに気がつきます。食卓に並ぶ新鮮な野菜、獲れたての魚、ほかほかのご飯、鮮やかに色とりどりのフルーツ、こうして手に取るためには、どれほどの条件が合わさり、どれほど多くの人々の働きが必要だったでしょう。

一昔前は、野菜も果物も自分で作ったり採集したり、肉や魚は自分の手で育てたり狩猟していたものです。身の周りには自ら手をかけ作り出した物が圧倒的に多かったでしょう。昔はそうして自ら作り自ら手に入れることで、目の前に置かれるまでの過程の大変さを、生々しく体験することができました。

 それでも今は、それらの過程をそぎ落とし、出来上がった完成品を手に取るだけのことがほとんどです。そしてそんな環境に育った子供達は、目の前のあらゆる事物を、過程の繋がりから切り離し、どこからか降って沸いてきたかのように捕らえがちです。

我が家でも、今、その口に入れようとしている照り焼きチキンは、あの空を飛ぶトリと同類なのだと、喉を潤すその真っ白なミルクは、牛の乳から搾られたのだと、皮を剥いたとたん甘酸っぱい匂いの広がるそのみかんは、緑の木々に実っていたのだと、元の様子を子供達に説明しても、きょとんと不思議そうな顔をします。目の前の完成したものと、そうなるまでの過程や元の形が、なかなか繋がらないのです。

「どれほど与えられているか」を実感させるには、物事が目の前に現れるまでの、「過程」に目を向けさせることです。辺りに降り注ぐ太陽の光は、星や惑星の誕生を可能にした壮大な宇宙の仕組みがあるからこそです、山々の隆起は膨大な年月を経て地球が大変動を繰り返したため、目の前の木々は、何十年何百年というもの間、光と水と土の栄養分がバランスよく注がれたからこそ、こうしてあるのです。氷道を行く車も、長い距離をより安全快適迅速に移動する手段はないものかという長い間かけての、様々な人々の発明改良の末、そしてそのアイデアを実際に形にして大量生産する工場労働者の働きのおかげでこうしてあります、暗闇を照らす明かりも、電気を起こし家庭に届けるということが実現するまでには、技術を進歩させてきた人々、そし今安全に行き渡っているかと点検する人々など、多くの働きが必要です。

 過程に目を向けることで、今こうして当たり前に見える風景も、膨大な条件の重なりや、様々な人々の働きによって可能となっているのだと、見え始めます。手に取るどんなものにも、膨大な量の働きが注がれているのだと分かり始めます。

 普段の生活でも、なるべく過程を体験できるような機会を作ってやります。食事も、切り刻んだ野菜を鍋に入れさせたり、人参の皮を剥かせ一緒に用意し、ぬいぐるみや人形、玩具なども、一緒に作ってみます。すると、それらは降って沸いたように目の前にあるのではなく、口に入れる一つ一つの食物も、手に取るぬいぐるみの一つ一つの縫い目にも、多くの人の働きが注がれているという視点が育ちます。

掃除も自分でさせることで、その大変さが分かり、普段から汚さないようにと、より注意を払うようになります。我が家でも、トイレ掃除や車の掃除、親がしていた頃は、汚れ方もひどかったものですが、子供達が交代でするようになって以来、普段からの気をつけ方が違ってきました。洗濯も、家では小学校高学年になれば、自分達ですることになっているのですが、靴下が裏返っていたり、シャツとセーターがくっついたままではきれいにならないと、洗濯物かごへの入れ方も変わりました。家事を日常的に体験することで、身の回りをきれいに保つための大変さ、普段誰かが時間と労力を注いでいるから、こうして整った部屋にいられるのだという気持ちも、頭だけでなく実感として分かるようになったようです。

 農場などを訪ね、農作物の流通を追ってみるのもいいです。食物が食卓にあがるまでにどれほど多くの人の働きや、自然の恵みが必要かを直に感じることができます。今こうしてブロッコリーが口の中に入るには、まずは太陽・水・大地が必要となります、そして光や温度や水加減を整える農家の方々の働き、収穫されたものを流通させる人々、スーパーに並べる人々、そしてそれらを購入するためには親がお金を稼ぐ条件も揃わなければなりません。

 私自身、子供時代に養鶏場や牧場を訪ねた後、卵や鶏肉や牛乳を口にするたび、目の前で飛び跳ねていた鶏、草を食んでいた牛の姿が目に浮かび、「いただきます」という言葉にも、気持ちのこめ方が全く変わったのを覚えています。

 そうして一つ一つの過程を丁寧に見ていくと、目に入るあらゆるものは、多くの人々の働きによって、こうした完成した形に整えられているのだと見え始めます。自分という一人が生きていくために、どれほど多くの人々の助けが必要か、そしてどれほど多くの命をいただくことで自分というものが生かされているのかを、感じ始めます。こうして日々暮らしていけるのも、多くの人々の働きやさまざまな条件が重なり合ったおかげ、子供達と共に、日々「どれほど与えられているか」を思い出し、感謝していきたいです。

宇宙飛行士、高く高く星を見上げて

2013-05-19 09:12:08 | 思うに
週の半ば、ネイティブ・アラスカンの「姉」が、朝電話をくれる。「父」がERにと。記憶があいまいで、誰が誰かもわからなくなっていると。点滴を口で噛み切ろうとしているとも。

その同じ日の夜、「父」の記憶が戻った!と知らせ。まるで何事もなかったかのように普段の「父」に戻ったと。

ほっとした声で、近況を話し始める「姉」。


初めて月に降り立ったアポロ11の乗り組員、宇宙飛行士Buzz Aldrin氏の講演会に、ネイティブ・アラスカンの成績優秀な子供達とその親が招かれ、息子君と出席したのだと嬉しそうに。

Aldrin氏、自身が欝とアルコール中毒に苦しみ克服した体験を赤裸々に語り、参加者皆、大いに勇気付けられたと。

ネイティブの人々を取り巻く厳しい状況。アルコール中毒で村が全滅というところも。

「姉」と話していても、身近な周りに問題が溢れている。「姉」自身も、ホームレスからの移行福祉施設に息子君と暮らしている。何度か訪ねたことがあるけれど、ホテルのように、きれいに整った施設。


高く星を見上げて 例え沼地に足をとられそうになったとしても あの宇宙飛行士のように 星を見上げて

大きくなり力をつけるのならば 沼を 澄んだ泉に変えることもできるかもしれない

どろどろとした沼に足をとられ ばたりばたりと倒れていく人々を 洗い清め 再び歩き続ける力を 蘇えさせることもできるかもしれない


「姉」の息子君の、太陽のような笑顔を思いつつ。


小さな村の戦争博物館

2013-05-19 09:10:02 | 思うに
先週末から昨夜まで一週間出張に行っていた夫。

滞在していたアラスカのある小さな村。第二次世界大戦時に、軍が用いた建物が残っている。ビーチには錆びた戦車なども置き捨てられ、あちらこちらに大戦時の跡が。その建物を改造し、第二次世界大戦時に用いられたモノを集め、博物館を作ろうという運動をしている人に会ったと。博物館という目的のためなら、建物を使ってもいいという許可も政府からおりたところ。

インターネットで呼びかけ、様々なモノが送られてきている。ジャケット、帽子、ブーツ、水筒などなど。大戦時に祖父が遣っていたものだけれど、屋根裏部屋に眠らせるよりは、博物館に展示していただいた方が、そう、全国から少しずつ集まっていると。

なぜそんなことを始めたのか、こんな小さな村にそんなものを作ってどうするんだ、そう首を傾げ遠巻きに見る人々も多い中、漁や飛行機のメカニックやで生計をたてつつ、三人の子をワイフさんとホームスクールしながら、第二次世界大戦博物館実現に向け、走り続けている。

実父が軍人だったというその人、「なぜ?」という問いに、「この村に生まれ、軍人の子として育てられ、これが、私に与えられたミッションなのだと思う。次世代に繋げる為に」と。

博物館への具体的構想を話す様子は、情熱に溢れ。周りからどんな反応を受けようが、何ものも止められないほどの勢い。内の奥深くから突き動かされ、進み続ける。「とにかくunstoppableで、ピュアでね」と夫。

そんな時に、何かが形になっていくのかもしれないな、そう思いながら夫の話に耳を傾けて。

北の果ての小さな村にできるだろうその博物館、いつか訪ねてみよう、そんな話をした夜。

「愛」の「まがいもの」?

2013-05-19 09:08:23 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)


「愛」の「まがいもの」とは? について ”5 levels of pleasures” by Noah Weinbergを参考に。


「慰み(comfort)」は「喜び(pleasure)」の「まがいもの(counterfeit):本物と見分けがつかないほど、よく似せてつくってあるもの」。

「慰み」は痛みフリー努力フリー、「喜び」は時に痛みを伴う努力を必要とする。

喜びにフォーカス。



「愛」の「まがいもの」とは?

 
「愛」は努力フリーで偶然たまたま起こってしまうという理解。コミットメントする必要もなく。「心酔・のぼせ上がり(infatuation)」。

本物の「愛」は、キューピットに次々とハートを射抜かれ、次から次へとたまたま起こってしまうのではなく、自らの努力を必要とし、永遠に続くもの。


ではどうしたら、これは「愛」ではなく「愛のまがいもの」だと自分でわかるか?

もし、彼女は、彼は、完璧だ! と思っているのなら、「まがいもの」。


至らない部分、欠けた部分もひっくるめ、コンスタントに「愛する」からこそ、愛の「喜び」に溢れる。

トライアスロン、体験と繋がる時

2013-05-19 09:08:02 | 子育てノート
先週末のマラソン、長男、五キロ途中の坂、横腹の痛みで途中少しだけ歩かざるを得なくなったと。歩いている自分に、もうどうしようもなく嫌な気持ちになったと。

朝、前夜の残りのチーズケーキをニ切れ平らげたのが多分よくなかったのだろうと反省する彼。

木曜日には、五ヶ月ぶりに水泳チームに戻る。百メートル泳いだところで、以前はぜんぜんそんなことはなかったのに、
横腹が痛くなって驚いたと。

金曜日は授業後トライアスロン大会。何とか横腹の痛みを克服したい。そうリサーチし、

1.普段からバランスの取れた食事を心がけ、野菜とフルーツを多く取る。
2.とにかく水分を多く取る、横腹の痛みは水分が足りないというサインでもある。

この二点が運動時の横腹痛対策になると知った長男。

食事中も、メインの肉などと炭水化物系だけたくさん食べ、サラダなどの野菜系はほんの少しだけ、もっとよそいなさい、と促されることもしょっちゅう(周りが気づかず促さないのならばそのまま)。弁当も、友人のスナック類などで満たされてしまい、残してくることも。

ここ何回か続いた横腹の痛み、普段の食事を反省する機会になったようです。

リサーチしてからは、野菜とフルーツをたっぷり取り、水分も補給しまくり、トライアスロン大会では最後のマラソンで少し痛くなった程度で済んだそう。

痛い!となる前に、何とかしていければいいのですが、こうした方がヘルシーと、外から言われ頭で知識としては分かっていながらも、なかなか実行しないこともある彼。スポーツなどで身体を使い試すことを楽しみながら、身体により良い方法というのも、色々試していってくれたら、そう思っています。


普段から、私自身の体験や知識から良かれと思うことを、色々と傍に居て伝えるわけですが、こうして今回のように、いつか、はっとクリックして繋がる時も来るのでしょう。自分が親になって親の言葉の意味がやっと分かった瞬間があったように、それは、何年か先、時には何十年か先になるのかもしれないけれど。


まさかの雪!の中、授業後となりの高校に移り、トライアスロン大会!


自転車8キロ(5マイル)、水泳250メートル、マラソン2.4キロ(1.5マイル)。


無事ゴール!


7年生8年生合わせて100人ほどが参加。長男、月曜日の結果を心待ちに。
その足で、友人誕生日会スリープオーバー、今夜はNPO救援活動演習、雪中キャンプです。