ユダヤの戒律を遵守しているユダヤ人の知り合いがいる
とにかく戒律だらけの暮らし
何を食べるかどう料理するかいつ何をどのようにするか
一つ一つの戒律が ユダヤの歴史との繋がりを 「神」との繋がりを 忘れないためにある
生活のあらゆる場面で 繋がりを思い出し続ける
「そんなことまでしなくたって忘れやしないんじゃない?」という私の声は
その知り合いの静かな笑顔の前に 何とも傲慢に響く
先祖代々の歴史との繋がりを 自身の中心にある「人を超えた存在」との繋がりを
忘れていないときなんて しっかり覚えているときなんて どれほどあるといえようか
戒律だらけの暮らしは 「究極の謙虚さ」なのかもしれない そんなことを思った
とにかく戒律だらけの暮らし
何を食べるかどう料理するかいつ何をどのようにするか
一つ一つの戒律が ユダヤの歴史との繋がりを 「神」との繋がりを 忘れないためにある
生活のあらゆる場面で 繋がりを思い出し続ける
「そんなことまでしなくたって忘れやしないんじゃない?」という私の声は
その知り合いの静かな笑顔の前に 何とも傲慢に響く
先祖代々の歴史との繋がりを 自身の中心にある「人を超えた存在」との繋がりを
忘れていないときなんて しっかり覚えているときなんて どれほどあるといえようか
戒律だらけの暮らしは 「究極の謙虚さ」なのかもしれない そんなことを思った
>「そんなことまでしなくたって忘れやしないんじゃない?」という私の声は
その知り合いの静かな笑顔の前に 何とも傲慢に響く
↑これは100%同感です。
この知り合いの笑顔は私の奥深くに染み入りました。
守る側と突き破る側と、両方あって今までの人の「発展」があったのだと思います。突き破ってきた側は、「よりよい方法」を求めていたはずが、いったいどこへたどり着いたのでしょうか。
この知り合いの選んだ「戒律だらけの暮らし」も「新しい」選択の一つなのでしょう。人にはそれぞれ役割があるのだと思います。私にとっての「よりよい方法」への希望を抱きながら進んでいきたいです。「守る人々」から大いに学びつつ。
感謝を込めて。