靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

受け取る受け取らない

2010-09-22 00:01:31 | 思うに
小学校で娘が担任の先生から聞いた話。


先生の娘さん、ある日泣いて帰ってきた。

先生の娘: 何々君がね、私のことバ~カって言ったの。

先生:   それで貴方は貴方のことバカだと思うの?

先生の娘: ・・・。思わない・・・。

先生:   だったらそれはもう貴方の問題じゃなくて、何々君の問題よ。あなたが傷つく理由は何もないのよ。


こういった教え方をするんだ、と少し驚く。身に覚えのない罵りから、自身の心を守る法を小さなうちから身につけておくのは素晴らしい、と思う。

受け取る受け取らないを自身で判断する練習。


ただ気をつけないと諸刃の剣でもあるな、とも思う。

世界的な批判を浴びながらもアメリカが突き進んでいった内の仕組みが少し見えた気にもなる。

「的を得た指摘」が「身に覚えのない罵り」へと自身の内ですり替わり、果ては「相手の問題」で終わる。自らを省み改善していく機会を失ったまま、とならないよう気をつける必要があるのだろうな。

自戒。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (よっちゃん)
2010-09-22 08:39:17
なるほど、その先生の答えは合理的と言うか娘さんが極力傷つかない慰めにはなっていますね。

ただ日本人の感覚からすると「どうして馬鹿って言われたの?何か言われる原因があったんじゃないの?」って話になるかもしれませんね。

その上で先生の言葉が最後に言えたら素晴らしい答えかもしれない。

日本人って結果より過程を重視してしまう所があるから(良し悪しだけど…)

ちなみに私は旦那に八方美人だとよく叱られます。
困った人間関係なんかに遭遇すると、周りの気持ちや自分の気持ちに白黒つけられない時に
「みんなが納得する答えなんてないぞ。周りに好評を得たいなら自分自身の気持ちを抑えるしかない」って

これも日本人的な考えかな(笑)
返信する
よっちゃんへ、コメントありがとう! (マチカ)
2010-09-22 23:46:11
ホント合理的だね。なるほどね、日本人だとそこに至る過程も理解しようとするかもしれないね。私でもどうしてそういうことになったの、と聞くかな。

こちらでは違うものは違うという前提があって、まずはじゃあ何を自身で選んで取り入れていくか、という訓練を小さなときから教え込んでいく、というように感じます。文化も価値観も互いに異なる度合いが日本とは比べものにならないほど大きいからね。受け取るか受け取らないかの選択に常にせまられるという緊張感はあるね。

そこから異なるものへの理解もすすんでいくといいね。自分とは違うけれど、あちらからみたこういうことなんだな、と。そういう余裕もなく、「私は受け取らない」で終わっているケースが多いのかもしれない。

よっちゃん、旦那さんにそう言われたりするんだね。やさしいものね、よっちゃん。相手はこうして欲しいのだろうというのは分かるけれどできない、ということあるね。

私も周りとの調和をとりつつ、自身とか家族を大切にできる方向、をみつけるのに苦労することあるよ。着地点、見つけるの難しいね。この現実界では肉体は一つしかないものね、時間も限られてるし、できないものはできない、その結果を覚悟して受け取る、それが結局は一番互いのためになるのかな、と思ったりしてます。
返信する
Unknown (OYABAKA)
2010-09-23 10:53:47
文この記事読んで、ウチの夫だったらこの先生と同じこと言うだろうなとすぐ思いました。
私はというと。。。よっちゃんさんの様に、"ばかって言われたからには、理由があるんじゃない?”と聞くタイプ。

ウチの家族の場合、あちこち引っ越して、ホント色んなカルチャーに出会って(アメリカ国内でも、アメリカ人の化の中でも州、地域によって全然違うんだよね)、子供の自尊信(いい意味での)を守っていくには、この先生の言い方を選ぶ方がいいのかなと感じて来ています。

もちろん、その場合、その時どういう状況の中でどんな会話が交わされて、相手の子がどんな性格の子なのかということも把握して。。。ということも含まれますが。

昨年、長男がホントに馬鹿な判断でしてしまったことから、2回も停学を食らってきました。1回目はただの思春期の馬鹿な行動でしたが、2回目の時の問題は、悪気はないけれど、結果を全く考えてないで行ってしまったケアレスミステークでした。どんなことであれ、悪いことには違いがなかったので、関わった相手のお宅に、家族で謝りにいきました。
でもその時、噂がどんどん広がって、全くとんでもない話が出来上がってしまって、相手の子との関係はリストアーしたのに、何よりも彼はその噂によって苦しめられました。

その時、夫は"人がなんと言おうと、自分たちでできる限りのことはしたし、私達の中ではもう解決していることだ。噂は作っている人たちの問題だ。お前は気にすることない!”ときっぱり言いました。それによって、息子はかなり精神的に救われた気がします。

ちょっと本題からずれてしまったかもしれませんが。。。

ティーンエージャーともなってくると、噂には聞いてたけど私自身が本気でとらえてなかった"ピアープレッシャー"(自分もこの時期通ったはずなのにね)の問題がものすごい!!
"なんでこんなこと気にするの?"っていう闘いが毎日です。まわりの人に言われたこと、どう思われるか、いちいち気にしていたら、何も行動できない、卑屈になってしまう、自己をなくしてしまう(大げさかな)といった方向に行きがちかな。。と思うこともしばしば。

確かに"アメリカが突き進んで来た"背景には、そういったものの考え方があるかもしれませんね。
そういった意味からは、気をつけるべきだとは思いますが。。。

ごめんなさい、なんだかつじつまの合わないこと言ってて。。。

おばさんのたわごとです。


返信する
OYABAKAさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2010-09-24 06:30:20
息子さん、辛い思いをしましたね。確かに文化背景も価値観も大きく異なる人々が一緒くたに暮らしているこちらでは、きっぱりと「受け取らない」と心を守っていく方法が必要なのだと思います。自らを省み、相手の家族に謝り相手とはもう理解し合って解決、とできる限りのことをした上で、「身に覚えのない罵り」にさらされたのですから、家族としては、もう自分達の問題ではない、と長男さんの心をしっかり守ってあげるべきなのでしょうね。夫さんの言葉に長男さん本当に助けられたのだと思います。

日本みたいな島国で互いの異なり度のそれほど大きくない場でも、「受け取る受け取らないの判断の練習」もっと必要になってくるのじゃないかな、と思ったりもします。ネットなどで多様な価値観と瞬時に繋がることのできる世界ですから。まずは自身(自信)をしっかり立たせた上でこそ、異なる者同士の交流が可能なのじゃないかと思います。日本的な相手を思いやる細やかな心と組み合わされば、理想的な共生になるのではないかな、と思ったり。わたす方もわたされた方も「受け取らない」という選択をした相手に対する思いやり。

周りを過剰に意識する、長男君そういう時期なんですね。日々葛藤しながら自身の道をさぐっているのでしょうね。家はこれからです、先を行くOYABAKAさん家族から学ばせていただきたいです。

外に求める目を、内に求める目に切りかえさせたい、と子供達を見ていてよく思います。長男にもティーンの芽を感じます。実は昨夜も寝る前子供達に話していたんですよ。自身がもつ「ギフト」を磨き続けなさい、他の人の「ギフト」とくらべたり、うらやんだりする時間やエネルギーを、自身の「ギフト」を一生懸命磨くことに使いなさい、あなたたちが生まれたのはそのためなんだから、そしたらものすごい光を放ち始めるんだよ、と。ちょっとあつくるしい?(笑)長男「わかった」とは言ってましたが。これから大きくなるにつれ状況も親との関係も変わっていくんだろうね。

何だか私こそ話が随分それてしまったけれど、OYABAKAさんシェアしてくれてありがとう。
返信する

コメントを投稿