学生時代、経済学を専門としながら文化人類学にも興味をもっている、というイギリスからの研究者の講演を聞きに行ったときのこと。講演会といっても大学の少し大きな教室で行われた小規模なもの。
「いきつくところはバランスなのだ、バランスこそが新たな道を生み出す」
そう講演者は言う。
「バランスをとるというと、新しい道というよりは、また元の地点に戻ってしまうというようなイメージがあります。そして新しい動きが生み出されるというより、バランスの取れた地点で動きがなくなりとまってしまうというような」
と会場の教授陣はピンとこない。
「いや、バランスというのはダイナミックなものなのです」
その講演者は一生懸命説明するのだけれど、結局会場中あまり納得しないまま終わった。
「おっしゃっていること、何となくわかります」と講演の後、疲れた様子のその研究者に言いに行った。彼はパッと嬉しそうな顔になり、一学生だった私に「どうしてみんな分からないんだろう」と悔しそうに言った。
「バランス」という言葉を聞くと、この出来事を思い出す。今も彼の言っていた意味が感覚的には分かるように思う。
バランスをとるという行為は、終わりなき動態(ダイナミック)。その「動き」を通して「前への道」が開けてくる。
究極のバランスがとれた状態というのは、動態も静態も超えたところ。
バランスをとるという行為により、バランスがとれた状態に近づくことはできるけれど、到達することはない。ゆえにバランスをとるという行為は「終わりなき動態」。
バランスの取れた状態は、次元を超えたところに常にある。
「いきつくところはバランスなのだ、バランスこそが新たな道を生み出す」
そう講演者は言う。
「バランスをとるというと、新しい道というよりは、また元の地点に戻ってしまうというようなイメージがあります。そして新しい動きが生み出されるというより、バランスの取れた地点で動きがなくなりとまってしまうというような」
と会場の教授陣はピンとこない。
「いや、バランスというのはダイナミックなものなのです」
その講演者は一生懸命説明するのだけれど、結局会場中あまり納得しないまま終わった。
「おっしゃっていること、何となくわかります」と講演の後、疲れた様子のその研究者に言いに行った。彼はパッと嬉しそうな顔になり、一学生だった私に「どうしてみんな分からないんだろう」と悔しそうに言った。
「バランス」という言葉を聞くと、この出来事を思い出す。今も彼の言っていた意味が感覚的には分かるように思う。
バランスをとるという行為は、終わりなき動態(ダイナミック)。その「動き」を通して「前への道」が開けてくる。
究極のバランスがとれた状態というのは、動態も静態も超えたところ。
バランスをとるという行為により、バランスがとれた状態に近づくことはできるけれど、到達することはない。ゆえにバランスをとるという行為は「終わりなき動態」。
バランスの取れた状態は、次元を超えたところに常にある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます