マザー・テレサが、「反戦集会には出ないけれど、平和を目指す集会なら出たい」と言ったというのを聞いたことがある。
「反対!」というのと、「何かを目指しサポートしていこう!」というのと、集まった人々のエネルギーの流れは確かに随分と違うのかもしれない。
何かに反対するのなら、それに代わる何かを創り出していく。
何かに「反」して「対」する時間やエネルギーを、新しい何かを創造し、サポートする方向へと流していく。
「反対!」というのと、「何かを目指しサポートしていこう!」というのと、集まった人々のエネルギーの流れは確かに随分と違うのかもしれない。
何かに反対するのなら、それに代わる何かを創り出していく。
何かに「反」して「対」する時間やエネルギーを、新しい何かを創造し、サポートする方向へと流していく。
憎むっていう感情は強い物だから、大きな流れになるかもしれない、でもそこから産まれる物は?戦争?暴力?
こういう指導者が負のエネルギーもポジティブな流れに代えて行くんですね。
変えていかなければいけない対象を分析し何がだめなのかを証明する作業は必要ですが、それがその対象を壊滅させることを目的としているのか、新しい方向を目指すことを目的としているのか、というのではかなり違ってくると思います。
「憎むっていう感情は強い物だから、大きな流れになるかもしれない、でもそこから産まれる物は?戦争?暴力?」
まさしく!ですね。憎しみを増長させる流れは力強くものすごい勢いをもちます。そしてその先は・・・、本当ですね。
憎しみの連鎖はどこかでとめなければならない。
変えるべき対象の力が強ければ強いほど、より強くもつべきものは「憎しみ」ではなく、新しい方向を向いていく「希望」などの力なのだと思います。
自身の内の憎しみに向き合い、自身の内に新しい流れを起こしつつ、周りの流れをサポートしていきたいです。
ありがとう!