精神を病んだことがある。7年前のことだ。
人はこうして発狂するのだと「こちら」と「あちら」の境界で、恐怖と絶望。
医者に出された薬は妊婦だからと拒否し、毎晩眠ることもできず真夜中裏庭を徘徊した。
「こちら」に戻ってくる感覚を掴んだのはその時だ。
こういった言葉でこういった考え方をすれば戻ってこられる、と順序だてて色々試したけれど、極限では言葉はもう役に立たない。感覚だ。身体にしみついた感覚が導いてくれる。
「あちら」では言葉は遅すぎる。戻って来たという確信と安心と幸福感と温もりに満たされ初めて、言葉が溢れてくる。
今朝もこうして言葉を紡ぐことができることに、感謝。
人はこうして発狂するのだと「こちら」と「あちら」の境界で、恐怖と絶望。
医者に出された薬は妊婦だからと拒否し、毎晩眠ることもできず真夜中裏庭を徘徊した。
「こちら」に戻ってくる感覚を掴んだのはその時だ。
こういった言葉でこういった考え方をすれば戻ってこられる、と順序だてて色々試したけれど、極限では言葉はもう役に立たない。感覚だ。身体にしみついた感覚が導いてくれる。
「あちら」では言葉は遅すぎる。戻って来たという確信と安心と幸福感と温もりに満たされ初めて、言葉が溢れてくる。
今朝もこうして言葉を紡ぐことができることに、感謝。
そうか、更年期に向け体質整えていかないとね。ヨガはちょこちょこと。瞑想はこれといったやり方を学んだことないのだけれど、こういうのを瞑想ともいうのかもしれないなあ、というようなことが日課にはなっています。心身静かにというようなことなのだけど。テッサーさんヴィパッサナー瞑想がいいと言っていたね。また色々聞かせて下さい。ありがとう!
「初めに言葉ありき」、確かに言葉になった時点ですさまじい力が起こると感じます。同時に、言葉が生まれる先にある言葉が追いつかない次元ががあるのだとも感じてます。
体は「こちら」にすっくとありますね。確かに目印になるはずです。いずれは朽ちるとしても。心は真ん中、わかる気がします。ありがとう、てぃさん。
私は耳を患いました。ジェットコースターにのっているような回転性めまいで立ち上がることすら横になることすらままならず、嘔吐を繰り返す苦しいものでした。強い発作が続くと聴力を失うと。やはり対処療法的な薬は飲まず、玄米菜食、自然食品などの食事療法、ヨガなどで発作自体の大きさはマイルドになっていき、横になったり屋外ではしゃがみこんだりしてやり過ごせるようになったのですが、頻度は一時間ごとというような状態でした。
最後は針で治ったんです。出産3週間前のことでした。出産後も、次の出産時も少し症状が出ることがありましたが、この時ほど強いものではありませんでした。出産、新生児の世話とこれらの一連の心身の病とが重なることがなく本当にありがたかったです。
こうした精神身体の病を経験したこと、今生活していく上での大きな力となっていると感じています。普通に日常をおくられることのありがたさ、「当たり前」という視点が抜け落ちたようなイメージです。
ベニーさんは心臓を患われたんですね。肉体の存在の中枢、気持ち面への影響も計り知れないものだったのだとお察しします。癒されることを祈っています。感謝を込めて。
ケンタウロスさんの作品、楽しみにしています。感謝。
そういう敏感な人は、更年期にもバランス崩れやすいから気をつけてね。
ヨガと瞑想をオススメします!!昔やってたから今もやってるかな・・?
言葉はいつも後付け、またははるか向こうにである。
体はそこにあるのに。
心は多分その真ん中くらいにあるのかもしれない。
それは凄い經驗をしたんですね。
體驗してゐないので對應の仕方が不明ですが、
さういふ事もあるのだと心得ておきます。