靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、共に過ごせる時を大切に

2013-01-20 01:10:24 | 今週の整理
1.先週末から0度以上が続き、雪でなく雨。日中解けた雪水が晩に凍り、街全体がアイスリンク状態に。坂を回りながら滑っていく車や、タイヤが空回りして動けなくなっている車もあちらこちらに。近所で立ち往生している車の手伝いに行こうとしても、家のドアを出たところからつるつる滑って立ち上がれない。月曜日は学校が急遽休みに。週半ばからは再び冷えこみ、すっかり解けていた雪も、今は再びこんもり積もってます。

2.急遽休みの月曜日、日中は氷も解けそれほど危なくない状態に。エネルギー有り余る五人を連れ、屋内遊び場へ。空気で膨らませた巨大トランポリンや滑り台や障害物コースなどがいくつか置かれ、走り回りジャンプできる場。13歳の長男、「僕はいいよ」「車で待ってるから」「ママの傍で見てるから」と繰り返していたものの、屋内に入った途端、次男の手を取りすぐに姿が見えなく。ちびっ子と一緒になって飛び回る彼。最近「僕はもう大人だからそういうことは」とクールに決めてみたいことも多いらしく、それでも子供子供があちらこちらから吹き出てくる様が何ともいえません。(笑) 思いっきり走り回ってジャンプして、皆すがすがしい顔。その後五人とも汗だっくだくのまま図書館へ、の一日でした。

3.しばらくプレイデイに変わっていた「作って食べる会」、何気に復活。皆さんの都合に合わせつつできる時に。ずっと中心的に活躍してきた友人が、アラスカから引っ越すと今週の会で知らされる。彼女家族にとって最善の選択だと分かりつつも、悲しい。今までどれほど美味しいモノを伝授して下さっただろう、あのいつも温かい笑顔にどれほど元気をもらってきただろう、あと何回一緒に作って食べられるのだろう。友人のますますの幸を祈りつつ、残り共に過ごせる時を大切にしていきたいです

4.mixiの友人の日記とコミュニティーに掲載された中学の同窓会の様子を見せてもらう。友人たちの尽力のおかげで数年前から毎年この時期集まることになっていて、先生方も多く参加されている。写真を見ながら、中学時代を思い出し。小学校から知ってる子達も多い。あの時のあの子も、今はもう四十間近なんだなあ。狭い教室にぎゅーぎゅーになって毎日顔を合わせていた友人たち。今こうしてある土台も、共に過ごしたあの空間で作られ。子供時代を共有できた縁に感謝しつつ。いつか同窓会にお邪魔できる日を楽しみに。

来週月曜日はキング牧師の誕生日祝日。三連休です。ソリにスキーに誕生会に、楽しみます!

Have a wonderful week!



日常の風景:

再びこんもり雪。


よいしょよいしょと混ぜて。きゃはきゃはと笑って。


チョコレートチップクッキー。


そり!


風を切って、

きもち~。

子育てノート、バロメーター

2013-01-20 01:08:46 | 子育てノート
毎朝学校に向かう子供達とは、必ず目を合わせ、一人一人ハグして別れるようにしているのですが、笑顔で「行ってきま~す」と何度も嬉しそうに振り返りバイバイする場合もあれば、無表情ですぐに前を向き歩いていくこともあります。

別れる時の子供達の様子は、私自身の彼彼女への接し方を振り返るための、とてもいいバロメーターになっています。毎日忙しく走り回り、時には叱り飛ばしもします。それでも、共に笑い、ゆったりと柔和な表情で話し、肩を組んだり抱きしめるなどのスキンシップを取る時を持っているか。その子とそんな時間を少しでも過ごしているのなら、別れの時に、必ず笑顔に出会うのです。

ああ今夜は、膝に抱っこして本を読んでやろう、友人関係の話を聞いてやろう、今夢中になっている本や漫画の話しに耳を傾けよう、冗談を言い合って笑おう、マッサージし合おう、膝枕してただ髪をなでてやろう、彼彼女の後姿を見送りながら、そんなことを思い直します。

大きくなるにつれ、学校でのチャレンジも大きくなり、複雑な問題も抱えるようになります。かつての私自身がそうだったように、親にもすぐにはシェアできないような気にかかることなども出てくるでしょう。それでもこのバロメーター、まだまだ有効なのだなと、感じています。

家庭に温もりを整えていきたいです。

母性と父性のバランス、まとめ

2013-01-20 01:07:04 | 子育てノート
母性・父性というと、一般的に次のような特徴があげられます。

母性  無条件・受け入れ・緩み・境界なし・繋がり・内へ
父性  条件付け・突き放し・張り・境界あり・切断・外へ

一昔前には母親が家事育児を受け持ち、父親は家庭の外で生活の糧を得る、そんな役割がはっきりとしていました。ところが時代は移り変わり、両親共働き、シングル・ペアレントの増加など、現代の家族の形は様々です。家族のあり方の変化に伴い、母性父性というコンセプトを新しく書き換えていく必要があるのではないでしょうか。男がもっとしっかり父性を回復し、女は忘れてしまったかに見える母性という本能を思い出すべきだ、そんな「古きよき時代」に戻るべきだと議論をしても、あまり意味はありません。昔も今も、それぞれ何かしら問題があったものです。これからは女性も男性も一人一人の内に、母性と父性のバランスを自覚していく必要があるように思います。母性父性という呼び名は、古き日々の家族のあり方の名残としてのみ留め、女性が母性のみ男性が父性のみを受け持つといった、画一的な拘りを手放していく必要があるのではないでしょうか。母性や父性というのは、男性女性一人一人の内に、本来両性備わっているものです。

パートナーがいる場合は、母性父性を補い合います。互いに納得し父がもっぱら父性を、母がもっぱら母性をという選択もあれば、反対の選択もあり、時と場合に応じて変えるという選択もあり得るでしょう。どんな形であるかは問題ではなく、一人がきつく叱るのならば、もう一人は少しその子とゆったり過ごすといった、母性父性という両性のバランスが必要なのです。

母性と父性のバランスを取っていく上で、母性スイッチ父性スイッチというイメージが役に立ちます。自身でそれらのスイッチがオンになっているか、オフになっているかを見つめていきます。母性スイッチが「オフ」になっていると、まず子供達が近寄りがたそうになります。特に小さな子供たちの様子に如実に表れます。そして自身を鏡に映すと、無表情であるか眉間に皺がより険しい顔になっています。母性スイッチを「オン」にすると、眉間が緩み微笑が生まれます。そして子供たちの顔にも笑顔が広がるのです。

時に立ち止まり、自身のスイッチがどうなっているかを見直してみます。外で仕事を終え、帰宅する前に一度自身の姿を鏡に映してみるのもいいでしょう。忘れていた母性スイッチをまず「オン」にして玄関の扉を開け、または保育所の門をくぐります。育児と外での仕事とをうまく両立させるコツは、このスイッチの切り替えにあるのだと思っています。スイッチの感覚がうまく捉えられない内は、まずはとにかく温かい笑顔を浮かべ、穏やかに話してみるのも一つの手です。

 社会に出れば父性優位です。家族という単位を越え、より大規模な集団が共に暮らしていくためには、より父性が必要となります。無条件に失敗を許されもう一度チャンスを与えられといった母性に包まれることは、集団で暮らす社会の中ではそうはないでしょう。

 家庭では常に母性スイッチをオンに設定しておくのが、丁度よいバランスなのだと感じています。母性スイッチを常にオンにしたまま、父性スイッチをところどころでオンにしていくのです。家庭の中でたっぷりと母性に包まれるのならば、厳しい外の社会に再び足を踏み出す力が湧き出てくるでしょう。


行為者になる

2013-01-20 01:06:07 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナーでの話し合いトピック二つです。

行為者になる

傍から眺め、ああでもないこうでもないと揶揄し、批評しているだけでなく、自身が行為者になる。どんなに拙くてもいいから、自分がしてみる、自分で生み出してみる。自分が揶揄され、批評される側に立つ。

セオドア・ルーズベルトの1910年のスピーチ「The Man in the Arena」を引用しつつ:

信頼・信望・名声(credit)は、実際にアリーナに立つ者が手にするのだ。

強い人がどうしくじったか、他の実行力のある行為者にやらせたらもっとうまくできただろうにといった批判する者は、信頼には値しない。

アリーナに立つ者の顔は、汗と埃と血にまみれている。勇敢に戦い、失敗し、何度も何度もあと一歩で届かないことの繰り返しだ。なぜなら失敗と欠陥のない努力などはないからだ。

アリーナに立つ者は、強烈な熱狂を知り、崇高な献身を知り、価値ある志のために自分の身を粉にする。

彼らは、最後に自身の最大限の高みに達した勝利を知るだろう。最悪、失敗に終わったとしても、少なくとも全身全霊で挑戦しての失敗だ。

彼らの魂が眠る場所は、勝利も敗北も知らない冷たい臆病な魂と、決して同じにはならない。

"It is not the critic who counts: not the man who points out how the strong man stumbles or where the doer of deeds could have done better. The credit belongs to the man who is actually in the arena, whose face is marred by dust and sweat and blood, who strives valiantly, who errs and comes up short again and again, because there is no effort without error or shortcoming, but who knows the great enthusiasms, the great devotions, who spends himself for a worthy cause; who, at the best, knows, in the end, the triumph of high achievement, and who, at the worst, if he fails, at least he fails while daring greatly, so that his place shall never be with those cold and timid souls who knew neither victory nor defeat."
"Citizenship in a Republic,"
Speech at the Sorbonne, Paris, April 23, 1910


同じパターンから抜ける

同じパターンを抜けるためには、行為を刻む、ということについて。身体を動かし掃除したり、立ち上がってエキソサイズを始めたり、外に出て新鮮な空気を吸うことで、それまではまり込んでいた思考パターンがぱっとシフトすることがある。行動してみる、違ったことへと足を踏み出してみる。

聖書の話を引用しつつ。

エジプトで奴隷だったユダヤ人が、エジプトを出て自由を手に入れる。奴隷から自由へ、奴隷的思考から自身で立ち上がり歩き出す思考へのシフト、その時、二つの行為が刻まれたとされる。一つは子羊の生贄ともう一つは男性の割礼。子羊はエジプトの神の一つともされていた。割礼はその後の長旅にとって危険を伴う行為。これら「神」によって示されたとされる二つの行為に従うことで、はまりこんでいた奴隷的パターンからシフトした、という話。