靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

黒のドレス、win-win

2012-02-29 00:04:08 | 子育てノート
今回の「チャリティーコンサート」コーラス練習、写真撮影のため「黒い服」を着てくることになっていた。

「人前に出る場合はびしりとフォーマルが好まれる」と音楽を担当される方から以前聞いていたこともあり、後方列の大人はともかく最前列で歌う子ども達はきちんとしないと、と子ども達と話していた。

レゴリーグの集まりが長引き、コーチとロボットにかかりっきりの長男を残し下4人と慌しく出かけようとしていた時のこと、鏡の前で髪をどう結おうかと思案する長女、見ると黒の長袖コットンシャツに濃色ジーンズ・・・。

「まさかそれで行くつもりじゃないよね」
「黒のズボンがないんだもの」
「レゴの“クラムチャウダー”ではいてたのがあるじゃない」
「見つからない」
「じゃあ黒のドレスやスカートもクローゼットに収納してあるんだからちゃんと言えば出してあげられたのに」
「でもスカートやドレスに合う黒いタイツがないし」

準備時間は朝も含めてたくさんあったのだからズボンが見つからないのならなぜもっと動き回らなかったのかと声を荒げる私。

長女の態度から「フォーマル」への抵抗が理由のようと分かる。余程のことがない限りカジュアルでリラックスした感じが「格好いい(クール)」というティーンに流行のスタイル。多分流行の根のところには「エスタブリッシュメント」的なるものへの思春期独特な反抗心みたいなものが流れているのだろうけれど。

「あなたがどう見えるかなんて関係ないのよ。これはね日本で今も大変な状況にある方々に少しでも役立ててもらうためのもの」
怒る私。時間がせまる。結局病み上がりで声が出ないため練習を見るだけのつもりだった長女は、写真撮影も見るだけにしようと同意し出かける。


車の中。「win-win」について話す。どうしたら相手もwinで自分もwinとなるのか。自身も心地よく、相手も納得するような着地点を見つけること。それは単に自分のお気に入りのジーンズを着るだけの「win-lose」や、全く心地よく感じられないがちがちのフォーマルを言われるままに着込む「lose-win」とも違う。場に求められ自分も心地よいものを選ぶこと、「win-win」とはもっとずっと努力や工夫を必要とするもの。

日本に育ち「lose-win」を教えられてきたと思う。周りが先自分はまずはとにかく周りに合わせる美徳。それでも車の中ではっと思う、「win-win」ということをもっと教えていく必要があるのじゃないかと。自分と周りが納得する着地点の模索を。

思ったとおり練習場、女の子達はほとんどがドレス。

夜、日本の厳しい状況にある方々を想い、ショーを成功させるためにと走り回る方々を想い、服の選択などに時間やエネルギーを割けられるという状況にまずは感謝しつつ、「win-win」を模索してみて、そう長女へ伝える。

頑固な長女、就寝前「黒いタイツ買っといてね」とぽつり。


その子自身に「win-win」を模索させる。するとその子自身が周りに目を向け周りにとっての最善を理解しようとし始める。結果今回のように「お気に入りのフォーマルドレス」を選ぶこともある。

ただ自分の主張を通すだけ、でもなく、闇雲に周りに合わせるだけ、でもない着地点、、そんな「win-win」な地点を目指していけたら。

どんな習慣づけを

2012-02-29 00:03:34 | 子育てノート
習慣・癖となったものを変えるのは大変。ロケットが引力に反し軌道を抜け宇宙へ飛び出す過程のように。

それでも抜けてしまえば驚くほど軽くなる。星に囲まれ無重力空間を漂うように。

軌道を抜けたのなら、これからどんな軌道(習慣・癖)に乗ろうかと選ぶことだってできてしまう。


生活態度から心の持ち方考え方まで、どんな習慣づけをしていくのか、子育てで日々考えていきたいこと。自身が当たり前として回っている軌道を見つめ直しつつ。

折り紙の輪や滑り台、抽象性と文脈と

2012-02-29 00:03:03 | 子育てノート
カードなどに単語を書き出すことと、その単語が使われる文脈により多く触れさせることと。前回の記事を書きながら、昔どこかで読んだ保育者の対談を思い出した。

抽象的な知識と実際の文脈の中での実践とを繋げていくこと、それが保育者の役割なのだというようなことをその女性は言っていた。

例えば、赤白青赤白青赤、次は何色?というようなパターン認識と、実際に折り紙の輪を繋げて交互に色を連ねた飾りを作っていくこと、そして何々ちゃん何々君次に私と滑り台などを交代で順番に使うこと。それらをその子の内に繋げていく。

読みを教えていて思うことと重なるのは、実際に輪作りや順番待ちの機会を何度も体験しているのなら、抽象的なパターン認識も頭に入りやすいのと同時に、そんな頭の中に認識されるパターンもより豊かに彩られるということ。パターンに鮮やかなイメージが見え始めるということ。泣き顔の後の笑顔だったり、曇りそして雨の後の日差しだったり、夏の終わりのラズベリーから秋の初めのブルーベリーへの移り変わりだったり、裸木新緑黄金と色を変える山々だったり。

体験をたくさんさせること、その上で抽象的な知識を入れていく。文脈に深く広く根ざした抽象性。抽象的なものの底に溢れる多様性。そういったものを大切にしていきたい、そう思いつつ。