上の子達と買い物を済ませ帰宅すると、4歳三女がエプロンをして満面の笑みで迎えてくれる。得意気に洗面所に来てと言う。床に泡が飛び散り水浸し。まずはそこに目が行き、思わず「何しでかしてくれたの!」と叫びそうになる。
顔を上げると、シンクの周りに透明のプラスチックの器が並べてある。どうやら絵の具の入れ物を洗ってくれたようだ(家では大きな絵の具のボトルを買い小さなボトルに色ごとに小分けにして用いている)。まぜこぜで何色か分からなくなっていたものも空っぽに、こびりついていた黄色や赤色もきれいに削ぎ落として。
「これでねみんなまたきれいな色でお絵かきできるの」
頬や額に緑や青の点々をつけた顔で嬉しそうに笑っている。
ああ、床を見て叫ばなくてよかったと思う。
「ありがとう。皆嬉しいね。透明な入れ物こうやって並べるときれいね。これだけきれいにするの随分と大変だったでしょ、すごいね」
私の言葉に大きく頷く三女。
「よし、じゃあ床をふこうか、皆がすべっちゃうと危ないしね。泡泡になってるから床もきれいになっちゃうね。タオル持ってきてくれる?」一緒にふきながら「今度するときはどうしたら水浸しにならないようにできるかな?」と聞いてみる。「う~ん、水をちょろちょろ出すようにするといいかな」手を止めて考えながら言う三女。「あと初めからタオルしいておくのもいいかもしれないね」と私。
こんなことがよくある。叫んで子ども達の顔からあの得意げな笑みが消え、と今まで何度繰り返してきたことか。一生懸命皆のためにと頑張ったあのきらきらとした表情は、一瞬にして何てことをしてしまったのだろうとうつむいて床をふく悲しそうな表情へと変わる。
まずはその子の善意を理解し大切にする、それからその善意をよりよく表すにはどうしたらいいかと本人が考えられるようにしていく。コーディネーションスキルなど身体の発達レベルによって無理なことにはひとまず目をつぶり。身体の発達なんてものはいずれついてくるもの。
床をきれいに保つことか、子どもを育てていくことか、今どちらに重きをおくのか、金切り声を飲み込んでの咄嗟の整理がやっと少しずつできるようになってきた。何度も何度も失敗を繰り返した末に。
感情にまかせたリアクトか、選択を経たアクトか。日々鍛えられている。
顔を上げると、シンクの周りに透明のプラスチックの器が並べてある。どうやら絵の具の入れ物を洗ってくれたようだ(家では大きな絵の具のボトルを買い小さなボトルに色ごとに小分けにして用いている)。まぜこぜで何色か分からなくなっていたものも空っぽに、こびりついていた黄色や赤色もきれいに削ぎ落として。
「これでねみんなまたきれいな色でお絵かきできるの」
頬や額に緑や青の点々をつけた顔で嬉しそうに笑っている。
ああ、床を見て叫ばなくてよかったと思う。
「ありがとう。皆嬉しいね。透明な入れ物こうやって並べるときれいね。これだけきれいにするの随分と大変だったでしょ、すごいね」
私の言葉に大きく頷く三女。
「よし、じゃあ床をふこうか、皆がすべっちゃうと危ないしね。泡泡になってるから床もきれいになっちゃうね。タオル持ってきてくれる?」一緒にふきながら「今度するときはどうしたら水浸しにならないようにできるかな?」と聞いてみる。「う~ん、水をちょろちょろ出すようにするといいかな」手を止めて考えながら言う三女。「あと初めからタオルしいておくのもいいかもしれないね」と私。
こんなことがよくある。叫んで子ども達の顔からあの得意げな笑みが消え、と今まで何度繰り返してきたことか。一生懸命皆のためにと頑張ったあのきらきらとした表情は、一瞬にして何てことをしてしまったのだろうとうつむいて床をふく悲しそうな表情へと変わる。
まずはその子の善意を理解し大切にする、それからその善意をよりよく表すにはどうしたらいいかと本人が考えられるようにしていく。コーディネーションスキルなど身体の発達レベルによって無理なことにはひとまず目をつぶり。身体の発達なんてものはいずれついてくるもの。
床をきれいに保つことか、子どもを育てていくことか、今どちらに重きをおくのか、金切り声を飲み込んでの咄嗟の整理がやっと少しずつできるようになってきた。何度も何度も失敗を繰り返した末に。
感情にまかせたリアクトか、選択を経たアクトか。日々鍛えられている。