「ブリコラージュ」という言葉を初めて聞いたのは学生時代、人類学者クロード・レヴィ=ストロースの著作『野生の思考』を読んだ時のことだった。
「ブリコラージュ」というのは「その場で手に入るものを寄せ集めて、何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ること」(ウキペディア)。
レビストロースは「未開」とされる人々が、いかに古くからあり現代にも行き渡ったこの普遍的知のあり方「ブリコラージュ」に基づいた思考をしているかを明らかにしていった。そして近代以降の無からものをつくろうとするエンジニアリングの思考と対比させる。
アラスカという手に入るものが限られた地で5人の子どもを抱え経済的にもそれほど自由のきかない主婦という立場に暮らしていると、「とにかくまずはあるもので何ができるか」、そんな「ブリコラージュな姿勢」がすっかり身についていく。限られた素材でどう食べたいものを作るか、限られたリソースの中でどう楽しむか、限られた資料のなかでどう考えていくか、目の前に並べられたものにあーだこーだと取り組みながら工夫していく。既にあるものの寄せ集めから、全く予期しなかったものが立ち上がる瞬間。そんな驚きほど嬉しいことはない。
先日、レゴ・ロボット「マインドストーム」開発者の1人シーモア・パパート(Seymour Papert)について読んでいて、久しぶりに「ブリコラージュ」という言葉に出会った。元々数学者だったパパートは教育心理学者ピアジェとも交流が深く、教育の分野でも活躍。「マインドストーム」の基となるプログラミング言語「ロゴ」を開発し、コンピューターをどう教育に生かしていけるかを60年代から模索してきた人物。
パパートは「挑み(try)、試し(test)、遊びまわる(play around)ことを通して学んだり問題解決したりする方法」を「ブリコラージュ」とする。あれやこれやと目の前にあるものをいじくり回し遊ぶことが、学習・問題解決に繋がる。子ども達をみていてまさしく、と納得すること。
新しいもの新しいものと外へ目を向けずとも、既にあるものをこねくりまわし組み合わせていくことでとてつもなく新しいものができることがある。驚くような可能性の芽は実は身近な周りにもう既に転がっているのかもしれない。
「ブリコラージュ」というのは「その場で手に入るものを寄せ集めて、何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ること」(ウキペディア)。
レビストロースは「未開」とされる人々が、いかに古くからあり現代にも行き渡ったこの普遍的知のあり方「ブリコラージュ」に基づいた思考をしているかを明らかにしていった。そして近代以降の無からものをつくろうとするエンジニアリングの思考と対比させる。
アラスカという手に入るものが限られた地で5人の子どもを抱え経済的にもそれほど自由のきかない主婦という立場に暮らしていると、「とにかくまずはあるもので何ができるか」、そんな「ブリコラージュな姿勢」がすっかり身についていく。限られた素材でどう食べたいものを作るか、限られたリソースの中でどう楽しむか、限られた資料のなかでどう考えていくか、目の前に並べられたものにあーだこーだと取り組みながら工夫していく。既にあるものの寄せ集めから、全く予期しなかったものが立ち上がる瞬間。そんな驚きほど嬉しいことはない。
先日、レゴ・ロボット「マインドストーム」開発者の1人シーモア・パパート(Seymour Papert)について読んでいて、久しぶりに「ブリコラージュ」という言葉に出会った。元々数学者だったパパートは教育心理学者ピアジェとも交流が深く、教育の分野でも活躍。「マインドストーム」の基となるプログラミング言語「ロゴ」を開発し、コンピューターをどう教育に生かしていけるかを60年代から模索してきた人物。
パパートは「挑み(try)、試し(test)、遊びまわる(play around)ことを通して学んだり問題解決したりする方法」を「ブリコラージュ」とする。あれやこれやと目の前にあるものをいじくり回し遊ぶことが、学習・問題解決に繋がる。子ども達をみていてまさしく、と納得すること。
新しいもの新しいものと外へ目を向けずとも、既にあるものをこねくりまわし組み合わせていくことでとてつもなく新しいものができることがある。驚くような可能性の芽は実は身近な周りにもう既に転がっているのかもしれない。