靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

ブレーキ解除

2012-02-17 01:17:04 | 思うに
家にはオートマティック式のバンと、小さなマニュアル式の車がある。先日、この古い茶色のマニュアル式の車を運転していたときのこと。中々思うように進まない。アクセルを踏んでもいつものようにスピードが出ない。上り坂ともなるとウィンウィンと威勢のいい音をたてながらも走ったほうが速いのじゃないかという速さで進んでいる。

あっ、とようやく気がつく。助手席との間に手をやると、ハンドブレーキがかかったまま・・・。時々やってしまうこと。

このハンドブレーキを解除した瞬間、それまでとは打って変わって勢いよく進み始める感触。その度に思い出すことがある。

歩みを重くする要因を解除していく」ということ。

まるで大きな足かせをズルズルと引きずっているかのように歩いていることがある。

Stephen Coveyが整理していた「進みを抑止する要因」が分かりやすい:

カオスchaos(恐れfear、被害者意識victimism)
無秩序disorganization(無関心ignorance、無駄futility)
怠惰laziness(倦怠boredom、現実逃避escapism)
満足contentment(所有欲sense of ownership、自身にのみフォーカスしたヴィジョンself-focused vision)

ハンドブレーキが解除されているのなら、少しアクセルを踏み込むだけでもびゅんびゅんと進んでいく。少しの足の踏み加減が、進み具合にシャープに如実に表されていく。

あのハンドブレーキを下ろす瞬間の感覚、覚えていたい。

子どもの模型として

2012-02-17 01:15:09 | 子育てノート
「何でこの子は何度言ってもこういうことをするんだろう」「あの子のああいったところ注意して直していかないと」

自身を振り返ると、子どもに見出す問題は、自身の内に因がある場合がほとんど。

「子どもは親の鏡」、これはその通りだとつくづく思う。

子どもの周りの大人は皆子どものモデル。子どもは周りの真似をして大きくなっていく。


自身の内のネガティブな因を子ども達に見出すたび、背筋が伸びる。


親が見せていけるのは、努力して変わっていけるという姿勢。成長していけるという希望。

いい面だけを見せるようにしたとしても、子どもは鋭く全体を察知するもの。

変わっていく過程を見せていくこと、それが子ども達のモデルとしてできることのひとつ。