内には様々な「自身」がいて、その様々な「自身」が話し合うことで「私」の道ができていく。
内には長老のような人もおれば、宇宙人のような人もおり、キャピキャピとした者もいれば、常に冷静な者もいる、いつも疑っている者もおれば、夢ばかりみている人も、そして幼い子供もいる。
「自身」間での議論を続けても、「私」のみえない「外側」は常にある。「私」以外の「他者」と交流し、「外側」を指摘されることにより、大きな気づきがもたらされる、そして気づきがもたらされるたび、「自身」達はどよめき、また議論を始めるのだ。
「私」は「他者」に分裂症寸前といわれたことがあった。「私」にとって大きな気づき。(笑) 精神が安定できたのは、議論に参加することはないけれど、いつも静かに眺めている「自身」に出会ったからだと思う。
とここでまた会話が始まる。
自身B: その「議論に参加することはないけれど、いつも静かに眺めている自身」こそ「自神」であり、宇宙だ。
自身A: はあ。確かにこの「自身」の眼差しにはどんな問題も溶けていくような感じではあるけれど。その「自身」でいると、温かくて一瞬にして癒されて、その「自身」は何も言わないのだけれど。
自身B: どんな人の内にも「自神」がいる。
自身A: ほお。
内には長老のような人もおれば、宇宙人のような人もおり、キャピキャピとした者もいれば、常に冷静な者もいる、いつも疑っている者もおれば、夢ばかりみている人も、そして幼い子供もいる。
「自身」間での議論を続けても、「私」のみえない「外側」は常にある。「私」以外の「他者」と交流し、「外側」を指摘されることにより、大きな気づきがもたらされる、そして気づきがもたらされるたび、「自身」達はどよめき、また議論を始めるのだ。
「私」は「他者」に分裂症寸前といわれたことがあった。「私」にとって大きな気づき。(笑) 精神が安定できたのは、議論に参加することはないけれど、いつも静かに眺めている「自身」に出会ったからだと思う。
とここでまた会話が始まる。
自身B: その「議論に参加することはないけれど、いつも静かに眺めている自身」こそ「自神」であり、宇宙だ。
自身A: はあ。確かにこの「自身」の眼差しにはどんな問題も溶けていくような感じではあるけれど。その「自身」でいると、温かくて一瞬にして癒されて、その「自身」は何も言わないのだけれど。
自身B: どんな人の内にも「自神」がいる。
自身A: ほお。