靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「異なるもの」に囲まれて、色々思うこと

2010-04-22 00:00:07 | 出来事や雑感や (子育て)
先週アイルランド人の友人Hと話していたとき「アメリカの公立学校の対応」について、そこまでする?と思うことがよくある、という話になった。

例えば:
トイレでふざけて個室の下からのぞいて停学処分になった(男の子同士)、とか
校庭で転び小枝が瞼に刺さった事件後、近辺の木の周り全てに囲いができ近寄ることもできなくなった、とか
全ての公立小学校で雪合戦禁止、とか

アメリカ人とはかなり異なると感じている友人Hは「アメリカ人は何でもコントロールしたがる」とよく言う。トイレの出来事なんて冗談ですむことなのじゃないかと私も思う。

子育てをみていても、あまり「砂場で社会を学ぶ」という様子はみられない。砂場で喧嘩を始めたらすぐに干渉し別の場所へ、という感じだ。

この「コントロールのきつさ」の原因のひとつには、やはり「相異」ということがあるのだろう。米国には、世界各地からの、宗教、文化背景、考え方、価値観など全く異なる者同士がひしめきあって暮らしている。アイルランドや日本のように、小さな島国でほとんどが似たような文化背景をもった者同士が暮らしている状況とは全く違う。

互いに異なりすぎるからまとめるためには「より強い縛り」も必要だろうし、異なりすぎるから砂場で交わりながら学ぶなんて無理なのだろう。



「異なるもの」に囲まれたこちらでの生活、同類集団内に閉じていく人々もいれば、扉を開け放ち、異なるものをより理解していこうとするオープン・マインドな人々もいる。

こちらで出会ったオープン・マインドな人々には、私のように同質同類のなかでのほほんと生まれ育った人間がオープン・マインドであろうとするのとは全く違った強さの土台がある。常に「自分とは異なるもの」にさらされながらも、オープン・マインドであることをしっかりと自分自身で「選択」し続けてきたという貫禄がある。

これからも続くこちらでの生活、オープンでいる選択を積み重ねていけたら、と思っている。