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靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

その子の内面から溢れるパッション

2013-10-10 04:10:19 | 子育てノート
いち、に、さん、いち、に、さん

ほらこっちは、

いち、に、さん、し、いち、に、さん、し

何で分かんないかなあ。三角と四角をイメージしてみて。(宙に腕をふりながら)いち、に、さんって三角のリズム、こっちは、いち、に、さん、しって四角のリズム。自分で三角と四角書いて言ってみて。(手を叩きながら)、「いち」に少し力を入れて、いち、に、さん、こっちは、いち、に、さん、し。ほら、声出しながら手叩いてみてよ。もっと大きな声で!

私がひいたリズムが、三拍子か四拍子かを当てる練習。六歳三女、どうしてもぴんとこない。次第にイライラしていく私。泣きべそ顔になり始めている三女。

こうなると、もう三女の中で「分かろう」という気持ちがシャットダウンしていくのが分かる。「できなくて悲しい」「ママが怒り始めて悲しい」そんな気持ちだけ大きくて。寝る前の時間、三女も随分と疲れている、私も一日走り回りへっとへと。

「じゃあ、明日もうちょっと練習してみようか。ピアノ頑張ってひけたね。先週はぜんぜん弾けなかった曲がすらすらできるようになって!」そう言うと、下を向いてこくんと頷き、涙を堪えた顔で二階に駆け上がっていく。

ピアノが楽しい様子で頑張っている三女。練習も自分から進んでし、練習の合間には自分で色々な音を組み合わせてうっとり聞き入っている。その日も、練習中一本の指をぎゅっと押さえているので、どうしたの?と聞いたら、「ちょっとひねって痛くしておくの、そうしたらね、一じゃなくて三のこの指でこの鍵盤を押すんだって覚えていられるのよ」と。「痛くしたら指が可愛そうよ」ちょっと驚いて言う私。「ふふふ、これくらい大丈夫」。

深呼吸。

すると、先日の三女と四歳次男の会話を思い出した。隣で聞いていて、つい笑ってしまったのだった。

どれだけの幅ジャンプできるかを競う二人。小さな幅から始めて、徐々に広い幅へ。

次男: う~ん、これよりおおきいのできな~い。でもね、もうすこししたらできるようになるんだよ。
三女: うん、もうすこししたらね。
次男: そうだよ、いっぱいれんしゅうしたらね、できるようになるの。
三女; ちがうよ。しばらくね、しないでおくと、できるようになるのよ。
次男: ちがうよ。なんかいもなんかいもしたらできるようになるんだよ~。
三女: そうじゃないよ。しばらくしないほうが、できるようになるんだってば。

子供は一日一日驚くスピードで成長している。心も身体も。

少し待ってみる、すると、コーディネーションや全体的なバランスなどが発達し、すっとできてしまうことがある。今これをしなさいと何度も何度も練習し、互いに何でできない!とイライラし、それでも、あの苦労は何だったんだろうと後で思うほど。

三拍子四拍子なんていうのも、ピアノを弾いている内に、耳も身体も発達し分かってくるもの。「分かる土台」ができてないのに、無理に押し込んでもしょうがない。


ついついこの日までに仕上げないと、といった期限があったりで、強く背中を押さざる得ないこともあるのだけれど、長い目で見ると、「練習を積み重ねて」と「その子自身のレディネスに達して自然に」と、「できるようになった」ということに何ら変わりがない。そして返って無理なくできる時を迎える方が、例え周りに比べ遅いとしても、その身に着けたものが「その子自身のもの」となるのかもしれない、最近上の子たちを見ていてもよく感じること。

確かに何事も練習を積み重ねてできるようになるというのは大切。練習を積み重ねたらできるようになる!といったマインドセットを教えていくことも。それでもその子の中にパッションがある場合はいいのだけれど、周りからの無理やりが続いて練習だけしているといったような場合は、結局それがどんなに高度な技術であろうとその身についたものは、「その子自身のもの」とはなりにくい。

その子自身のパッションを基にした練習を続けつつ、どうしてもできない場合は少し下がり、励ましながら待ってみる。できるできないより、その子自身の内面から湧き出る意欲、それこそを大切にしていきたい。

昨夜の反省を込めて。

混濁の中に何を掬い取り、子供達に伝えていくのか

2013-10-06 06:07:33 | 子育てノート
「ツンドラを歩いたことある? ふかふかして、ちょうどこんな感じ」

 上半身を起こして目をこする私のベッドを、ぽんぽんと叩く音。ネイティブ・アラスカンの村々を訪ねた夏、滞在していた家のお姉さんは、朝になると、こうしてツンドラへベリー摘みに、川へシルバーサーモン獲りにと誘ってくれました。

 週末には、少しお洒落をして、集まりへ。

「マイコには、これかな」

 手作りのビーズのネックレスを首にかけてくれ、少し離れて微笑み。賑やかな笑い声の聞こえるドアを開けると、手作り料理がテーブルを埋め、姪の誕生祝いに、従兄弟の引っ越し祝いにと持ち寄られたプレゼントが積まれています。歌や踊りにと、宴は夜更けまで。

「どの村から来た?」

村人達と同じ黒髪に茶色の瞳、どこへ行ってもそう聞かれたものです。お姉さんは、喉に何かつかえたような独特の音を持つネイティブの言葉をうまく話せない私にウインクしながら、「日本からよ。日本の妹よ」と答えます。

「ああ、日本の村かね。わしらの祖先は、元々は同じじゃったからのう」     

 真っ白な髪をしたお爺さんが、水平線を見つめながら、そう答えました。

・・・・・・・・・・・・
 
 ネイティブ・アラスカンの暮らしは、ここ百年ほどの間に大きく変化しています。今では狩猟採集のみに頼らずとも、スーパーへ行きお金を払えば、肉や魚、野菜や果物まで、一年中手に入れることができます。かつて移動の手段だった犬ぞりは、観光客向けのエンターテイメントとなり、村人達はゴアテックスのジャケットを着込み、雪原にはスノーマシンのエンジン音が響いています。人々の精神的な支柱は、シャーマニズムから、キリスト教へと移り変わりました。押し寄せるキャピタリズムの渦の中、各家庭のテレビからは、次から次へと新しい商品を掲げるコマーシャルが流れ、若者達は、イヤホンの英語のリズムに合わせ、バスケットケットボールに夢中です。

 毛皮をまとい狩猟採集に勤しむ、そんな物語に出てくるような「エスキモー」の暮らしは、もう村々では出会うことがありません。狩猟採集の腕を磨けば、皮のなめし方を覚えれば、パルカの作り方を上達させれば、コミュニティーの一員として幸せに暮らしていける、人々が長い間拠り所としていたそんな村社会の枠組みは、近代化の波に呑み込まれていきました。急激な変化の中、何を拠りどころに生きていけばいいのかと途方に暮れる人々。今日、ネイティブ・アラスカンの、アルコール中毒やうつ病、自殺率の増加が、大きな社会問題となっています。

 人々が長い間拠り所とした価値観や精神文化の移り変わり、最新式の機器に囲まれ流行の衣服をまとい、かといって、がむしゃらに走り続けることで手に入れる物質的な豊かさだけでは、心が満たされないと感じる人々。それは、日本から遠く離れた地球の北の果、ただここアラスカのみに見られる現象でしょうか? 

 欧米諸国に追いつけ追い越せで、著しい経済成長を遂げた日本。経済成長のもたらした受験戦争の激化は、少しでも偏差値の高い大学を出て、大企業に就職しよりステータスのある職種につけるようにと、子供達の背中を押し続けてきました。そうしてたどり着いた先には、競争に打ち勝ったのだからと恵まれた地位に胡坐をかく人々、勝とうが負けようが虚しさを満たすことができず心身症に悩む人々、競争には参加したくないと引きこもりやニートとなる人々、一律の秤で一緒くたに振り分けられ何の希望も見出いせない人々・・・。

 
 変化し続ける枠組みの中で、今、私達は何を大切なものとして選び取り、子供達に伝えていけばいいのでしょうか? 混濁の中に何を掬い取り、次世代へと繋げていけばいいのでしょうか?


 日々の子育てを通し、迷い、悩み、試行錯誤しながら、少しずつ少しずつ私なりの着地点を見つけていきたい、そう思っています。

子育てノート、シュミレーションと心構え

2013-10-06 06:05:54 | 子育てノート
子育てでも、以下の1と2を習慣にしておくと、どっと疲れるサイクルから抜け、スムーズに物事がすすむことがある。


1.いくつかの可能性をシュミレーションする。特に最悪ケースも想定。
2.心を構えておく。具体的に問題を防ぐ術があるなら実行しておく。場合によっては、事前に親子で話し合い、親も子も心を整えておくのもいい。


お皿洗い手伝いたい! 
1.割れる→この忙しい時に!と切れる。
2.割って欲しくないものはどけておく。泡で遊んだり、ゆすぎ切れてなかったりの効率の悪さも、手伝いをしたい!という心を育てるためなのだと心を決める。

自分でミルクつぐの~!
1.こぼれる→だからあなたにはまだできないって言ったでしょ!と切れる。
2.カーペットじゃないところに移動。自分でする!という自立心を育てるのだと覚えておく。失敗に出会ってもさっと解決に向け動く姿勢を教えるチャンスと心の準備。こぼれたなら「どうしたらいい?」と聞き、タオルを持ってこさせ、自分で処理させ(できる範囲で)、「今度はどうしたらこぼれないかな?」と考えさせる。

このゲーム(一人ボードゲームなど)したい! 
1.できない!と癇癪→私も切れる。 
2.「できなくてもいいのよ。できないことを少しずつ少しずつ続けるうちにできるようになるんだからね。怒らないって約束できるかな」と話し合い。癇癪をおこしても、静かに言い聞かせ、少し落ち着いたら抱っこしよう、子供自身にとっても「できない」というストレスに向き合い超えていく練習になる、と心の準備。

・オンライン成績アクセス
1.提出物の穴、クラスでのワークの凹み(テストやクイズと違い、しっかり聞いていれば必ずできるもの)→き~また~!と子供に向かう。
2.「穴あいてるけど、どうしたの?」と説明させるようにしよう(先生のミスや、理由があることもあるもの)。「何ができる?」と聞き、「先生にコンタクトする」「他の事で補えないか交渉する」など自分で考え動くようにさせよう、そう自分に言い聞かせる。

・明日朝6時に起こして!
1.起こす、ねむい、しばらくしてまた起こす、何とか上半身起こす、しばらくして、何で起こしてくれなかったの?!
2.「起きなかったらどうする?」「ねむいとか寝かせてとか僕の言うこと聞かないで、起こし続けて」「水かけようか?」「いや、それは・・・。起きるまで見届けてくれる?こうちゃんと座って何か始めるまで」、そんな話し合い。ベッドから引きずって床に座らせるようにしてます。(笑)

・教えて! 
1.分からない分からない!と癇癪→「何でこんなこと分かんないの!」と私も切れる。
2.「分からなくても怒らず、色々試して分かろうとしていこうね」とまずは同意。分からないなら違うメソッドで教えるなり、じっくり分かるまで付き合おうと自分の心の準備。

・小さな子のいる集まりにぞろぞろ参加
1.兄弟姉妹喧嘩。小さな子には強すぎる言葉、ラフすぎる行動。
2.小さな子は何でも大きい子の真似したがるものだからね、いいことを教えてあげるようにしようね、そう集まりに向かう車の中で話し合い。

・プレーデート
1.わがままを言って相手先に迷惑をかける
2.人の子を預かるっていうのは大変なことだからね。出来る限り家の人のこと手伝ってあげようね、そう事前に話し合い。



何度も失敗・想定外を繰り返し、シュミレーションの幅も広がるもの。爆発してどっと疲れるというのも、また新たなシュミレーションの幅が広がった!ということでもあり。そう思うとまた立ち上がれます。

子育てノート、本人のやる気

2013-09-29 07:14:12 | 子育てノート
次男(四歳)が補助輪なしで自転車に乗れるように。兄姉など周りはやったあ!と騒いでいるのに、本人はそれほど嬉しそうなわけでもないのが何とも・・・。車輪も小さな自転車、こいでもこいでもなかなか速く進まないのが「いまいち」の理由のよう。スクーターのスピードに慣れてしまい、僕はスクーターの方が好きだなと。

元々は、いつもスクーターを追いかけながら、同じ片足だけしか動かし続けない身体の動きが気になり、両側均等に動かせる運動をと、二輪車の練習をさせてみようと思ったのですが、そこへ、周りの四歳のお友達が皆ほとんど二輪車なので、本人もやってみたい!という気持ちになり。

こぎ初めだけ少し支える必要があるのですが、もし自分で乗ってやる!という気持ちが強いならば、それもすぐにできるようになっていたのじゃないかと。二輪車に興味がなくなってしまった今では、ちょっとふらっとしただけで、もう僕はいいやとなってしまう。乗ってやるぞ!と燃えていた初めは、大きく揺れたって、転んだって、すぐに立ち上がりもう一回!と挑戦していたのに。

何事も本人にやる気がないと難しいとつくづく思います。どんな低い壁だって越える気がなければ越えられない。逆に高い壁も、やってやる!という気があるのなら、あたって砕けてあたって砕けてと繰り返すうちに、越えられる時がくる。そしてそう本人がやる気になるなら、周りの支えも何倍にもなって生きてくる。

どう本人を主体的に立ち上がらせるか。どう本人の内の炎を燃え上がらせるか、それが大切なんだなと改めて思わされた出来事でした。

「教育はバケツを満たすようなものじゃない、火を灯すようなもの」
"Education Is Not the Filling of a Pail, But the Lighting of a Fire" by Yeats

周りがあれやこれやしてやろうとしても、本人がやる気にならなければ、それは底のないバケツに水を注いでいるようなもの。
逆にやる気に火をつけることができるのならば、自ら障壁を焼き尽くして進んでいく。


ひとまずちょこちょこと二輪車の練習しつつ、スクーターをいつもと違う片足でこいでみるよう誘ってみるかな。

そう思っていたら、外は初雪! 車輪付きのもので遊べるのももう少しです!


やったあ、乗れた!

喜ぶ兄。

子育てノート、やり通すということ

2013-09-29 07:14:09 | 子育てノート
プレスクールに行っていない次男、午前中少しだけ、パズルをしたりゲームをしたりとしながら、キンダーへ入る準備のようなことをするわけですが、本人自分から「しよう!」と喜んで取り組み始めるものの、できないとだだこねる、負けるとすねる。

上の子たちも同じようなものでしたが、何かを教えるというのは、それができるようになることはもちろん目的なのですが、できるできないというのは、様々ある目的の一つ。物事に取り組む姿勢や意欲を身に着けていくこと、それは長い目で見ると、その場のできたできないの結果よりも、ずっと大切なこと。ついつい目の前の「できたできない」にとらわれ、き~となりそうになる自分へ向けて、覚えておきたいこと。

できたできないの結果でなく、その子が物事に向き合う姿勢を大切にしていく。その子なりの最善を尽くしているかを見ること。褒めるときも「上手にできたね!」「賢いわね!」などの結果よりも、「一生懸命続けたね、えらい!」と過程の姿勢に言及する。

できな~いとしゃがみこむ子を、励まし、再び立たせ、何度もぶつかって末にできたときの喜びを繰り返し体験させていくこと。ふと違う角度から眺め、出口を発見する嬉しさを何度も体験させていくこと。すったもんだありながらも、「できた!」と飛び上がる瞬間を何度も体験させていくこと。陰から少しハードルを下げ、徐々にその子のペースであげていくなどの調整をしつつ。

何かができないとだだこねたり、すねたりは、その後の大きな喜びを体験させるための最高のチャンスでもある。すんなりできない!という痛みやストレスは、その後の大きな喜びに繋がるチャンス。




次女三女の小学校の心理カウンセラーが今年力を入れて取り組んでいるのが、「やり通す(persisting)」という「心の習慣」。”Habit of Mind”by Arthur L. Costa Ed.D.とBena Kallick, Ph.D.を用いたカリキュラムの一環。(過去のブログ「『心の習慣』に加えるもの」 「子供言葉、学び続ける」)

昨日も、次女(四年)のクラスで正方形の布の角を四人で持ち、真ん中に水の入ったコップを乗せ、離れたところにあるバケツに水を流し入れる、ということをグループに分かれてしたそう。途中何度も失敗し、話し合い、工夫し、励まし合い、そんなゲームからも、「やり通す」ことやチームワークを学ぶ。次女のチームの戦略は、コップを少し傾け布に流し、布を伝わせバケツに水を注ぐというものだったらしい。

先週のオープンハウスでは、歴史上の人物の歩みや、様々な分野の人々による「persisting」についての言及が載せられた10ページほどの冊子を受け取った。(http://www.mindfulbydesign.com/より)

「私はゆっくり歩いてきた、でも決して後戻りはしていない」 “I walk slowly, but I never walk backward.” By Abraham Lincoln
リンカーンの歩み:
Failed in business, 1831 Defeated for legislature, 1832 Again failed in business, 1833 Elected to legislature, 1834 Defeated for Speaker, 1838 Defeated for elector, 1840 Defeated for Congress, 1843 Elected to Congress, 1846 Defeated for Congress, 1848 Defeated for Senate, 1855 Defeated for vice-President, 1858 Defeated for Senate, 1858 Elected President of the United States, 1860

「私は賢いというわけじゃない、ただ問題に長く向き合っているだけのこと」“It is not that I’m so smart, It’s just that I stay with problems longer” By Albert Einstein

「世界が『あきらめろ』と言うとき、希望は『もう一回試してみて』とささやく」“When the world says, ‘Give up’/ Hope whispers, ‘Try it one more time.’” By Anon

こういった引用が、A4に10ページほどずらりと並んでいて、目を通し終わった後には、かなりアップリフト。

壁にぶち当たるたび、子供たちと目を通していきたいです。

子育てノート、多様な情報に触れる

2013-09-29 07:12:45 | 子育てノート
「『先生達皆ね、○○(長男)と君は本当に全く違うね』と言うのよ」と散歩しながら長女。小学校も中学校も、ほとんど同じ先生方に上の四人の子を見ていただき、それぞれの先生が口を揃えて言うのが、「兄姉妹と、キャラクター全く違うんですね・・・」。

といって、姉妹の名前はよくごちゃごちゃになっているようですが、「今日も○○先生に、お姉ちゃんの名前で呼ばれたあ」と報告する妹達。(慣れないアジア人にとってブロンドの人が皆同じように見えるように、同じ黒髪黒い瞳、急いでいる時などつい混ぜこぜとなるようです。笑)。


五人育てていて気づかされることの一つに、子供の様子を見て「親がこうだから」とは簡単には言えないということがあります。

集まり先で、テーブルの真ん中においてあるビスケットの山へ両手を伸ばし、ぼろぼろと屑を落としながら両手交互にむしゃむしゃと食べ始める子もいれば、どこへ行っても行儀よく受け皿を手に屑をカーペットにこぼさないよう食べようとする子もいる。

「何て言うの?ほら大きな声で」とささやかれながら、やっとのことしがみつくママの足から顔をのぞかせ、こんにちは・・・、ありがと・・・、と蚊の鳴くような声で言う子もいれば、初対面の人に対しても、こんにちは! ありがとうございます!と目を見て元気よく言える子もいる。

「で、宿題いつする計画?」と何度か部屋を訪ねる必要のある子もいれば、学校から帰ってすぐ机に広げ済ませてしまう子もいる。

「この部屋だけ竜巻が頻繁にやってくるわけね・・・。掃除しなさい!」と叫ばれしぶしぶ片付け始める子もいれば、嵐が全く訪れる様子のない常にそよ風吹く部屋もある。

きつく叱ったり、少しストレスが続くとチックのような症状が出る子もいれば、どんなに叱っても、かなりのプレッシャーやストレスに囲まれようとも、そんな症状には縁のない子もいる。

できない!と癇癪を起こし、仰向けになって床をどんどん叩き、自分の部屋に走って行ってドアを勢いよく閉め、引き続きどたんばたんと暴れ続け、うわ~ん!と家中響き渡るような声で叫ぶ子もいれば、口を結び黙々と何度も何度も試し、できた!と満面の笑みを見せ喜ぶ子もいる。

お友達の家で楽しく遊んでいる時に、「帰る時間よ~」と声をかけると、「いや!もっと遊ぶ!帰らない!」と口をとがらせ、何度何度も説得したあげく、柱にしがみつく子を引き剥がして車に詰め込む必要がある場合もあれば、「帰る時間よ~」という声に、いそいそと玩具を片付け始める子もいる。


後者の子と一緒にいると、よく躾ができてるわねえ、お母さん上手に育てて~、秘訣は何?などと聞かれることもあるわけですが、前者も同じお母さんの子供なわけで・・・。どれほど謙虚にさせられてきたか分かりません。(笑)

そしてたまたま後者の子を育てた人が、子育ての秘訣はね、こうすればいいんですよ! と話したことを、たまたま前者の子を育てている人が試し、そんなことでは全然うまくいかないんです・・・とため息をつくこともある。

手のかからない子もいれば、より手のかかる子もいる。「お母さん/ お父さんがこうだから子供がこうなる」とは、そうそう簡単に言える言葉でもない、そうつくづく思います。

確かに子育てには、普遍的ともいえる大切な土台というものがあり、それが、「たっぷり愛情をかける」ということなのだと思いますが(五人育ててやっ体験として分かったこと!)、その基本的な土台の上に、様々なケースに対応できる情報に触れていきたい、そう思っています。

子育てノート、そんな「何か」との出会い

2013-09-29 07:11:21 | 子育てノート
一つのことにじっくり集中して取り組む続けると、そこで発見したり身につけたりしたことが、他の面にも生きてくる。子供たちを見ていると、そんな「何か」に出会ったんだなと感じることがある。

最近の次男(四歳)にとっては、「ラッシュアワーJr.」というボード・ゲームが、そんな「何か」の役割を果たしてくれた。

いくつかの車やバスを動かし、アイスクリーム・トラックを取り出すという、一人でするゲーム。一から四十まで並べ方があり、徐々に難しくなっていく。ここ一ヶ月程の間、何度もできないと泣きべそかき、すねて横になり、それでもしばらくすると、どうしてもまたしたくなってしまうということを繰り返していた。

初めの頃は、アイスクリーム・トラックの周りだけ見てスペースを作ろうとしていたのが、アイスクリーム・トラックを取り出すには、このピンクのバンが邪魔している、それにはこの緑の車を寄せて道を空けなきゃいけなくて、それにはこの離れたところにある黄色のバスを動かさないといけない、それには・・・。そう徐々に、その先を考えられるようになっていった。そして今週、とうとう最後のチャレンジ二つを残すまでに。

何よりも今回学んだのが、途中で投げ出しそうになっても、続けて取り組むことで得られる喜び。もう嫌!分かんない!となりながらも、続けたからこそ前はできなかったこともできるようになった、努力して練習するのなら、そんな喜びが手に入るんだという「マインドセット」。

「ラッシュアワーJr.」のチャレンジが進むごとに、僕ABCもっと練習したらお姉ちゃんみたいに絵本が読めるようになるかな。ジャンプの練習したらあの広い溝も越えられるようになるかな。投げる練習続けたらあれぐらい遠くまでボール届くようになるかな。そんなことを日常の端々で口にするように。

五人の末っ子、少し駄々をこねれば、いくつもの手が助けに飛んでくるような環境で育ち、もうだめ~、できな~い、とすぐに投げ出すところのある次男。嬉しい出会いでした。

こうしてこうしてね・・・、ぶつぶつと。

上の子たちも大好きだった「ラッシュアワーJr.」、車大好き次男にとっては、一つの転機に。

移民先生の米国市民権修得宣誓式、国を愛するということ

2013-09-22 07:07:53 | 子育てノート
こちら今週は「憲法の週(Constitution Week)」(September 17 to September 23)。1787年9月17日に制定された憲法についての教育促進を目的とした週。

長男長女の中学校では、アメリカ市民権収得のための宣誓式が行われた。中学校で生徒達を前に実際の宣誓式が行われるというのは稀なことなのだけれど、長男長女の通う中学校の先生の一人が、この日アメリカ市民になるということで、体育館に全校生徒800人が集まっての宣誓式となった。「生きた公民の授業」と、長男長女の社会科の授業でもこの日に向けての話し合い何度か。少しフォーマルな服を着てくるようにと指導され、地元メディアも駆けつけ(写真記事by Anchorage Daily News)。

15年近くアンカレッジの小中学校で教え、今はスペイン語イマージョンプログラムの8年生にアメリカの歴史とスペイン語を教えるベネズエラ出身の先生。その他、ドイツ、ドミニカ共和国、マケドニア、ブータン、コロンビア、イギリス、セネガル、メキシコ、ペルー出身の9人が、この日アメリカ市民となった。

今週アメリカ全土でアメリカ市民になるのは、1万8千人近くといわれる。毎年70万人近くが市民権を収得するとのこと(アラスカ人口と同じくらい!)。

様々な書類審査、英語でのテストやインタビューを終え、市民権収得最後のステップとなる宣誓式。宣誓の他に、来賓挨拶、州議員やオバマ氏からのビデオ、8年生ジャズバンドの演奏、愛国心についてのビデオ鑑賞があり、一時間半ほど。

生徒達に囲まれ、右手を胸に当て、宣誓を誓う10人。

宣誓(Oath of Allegiance)の内容は主にこういったもの:

1.以前保持したすべての外国への忠誠の放棄の誓い
I absolutely and entirely renounce and abjure all allegiance and fidelity to any foreign prince, potentate, state, or sovereignty of whom or which I have heretofore been a subject or citizen

2.国内外の敵からアメリカ合衆国憲法を守る誓い
I will support and defend the Constitution and laws of the United States of America against all enemies, foreign and domestic

3.法律が定めた場合、兵役に従事する誓い (戦闘員もしくは非戦闘員として)
I will bear arms on behalf of the United States when required by the law I will perform noncombatant service in the Armed Forces of the United States when required by the law

4.国家の大事の際、法律が定めた市民としての義務を果たす誓い
I will perform work of national importance under civilian direction when required by the law; and that I take this obligation freely without any mental reservation or purpose of evasion

そして最後は、「ですから、神よお助けください(so help me God)」 で終わる。

(宗教的理由により3は省いてもよい自由が与えられている。)



「アメリカ市民宗教(American civil religion)」という社会学の説がある。アメリカ合衆国というのは一種の宗教でもあるという見方。以下のような考えは、確かにアメリカ国内で広く行き渡った文化的現象と言えるかもしれない:

•アメリカは神に選ばれた国。"America is God's chosen nation today."
•大統領の権限は神からのもの。"A president's authority...is from God."
•社会的公正は法によってのみでなく宗教にもよらなくてはならない。"Social justice cannot only be based on laws; it must also come from religion."
•神はアメリカ人の経験を通して知られ得るもの。"God can be known through the experiences of the American people."
•建国記念日などの休日は愛国的であるだけでなく宗教的でもある。"Holidays like the Fourth of July are religious as well as patriotic."[5]
•ゴッド・ブレス・アメリカ! "God Bless America"
(ウキペディアより)


公立の学校では、毎朝生徒達が右手を胸に当て、次のような「忠誠の誓い」を唱える。我が家の上四人もですが、公立学校に通う子供たちは、毎日のことですから皆暗記しています。

"I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.”
(私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います)(ウキペディアより)


こうして見てくると、市民権収得宣誓式というのは、アメリカという国家への「入信式」にも見えなくありません。そしてどんな国家というのも、大なり小なりこうした宗教的性質を持っているのではないかとも思います。



子供たちと、「国を愛する」ということについて、話しました。

お世話になり、与えられ、守ってもらうものを愛するのは、尊いこと。

それでも、他者にもまた、そんな愛するものがあるのかもしれないと覚えておく。

自身の愛するものを守るために、自身の愛するものの繁栄のために、他者の愛するものを踏みにじってもいいのかということ。

自身の愛するものと、他者の愛するものとの間で、何とかして互いが納得する着地点は見つからないかと模索していくことの大切さ。

どんな国でも、国民一人一人は温かく善き人々だったりする。そんな一人一人の温もりを決して忘れないこと。一人一人の温もりをおきざりにして、国家を語らないこと。



生徒達に慕われてきた先生の、市民権修得を祝いつつ。

次男との時、今、迷いなく

2013-09-15 03:00:01 | 子育てノート
上の子達が学校に出払う日中五時間ほど、プレスクールも習い事もしていない次男と、二人で過ごす。掃除洗濯スナック&食事の用意をしながら、ゲームしたり、作ったり、歌ったり、絵を描いたり、少しだけ読み書きもし、昼からはなるべく外で身体を動かすようにしている。

次男を見ていると、普段常に上の子たちに囲まれているので、こうした自分のペースで何かができる時間というのを、とても楽しんでいるよう。昼から同じ年頃のお友達に会えることがあるのも嬉しそう。

一人の子と一日中顔を向き合わせてということを、結構楽しんでいる自分がいる。上の子達のときは、かなりストレスになることもあった。自分の時間が全然ありやしない、24時間ノンストップじゃないか。

それでも、今上の子達を見て、小さな子供時代に過ごす時というのが、とても大切なのだとしみじみ思う。周りに溢れる様々な価値観を覗き込み、試し、ぐらぐらと揺れ動き、慣れ親しんだ価値観を示す親とぶつかることもある思春期の子供たち。頭で考え合うだけならば、ぶつかるしかない。それでもその底で、異なる価値観を超えた絆のようなものがある。まだ小さな頃、何気なく傍らで過ごした時、一緒に走り回って笑った時、共に積み重ねた体験、それらの一つ一つが、そんな絆を築いてきたということなのかな、そう最近よく思う。

今次男と向き合いながら、以前に比べ自身がより軽く感じるのも、もちろん五人目でどうしたらいいかの要領がより分かるということもあるけれど、迷いが少ないということが大きい。こうして過ごす一つ一つの瞬間が、その後の親子関係の土台になる、未来の関係に大きく繋がっている、その道筋が見えるから。

ああ一人になりた~い、もう一日中顔つき合わせて頭がおかしくなりそう、ほんと言うこと聞かないんだからき~、小さな子を前にため息をつき。それでも今こうして一緒に怒って笑ってと過ごした時の一つ一つが、どれほど大切だったかと振り返る時が必ず来る。

まずは、It’s really worth it! 今こうしていることに本当に価値がある!という感覚、その上に、自分をうまくリフレッシュする術を見つけていくこと。私にとってはそれが、早朝の読んだり書いたりの時です。


次男との時:

家事をしていると、作ることやお絵かきに没頭。


波がゆらゆらと揺れ海のモンスターにサメに、水のイメージだそう。ます目の一つ一つの○は魚らしい。


上の子達に少しずつ購入したものが積み重なり、ゲームの種類も今では色々。次男も大好きなよう。少しずつ難しくなっていき、今日は次のレベルができた!と積み重ね感があります。

プリンスとプリンセスが会えるように橋を築く。


四つの積み木を組み合わせ車完成させる。


動物をぬってジープを取り出す。


二人でするもの。色と形と数のどれかを合わせていく。


昼からは外で汗をかく。私も運動不足解消とはりきり。最近は自転車よりもっぱらスクーター。かなりスピードが出、早歩きの私ははるか遠くにおいてけぼり。


海沿いを行く。あれは岩?氷? 冬の景色が目に焼きついているようです。

毎晩ドアを閉め、次女と二人の時間

2013-09-08 09:25:04 | 子育てノート
 今週も一度、先生方やコーディネータを含め次女について話し合って下さった。弱いところがピンポイントできてきているので、ひとまずその弱いところを家で重点的に補強学習してみることで、変化が見られるかどうかを見守っていこうということに。こうしてどうしたらその子がよりよくなっていくかと親身になって下さるスタッフに囲まれ、本当にありがたいことです。

 普段、宿題で分からなかったりできなかったところをおさらいしておしまい、となりがちなのですが(といって四年生、宿題も三十分もあれば済ませられる量)、それプラス、毎日最低三十分程、ドアを締め切った静かな部屋で、集中的に補強学習する時間を持ってみることに。私自身仕事で家庭教師をしているくらいのつもりで、毎晩三十分は何としてでも取るように。兄弟姉妹にも三十分はノックもしないようにと伝え。

 遮られることなく静かな部屋で一対一でじっくり座って、というのは家ではほとんどない時間なのだと改めて気がつきます。勉強ももちろんはかどるのですが、上に下に挟まれ真ん中の子で普段どうしても目をかけられることの少なくなってしまう次女の嬉しそうな様子が、心に響いています。

 ああ嫌だ!と、ストレスになりそうな文章でも、そう感じたらまず呼吸を整えて、一回で頭に入らなかったら二回三回とじっくり読んで。また今のところ有効だと感じるのが、文章を読む端からメモを取り、キーワードを書き連ね、必要なら図式化してみるということ。そんな工夫を試すことで、まずは、文章に対する嫌悪感というものが随分と減ってきたように感じています。

 この夏頃から興味のあるトピックや物語などを自分から読む姿が見られるようにはなってきてはいたのですが。それまでは、学校の課題以外は自分から文章を読むということをほとんどしませんでした(学校ではかなりの量読まされ、課題も何とかこなしていたようですが)。兄姉は、小さな頃から家でも本の虫。

 またすぐにできてしまうことと、できないことの差が大きくて、できないことに取り組む意欲が削がれてしまっているようなアンバランスさも感じます。できないことにしばらくじっくりと取り組む時間が必要なのだと。今の様子を見ていると、「どうしてもできない、どうしてもできるようにはならないだろう」というより、「エキストラの努力が必要」つまり「エキストラの努力をすればできる」という方が合っているように感じます。それは長男のスペリングなどにも当てはまるのですが。テストなどは集中してエキストラの努力をするのでできる。

 といって、「なんで努力しないの!」と怠けているように思われてしまうのも、ディスレクシアの人々が抱える苦しみと言われ。次女と長男はさておき、その症状の重さによって、周りの想像以上の努力が必要な場合もあるのでしょう。

 まずは二人になる前に、私の気持ちを整えて。普段鍋が焦げないようにとか兄弟姉妹喧嘩の仲裁をしながらとか明日出す書類を揃えながらなど、何かの片手間に宿題などを見ていると、二度三度繰り返しても分からないようだと爆発してしまいそうになることがあるのですが、分からないのならば、百回でも穏やかに繰り返そう、とにかくどうしたら分かるようになるかにフォーカスしようと予め心を整えて。そして何よりも、学んでいるということを共に楽しむ姿勢で。


 こんな時を次女と過ごしながら、昔読んだスティーブン・コビー氏の話を思い出しました。九人の子供さんを育てられたコビー夫妻。男の子の一人が、なかなか思うような成績を取ることができません。そこでよくよく観察してみると、一つ一つの問題の設問の意味が、よく呑み込めていないことが分かったのです。そしてお母さんと息子君の二人の時間が始まります。毎晩二人で座り、文章を読むということの練習を繰り返します。コビー氏は、振り返ってみても、これほどこの子にとって幸せな時があっただろうかと言います。そしてそれは、母親にとっても同じだったと。

将来今を振り返り、そんな言葉が言えるようであればいいなと、願っています。今はもう嵐の中でがむしゃらです。(笑) 



 次女がディスレクシアということなのかよく分からないのですが、改めてディスレクシアについて思うとき、知能的には何ら周りと変わらないにも関わらず、人と人とのコミュニケーションの要である「言語」をうまく操れないということは、本人にとって、それはものすごいストレスでしょう。学校の勉強などでも、「言語」能力はどんな分野であろうと要、上下評価に大きく作用します。

 ディスレクシアと診断された人々が表してきた数々の作品群、映画や演技や様々な分野での功績の一つ一つ、それらは、そんなとてつもない内面的葛藤の爆発した形でもあるのかもしれない、そう思っています。

ディスレクシア、弱点の認識と人並み以上の努力と

2013-09-01 08:27:09 | 子育てノート
新学期始まり、子供たちの通うプログラムの新しいコーディネータと話し合った。以前少しディスレクシア(読字障害)について書いたのだけれど、次女の様子について。新学期になると、その子のレベルを見るためのテストなどが様々されるのですが、やはり、ぽこりぽこりと穴が開く。十分にその問題を解く能力があるはずなのに、できてなかったりする。インストラクションの読解に関わることなのだろうと。そしてそれが、日本語スペイン語英語とこんがらっているためなのか、ディスレクシアのせいなのか、年を経るごとにできるようになっていくのものなのか、今何らかの対処をするべきなのかと話し合う。ディスレクシア専門家による検査をしてもらい、具体的に改善に向けできることをしていこうということに。

ただディスレクシアといっても、その症状は様々で一言でくくるのは難しいとされます。よく挙げられる典型的な例は文字が反対に見えたり、最初と最後の文字が入れ替わって見えたり、スペリングが苦手だったりということですが、次女は、しっかり読めスペリングも得意な方で字もきれい。それでも読んだすぐ後に忘れてしまったり(短期記憶能力の欠如もディスレクシアの特徴とされる)、一単語一単語が浮き出て文章の全体像が見えなくなったり、他のディスレクシアの症状には当てはまるものが多い。

米国では10人に1人、遺伝率は26から65パーセント!と言われるディスレクシア。夫と義父が重度のディスレクシア(夫は中学生になって初めて文章を読めるようになり、高校になるまで本を読めなかった)なので、何らかの形で子供たちにも出るかもとは覚悟していたのですが、今のところ下の二人はまだ小さすぎてよく分らないのですが、長男に少し、次女に一番出ているよう。

ディスレクシアには3タイプあるようです。

1.障害が能力を打ち消す(Disability negates abilities)タイプ
能力が学校で支援されることなく、隠れたままになっている。

2・障害と能力が対等(Disability equals ability)タイプ
能力が何とか障害を隠している。オールC(五段階で真ん中)の生徒など。

3能力が障害より大きい(Abilities greater than disabilities)タイプ
カリキュラムが難しくなるにつれ欲求不満が増すかもしれない。

学校の教育現場では、主に1と2が表に出る。3はテストが多くなるなどで表に出ることがある。

今のところ次女は3のグループに入っているのでしょう。そして3のグループは専門家によってさえなかなか捉えられにくいこともあり、普通の学校生活に支障をきたすほど明らかに症状が出ている子供を主に扱っている公立学校の心理学者では、対処は難しいかもしれないとも感じています。

長男は、スペリングや書く(このスペルの問題は家系的なものですねと四年生の時に先生に指摘され。文章間のピリオドやスペースも抜けます)ということのみに出ているようで、○を埋めていくようなテスト結果で振り分けられていく今の学校制度の中でも何とかやっていけているようですが、これから次女がどうなっていくか、彼女がどんな道へ進んでいくのがいいのか、考えてしまいます。

読解ができない、スペリングミスというと、子供によくありがちな問題や間違いとも言えますが、その度合いの極端さ(何でもないインストラクションの意味が分らなかったり)、他の面に比べての凹の極端さ、それがいわゆる「障害」と言えるものなのでしょう。

重度のディスレクシアを克服し(というよりうまく弱点に対処する習慣を身につけたということでもあるかもしれません)暮らす夫曰く、やはり「人並み以上の努力」しかないと。人が一度でできることを三度五度十度する。そのための時間配分を調整し。

薬などもなく治ることはないとも言われますが、ディスレクシアを抱えつつ活躍されている方も多くいるようで、鍵はやはり自分の弱点を知り、弱いと認識していることについてより多くの努力を注ぐ習慣をつけていくということのようです。

人の何倍も時間をかけ何回も何回も読む、読み間違いをしていないか何度も確かめる、スペルを必ず何度も見直す、読み終えた瞬間に忘れてしまうのなら読みながら随時メモを取るなど。トム・クルーズやロビン・ウイリアムズも台本を覚えるために読んで音声に落として聞くなど工夫したり、映画監督スピルバーグなども重度のディスレクシアで二年留年したそうですが、いまだに台本を読むのに人の何倍もの時間をかけるのだそうです。

歴史上の人物を見ても、個性的独創的な才能を持つ人々も多いディスレクシアですが、読み書きが中心的位置を占め、時間制限のあるテストで振り分けられていく現代の教育環境の中で生き残っていくのは、現実的に難しいことだなと感じています。こうしてディスレクシアの人々にとっては至難の21世紀という見解もありますが、同時に、コンピューター技術が発達し、スペルもコンピュータにまかせられたり、読むより音声で聞き取ることができたり、書かずとも口で表し文章に綴ることができたりと、よりディスレクシア・フレンドリーな社会になるという見方も。

対処が早ければ早いほどよいとも言われているディスレキシア。そういった意味では、家では四歳頃から読み書きを教え始めたのですが、それがある意味よかったのかもしれないなとも感じています。早期教育には様々な見解があり、弊害も確かにあると感じていますが、もし家系的にディスレクシアの要素があるのならば、読むことだけでも早くから少しずつ訓練していくのも手かもしれません。習得するのに他の子の何倍も時間がかかるのですから。夫はこのことをかなり身にしみて感じていたようでした。先に挙げた3タイプも、周りの支援によって、1から2へ、2から3へと移していくことが可能なのかもしれません。

また多言語教育についても、ディスレクシアの要素を持つ場合はかなり高いハードルであり混乱の原因になるとも言われています。家はどうしても物理的にこれだけしかできなかったという理由で、私が話し続けるという以外には日本語教育をできなかったのですが。

もう一つ、一度マスターするとその到達点も高くなる場合があるというのも感じています。読み書きに苦労していた長男ですが、一年生時には九年生レベルの読解力とテスト結果に出ていました(歴史や科学の百科事典が大好きでした)、九九を覚えるのに本当に苦労した次女でしたが(二年生から三年生にかけての夏中三ヶ月かかりました。九九を覚えられないというのもディスレクシアの症状の一つのようです)、夏が明けるとクラスで最も九九をすばやく操れる子と言われるようになっていました。

次女も、自分にはどうしてもできない部分があるということを分りつつあるようで、それでも今のところ、家庭教師をつけて欲しいと言ってくるなど、落ち込みやる気を失うと言うよりは、自分の弱みを何とかしていきたいと思っているようです。私も自分自身が苦手と感じたこと、分かりたかったんだよなあ、できるようになりたかったんだよなあ、そう思い出したり。夫がそうであったように、弱みを認識し、その部分には人の何倍もの努力をする習慣をつけていくこと、強い部分を生かせる道を見つけていくこと、彼女がこれから社会で1人で歩いていくために、夫と共にその助けになっていけたら、そう思っています。

現状の学校制度でうまくいかないということならば、ホームスクールも考えていこう、そんな話もしているところです。

早期教育について、まとめ

2013-09-01 08:25:08 | 子育てノート
・臨界期?
早期教育を促す大きな理由の一つが「臨界期がある」という考え方です。何歳から何歳までの間「のみ」特定の能力を司る特定の脳の部分が発達する、その時期を逃すとその能力を獲得することができない、というものです。例えば言語習得でいうと母語が三歳から五歳までの間(by Eric Lenneberg)、第二外国語は十六歳くらいまで(by DeKeyser)などと言われています。早期教育の現場では当たり前と捉えられている「臨界期」という考え方ですが、それでも臨界期があるというのは、科学的には今のところ仮説の域を出ていないと言われています。

長男が1歳の頃、この「臨界期」という考え方に触れ、子供が小さな時の働きかけが後に大きな違いを生むというのならばと、半信半疑ながら取り組み始めました。文字やパズルを教え、三歳一年間だけでしたが公文に通わせ、読み書きの家庭教師につき、科学館や博物館に頻繁に通い、百科事典を共に読み、ドーマン博士のドッツ法や文字を教える方法、フラッシュカードも一ヶ月程だけでしたが試してみました。
長男に対する盛りだくさんの早期教育も、下の子が生まれるにつれよりシンプルになっていきました。それは一つには、子供の人数が増えることで一人一人にかける時間が限られ、早期教育の内容をより吟味し、本当に必要だと思う内容に絞るようになったためということがあります。そしてもう一つには、私自身が子供に向き合う体験が増えるにつれ、子供の様子や気持ちがより分かるようになり、初めての子の時にはよく見えなかったまた別の大切なことが、見え始めたためでもあります。  
二人目からは文字や数や色など抽象的な概念は、ゆっくりと教えていくようにしました。五感での体験を中心に据え、三歳頃までは言葉での説明もなるべく少なくし、文字や数などの読み書きも三歳過ぎまでは教えないようにしました。物事を抽象的に捉え始める前と後とでは、子供達の世界の捉え方が大きく変化します。抽象的概念の習得は、子供にとってとても大きな出来事なのです。


・抽象的概念を早くから教えるのはもったいない
例えば、ドーマン博士の「読み」の教え方は、家の各所に大きく文字を書いた紙を置いておき(「台所」「鳥籠」など)、赤ちゃんがその地点に来るたびにその紙を見せ続ける、すると赤ちゃんはその紙を見ただけで、「読む」ことができるようになる、というものです。子供達と過ごす時間が増えるにつれ、こうして子供に文字を教えていくことに違和感を感じるようになりました。感性の敏感な時期に、見たもの感じたものを一言に集約させてしまうことが、もったいないと感じるようになったのです。台所は「台所」というような一言でおさまるようなものではありません。シンクに積み重なった皿、カウンターに置かれたガラス瓶に反射する光、冷蔵庫を開けたときの冷たさ、鍋から立ち上がる湯気の温もり、レモンをざっくり切ったときの匂い。「鳥籠」には黄色と青色のセキセイインコの鳴き声が満ちていて、抜け落ちたカラフルな羽が隙間に張り付き、止り木を突く振動がリズミカルに響いているかもしれません。

 いずれ「台所」、「鳥籠」と一言で括ってしまえる時が来ます。赤ちゃん時代まで前倒しして文字を教えることは、固い大人の頭では想像もつかないほど豊かな子供達の世界を、狭い枠に押し込める作業なのではないかと感じるようになりました。そして赤ちゃん期から読みや数字を教え込む早期教育というのは、少し大きくなれば一時間もあれば学んでしまうことを長い期間かけて訓練することで、ひょっとしてその時にしかできないかけがえのない体験の機会を、無駄にしているという面もあるのではないか、そう思うようになったのです。

 長女が五歳の時、色をうまく識別できないことがありました。ピンク色の人形のドレスが、ピンクでもあればピンクでもないと言うのです。葉は何色? 水は何色? お絵かき中のそんな質問にも、とまどって答えられません。「赤色のペンを取って」と頼んでも首を傾げたまま動きません。電子機器の点灯する光も、左目で見るのと右目で見るのとでは違う色だと言います。色についてのコミュニケーションが、なかなかとれませんでした。念のため色覚異常の検査を目医者にしてもらいましたが、結果は異常なしです。

長女によく聞いてみると、ドレスは角度によって色を変え、晴れの日と曇りの日では木々の葉は違う色だと、朝と夕方では湖の色は同じ青色ではないと、赤色のペンは濃い赤もあれば薄い赤もあり、点灯する黄色は陰のさし方によって異なる、と言うのです。「緑」や「青」と一言では括られない多様さ、五歳の彼女が見ていたのはそんな風景でした。この長女の出来事は、抽象化を習得する前の、境界の無い豊かで鮮やかな子供達の世界を示してくれました。
いずれ繊細な色の変化や違いも一緒くたに「緑」「青」と言ってしまえる時が来ます。実際長女も小学校に上がる頃には、自然と色について迷うことがなくなりました。多様に溢れるものを一つの箱に押し込み、札をつけて終わり、そんな練習を早くからさせるよりも、溢れる多様さの中に、もっとゆったりと思う存分遊ばせてあげたい、そんな思いが徐々に強くなっていきました。

抽象化の練習を早くからすることは、空っぽの箱を前にまずはいくつかの札を渡され、その札に合わせて箱に物事を詰めていくようなものです。札に合わないものは手に取ることなく札に合ったものだけに注意を向けるようになります。逆に五感を通しての体験を積み重ねたところに抽象化が導入されるのならば、それは既に多様に溢れている物事に少しずつ境界を引いていく作業になります。リアルな体験を通しての物事を整理することで、札一つ一つの中身は深く幅広くより安定したものとなります。

「赤」という紙に描かれた一つの色から学ぶのと、血の赤、夕焼けの赤、りんごの赤、バラの赤、隣の女の子の靴の赤、お姉さんの口紅の赤、秋の木々の赤、焚き火に燃える赤、雪の中に見つける冬帽子の赤、それら様々な「赤」を五感を通して知った上で「赤」という色を学ぶのとでは、その「赤」の中身の豊かさは全く違うでしょう。

 教育哲学者のシュタイナーは、七歳までは知的面の働きかけは避けるべきだと言います。そちらに関心エネルギーが向かってしまうことで、身体の健やかな発達を促すことが難しく、想像力や創造性を損なうことにもなってしまうと言うのです。確かに知的面に偏り過ぎると、様々な面にひずみがでるというのは本当かもしれません。長男を振り返ってみても、おねしょが長引いたのは、知的面への偏りが原因だったのではないかと今となっては思います。より全体的なバランスに気を配るようになった二人目からは、そういった問題は見られなくなりました。そして長男のおねしょも徐々に落ち着いていきました。(おねしょの原因が必ずそこにあるというわけではなく、あくまでも一つの例です)


・机での取り組みより実践体験をメインに
 かといって、幼い子に知的面への働きかけを全くするべきではないとは、私は思いません。大切なのは、どれほどの年齢からどれほどの力や時間をかけるのか、そしてそのやり方です。子供達を見ていて、家の子達の場合は、三歳くらいから抽象的な概念を操る練習をしていくことは、子供の成長にいい影響を与えたのではないかと感じます。子供達は抽象化を少しずつ覚えることで、それまで積み重ねられた体験を整理する喜びに溢れているようにも見えます。ただその子の様子を見つつ、少しずつ、働きかけ方に気をつけながらです。

 保育者の仕事とは、抽象化と実践体験を行き来しつつ繋いでいくことだという保育士さんの対談を読んだことがあります。例えば滑り台などでの順番待ちという実際の行為と、赤白青とパターンになった折り紙の飾り作り、それらの行為を繋げてABCABCというような抽象的なパターンを習得させていきます。抽象的なパターンのみをドリルなどで何度も繰り返し教え込むのではなく、抽象的な概念と生活に根ざした実際の体験とを行き来しそれらを繋ぐことで、子供達は成長していくというのです。
私はこれが、早期知的教育の鍵だと感じます。つまり、小さければ小さいほど、体験を切り落とした机上で抽象的概念を操る練習をするよりも、五感を使った実際の体験をたくさんさせ、それらの体験と机上での学びを繋げるような働きかけをすることが、子供にとってより無理のない成長を育むのです。


・三歳頃からの取り組み具体例
 三歳にもなった子供の知的欲求というのは、ものすごいものです。「あれはなに?」「どうして?」そんな質問を一日中するものです。それらの質問一つ一つについて、具体的な物事を用い五感での体験をさせつつ、説明していきます。道を行くミキサー車を見て「あの車はなに? なんでぐるぐるまわっているの?」と聞く子には、実際にセメントが用いられている工事現場や、ミキサー車が出入りする工場へ出かけるのもいいですし、粘土などを用い、溶かし回して固めるといった体験をさせるのもいいでしょう。そういった五感を通した体験と共に、ミキサー車の出てくる物語や、ミキサー車の仕組みなどが説明された百科事典を読むのもいいです。学齢期までは、机上で書いたり問題を解いたりの取り組みは、ほんの少しで十分です。五感を通した学びを大切にしつつ、ゲームや遊び中心の方法で、十の体験の上に一の机上の取り組みをのせていく、それくらいのバランスが丁度いいと感じています。

 文字を教える際は、実際に身体を使ってその文字の形を表してみるのもいいでしょう。砂の上に描いてみたり、小枝で文字を作ってみるのもいでしょう。その文字で始まるものをリズムに合わせて唱えたり、カルタやこの部屋で「あ」のつくもの探してみよう、というようなゲームもいいでしょう。数を教えるには、周りに溢れる「多い少ない」ということから教えていきます。「見て見て、この電線、こんなにいっぱい鳥がとまってる。あちらの電線はちょっとだけだね」。「うわあ、○○君大きくなったね。妹の○○ちゃんは小さくて可愛い、○○君は五歳で、○○ちゃんは二歳なんだね」といったように、身の回りの物事を「多い少ない」という概念に結び付けられるような言葉がけをしていきます。階段を登りながら数を数えてみたり、かくれんぼをして鬼の数える声を聞かせるのもいいでしょう、玄関先に咲く花びらを数えたり、落ちている石を数えながら拾ってみるのもいいです。身近な生活の中に、学習の条件材料が溢れています。プリントされた紙を前に座って学習するよりも、なるべく身体を使い五感に働きかけ、遊びやゲームをふんだんに取り入れます。


・心に留めておくこと
 そして常に心に留めておきたいことは、できたできないというような結果によって、その子をジャッジしないことです。これくらいの年にできたできないということが、その子の将来を決めてしまうということはありません。あの天才とされるアインシュタインも、七歳までまともに読み書きができず、周りから知能が低いと思われていたといいます。その子なりのペースとやり方で発達が進んでいるのです。

 本当にもったいないと思うのは、この子には才能がないからと、周りの大人があきらめてしまうことです。周りと比べ歩みを止めないこと、そのためには早期教育をするそもそもの理由を整理しておくのも大切です。決して○○さんに負けたくないから、というような理由ではないはずです。

 成長というのは、単純な一直線上に伸びていくわけではありません。横ばいになったり、時には落ち込んだりもしながら伸びていくものです。目先の結果に拘ることなく、学ぶことを一緒に楽しむといった姿勢で気長に向き合っていくことです。親が楽しんでいる姿を見るのが子供は大好きなもの。親が楽しんでいる様子を見て、自分も学ぶことを楽しむようになるでしょう。共に学ぶことを楽しんだ体験は、大きくなってからも大切な思い出として子供の心に残ります。長い目で見れば、試験の結果がよかったというようなことよりも、そんな思い出の方が価値があるのです。


・三歳頃までは?
 三歳頃から始める知的面への働きかけについて取り上げましたが、それでは三歳頃までは何をすればいいのでしょうか? 例えばこんな研究があります。最新の設備が整った裕福な託児所と、貧しく設備に恵まれていない託児所での乳児の発達を調べたところ、貧しい託児所の方が、子供達の発達がめざましいという結果が出ました。なぜかと調べてみると、裕福な託児所では、設備が行き届いているため、保母はほとんど何もする必要がなく、乳児たちは一日中快適な環境に寝かされたままでした。一方、貧しい託児所では設備が整っていない分、保母が頻繁に抱っこしたり外に散歩に連れ出したりと、忙しく一日中動き回っていたことが分かったのです。適度な刺激が成長を促すことを示唆する実験結果は、この他にいくつもあります。三歳まではこうした「適度な刺激」を与える、ということに気を配るといいのではないでしょうか。

「適度な刺激」とは、人ごみに毎日のように連れ出したり、大音響の3Dの映像を見せたりというようなことではありません。朝日の眩しさを感じさせ、夜は暗闇の中で涼しい空気に触れさせ、めりはりのある規則正しい生活リズムの中で、抱っこなどのスキンシップをたくさん取り、お話ししたり歌ったり共に遊んだりとコミュニケーションをたくさんとり、様々な色や形や材質のものを触らせることです。

 普段の生活の中に、最適な刺激が溢れています。そして人の温もりや表情や肉声などの他に、五感が最もバランスよく刺激されるのが、自然に触れるときでしょう。無機質な人工物の一辺倒な変化ではなく、生きた人と同じように、自然は微妙に変化し続けています。昨日と今日、朝と夕方とでは肌に当たる空気の感触も違い、明るさも、空の色も違います。季節の変化によって、緑から黄色へ白へと風景も一変します。変化のサイクルを通して自然の中で過ごす時間を取るよう心がけます。といって今日、都市部ではなかなか自然に触れる体験をさせるのが、難しいかもしれません。それでも砂や水で遊んだり、季節によって色を変える街路樹や公園の木々の間を歩いたり、空を見上げて雲の形や月を眺めたり、雨上がりの匂いや風が草木を揺らす音を感じてみたり、近所を散歩するだけでも随分と自然に触れることができるはずです。無機質の壁や物に囲まれ、温度の一定に保たれた屋内に一日中過ごすのでなく、屋外に連れ出す時間を持つよう心がけたいです。


・無理のない早期教育を
 三歳までは生きた人や動物や自然に触れる体験をたくさんさせるよう心がけ、普段の生活の中に溢れる刺激に十分触れさすことです。そして三歳頃から徐々に知的面への働きかけを始めます。机上での文字や数などの抽象的概念を操る練習よりも、生活に根ざした五感への働きかけ中心に、遊びやゲームを用い、周りと比べず、結果に拘りジャッジすることなく、学ぶということを共に楽しむといった姿勢で向き合います。これらが早期教育について我が家のたどり着いた最も良いと思われるやり方です。

 臨界期があるかどうか、本当のところは分かっていません。「臨界期がある」と過度に煽られることなく、知的面から情緒面、長い目で見た全体的バランスを大切にすることです。私自身今では、やる気さえあれば、いくつになっても能力を伸ばしていくことができるのだと思っています。第二外国語習得についても「外国語が日常的に使われる環境に身を置き、高いモチベーションを持って聞き取りや発音などの音声的な訓練を長期間行なえば、10%以上の人がネイティブ並みといえる文法・発音能力を習得できる」(by David Birdsong)という研究結果もあります。この「やる気」「高いモーティベーション」を潰さない教育、伸ばしていく教育についてもっと語られてもいいのだと思っています。一直線上に並べられ、ジャッジされ続けていては、子供達の「やる気」もそぎ落とされていくでしょう。小さな頃から学ぶ楽しさを体験させること、それがその後の「やる気」を支える力ともなります。
 
 最後に、子供というのは、そうそう弱いものでもないということも覚えておきたいです。できないからと何度か叱り飛ばしてしまったからといって、その子が完全に壊れてしまったなどということはありません。試行錯誤の中、無理な早期教育を一時施したからといって、その子をだめにしてしまうということもありません。間違ったと思ったのなら、その後どう改めていくかです。子供というのは、一度壊れたら修復不可能なガラス細工のようなものではなく、天目指して高く高く伸び続ける樹木のようなものです。光、水、土のバランスを取り戻すことで、再びすくすくと伸びていきます。長男も、創造力溢れる元気な中学生に育っています。

弟君にウインクしたあのお母さんの笑顔

2013-08-25 07:39:38 | 子育てノート
長女の歯医者、30分ほどで終わるということだったので、残り四人は家に置いて。(こんなことができるようになったのも今年から、どこにいくにも下の子達を連れて行く必要があった去年までと比べ、大きな変化です)

待合室にて。束の間の一人の時間と、鉛筆片手に読んだり書いたり。すると、六歳と二歳くらいの男の子をつれた四十代前後のお母さんが電話を片手に入ってくる。お兄ちゃんは玩具で静かに遊び始め、弟君はあちらにこちらにと忙しく動き回る。「玩具を蹴らないのよ」「見えないところに行かないでね」電話片手にそう声をかける母親。すると相手になって欲しいのか、わざと蹴り、わざと見えないところへ行こうとし始める弟君。お母さんが追いかけ、「やめなさい」と言うと、「きー」と叫んで、今度はコーヒーテーブルに並べられた雑誌を床に一冊一冊投げ始める。「やめなさい」と言いながら電話片手に、後を追って雑誌を一冊一冊並べるお母さんの手をするりと抜け、今度は戸棚にしまってある雑誌まで投げ始める。

雑誌をしまい、もうどこにもいかないでここに座って本を読みなさいと、子供向けの絵本を目の前に並べてみせるお母さん。電話はなかなか切ることのできない用件のようで、弟君に話しかけては、また電話に戻り。ソファから走って逃げようとする弟君を捕まえ、また座らせ本を差し出し。「座って本を読むか、駐車場のトラックに行くかよ」(トラックがタイムアウトのような役割のようで弟君トラックだけには行きたくないよう)そう言い始めるお母さん、弟君どちらも嫌だと叫んでぐずる。

そんなやりとりをしばらく続けながらも、ようやく電話を切ることができたよう。ほっとした様子で、「さあもういい子にするのよ。どの本が読みたい?読んであげるからね」と本を選ばせようとすると、さっと走って遠くへ行こうとする弟君。お母さんが追いかけると今度はきゃっきゃと嬉しそうな声をあげて逃げていく。「トラックへ行きたい?」という言葉にはしかめつらで首を振るものの、お母さんが言うことと反対のことをし続け、結局抱き上げられトラックへ。

そこへ、歯科医助手さんが呼びに来る。お兄ちゃんが「車に行った」と説明し、「さっきまでここで待っていたのですが、すぐ戻るようですよと」と付け加え。

すると、弟君を抱っこしたお母さんが戻ってくる。お母さんも弟君も笑顔。「ちょっと用事があって」と弟君にウインクし、診察室へ入っていった。


この一連の出来事の間中、このお母さんとても穏やかでした。感情のぶれなく、終始落ち着いて。いけないことはいけないと伝え、どうしたらいいかを示し、雑誌の片付けなど手伝おうかなと思いもしたのですが、何事も無かったようにさっさとほらこうやって片付けるのよと見せ。どんな激しい駄々コネのすぐ後でも、弟君が少しでも言うことを聞いたら笑顔で抱き上げキスし。

雑誌投げまくり時には、受付のお姉さんが肩をすくめたりといったこともありましたが、人の目にどう映るかなど一切気にする様子も無く、今するべきことに穏やかに向き合い続ける。怒り、焦り、動揺、恥、そんな感情を引きずらず、さっそうと明るくたくましく。診察室に入っていくお兄ちゃんの落ち着いた様子、弟君の笑顔が印象的でした。

子供にだってアップダウンがあり、親も日常様々起こる中で、なかなか思うようにスケジュールが組めずゆったりできないこともあり。また小さなときの腕白振りも長い目で見てどう出るかなんて分からないもの。早くからこの子はこうだ、あの親はああだとジャッジし過ぎることで、親自身も周りもかなり余分なエネルギーを漏らしているのかもしれないなとも思ったり。

するべきことを穏やかに毅然たんたんと。

お母さん、見事! そう心の中で拍手。日々子育てする者として、元気をもらった一時でした。

算数の伸び方&過程にフォーカスという学び

2013-08-25 07:38:09 | 子育てノート
中学に入ったばかりの長女、「数学を飛び級させます」と、昨日の夕方先生からメールをもらいました。昨日のテストの結果と、五年六年の全国そして州のテスト、六年生の成績を考慮してとのこと。

長女は算数が得意の方ではなく、計算も遅く、他の子たちがぱっぱと20問解き終えるところ、10問解き終えたところで疲れておしまいといった様子だったのですが、高学年くらいから算数を面白いと思い始めたようで、ディストリクトの主催する算数競技会に選んでいただいたりすることもありました。そしてあんなに遅かった計算などもいつの間にかそこそこ速くなり。

夏休みも少しずつ予習を続け(といって一日平均四十五分程土日休みと、日本の受験生などに比べると「勉強した」ということにも入らないかもしれませんが)、一昨日夜はテスト前夜だからと9時過ぎまで夏の間学んだことをおさらいし。

先生からの知らせ、とても嬉しかったようです。夏の間二回程見てもらった長男の同級生数学得意女の子にも電話し。6年生の時にも一度受けた飛び級試験不合格を経、念願の合格です。

数学に取り組む様子を上の三人見てきているのですが、長男は昔から計算も速く低学年から飛び級し、それでもミスが多く成績もそこそこ、それが中学になってミスが減ってきたためか(身体の発達に関係あるように感じてます)競技会に出るなど伸びてきている。次女も計算が速く低学年から飛び級、それでも長男とはタイプが違うようで「考える」というよりパターンを覚えるのに長けているというか。どうしてそうなるか考えるよう促すようにしてます。

算数、学年が下になるほど、計算が速くできるかどうかで、算数ができるできないが決まっているように感じています。それでも計算だけができている場合は、高学年で壁にぶちあたる(私自身がそう。低学年から公文で鍛えられ計算「だけ」速かった)。

上三人は、どんどん産まれる下の子の世話で(笑)、結局は勉強面まで手が回らずほったらかしになってしまっていたのですが、小さな頃に長女の計算を早くなるようとことん訓練していたらどうなっていたかな、そう思うことがあります。

三人を見ていると、その子自身の伸び方があるんだなと感慨深いです。

周りを見ていると、もちろん、これができればこれができないということでもなく、全体的にバランスよくできている子達も多くいるわけですが。

また数学もこれから複雑になっていき、まだまだ始まったばかり、今はまだ途中経過とも言えるでしょう。


今六歳三女を見ていると、またこれがもたもたと計算していて。日中もほとんどふわふわと空想の世界に旅立っていて、ピンポイント的なことをさっさと器用にできない。同時に、ピンポイントできるよう訓練することが、彼女の世界を狭めてしまうように見えないでもなく。算数でも、文章題やコンセプト的なこと論理クイズなどは好きなようですが。

今はまだ五感を使った「体験」を中心に、机上のパターン認識的なことは長々とやり続けず、毎日少しだけ集中してさっと終わる、それがいいのかなと。こういった頭の使い方もあるよといった、普段あまり使わない部分をストレッチするくらいの感覚で。

その子の成長に邪魔にならないようなサポートの仕方、そういったことを考える日々です。



長女算数飛び級不合格体験に学んだこと、そしてその学びは今も続く:

長女が六年生の時のこと、算数の飛び級テストに向け、二ヶ月ほど勉強を続けていました。子供達の通うプログラムでは、半数以上の生徒が算数を飛び級しています。長女も六年生になり算数が面白くなってきた様子で、頑張ってみようかなと挑戦したのです。 

毎晩宿題を済ませると算数の勉強に取り掛かり、傍から見ていてもよく頑張っているなと感じていました。毎日こつこつと続け、二ヶ月ほどの間に、六年生一年間で習う範囲をカバーしました。それでも結局二日がかりで受けたテストでしたが、合格点には足りませんでした。算数の基礎的な概念をざっと学んだものの、まだまだひねった問題に応用する力はついていなかったようです。

手ごたえを感じていただけに、悔しさもひとしおの長女です。本当に残念そうな長女を見ながら、こういった結果になるのなら初めから挑戦しない方がよかったかな、これで算数が嫌いになってしまったらどうしよう、そう心配する気持ちもありました。それでもとにかく「結果を成長の過程として捉え、過程を重視する」態度を心がけました。

 「残念だったね。でもね、これだけ頑張ったあなたのこと本当にすごいと思う。あんなにこつこつと毎晩続けられるなんて、そうそうできるものじゃないわ。いますぐどうこうといった目先の結果はね、それほど大切じゃないのよ。あれだけ頑張ったことは絶対にこれからの力になっているから。まだまだこれから、こつこつと歩き続けていこうね」

 そう言葉をかけ続けることで、長女も元気を取り戻し、算数は今でも大好きな科目の一つです。そして六年生の一年間の予習を済ましてしまったため、授業も簡単に感じ、よりひねった難しい問題への挑戦も楽しめるようになりました。また学年の終わり時期には、クラスのトップの子が選ばれる年に一度の算数競技会にも参加することができ、算数をますます面白いと感じているようです。

「Life goes on(人生は続く)なんだね」

 飛び級不合格の結果を手にしてしばらくしてから、そう笑顔を見せた長女が、一回り大きく見えたのを覚えています。

「結果」を手にした子供達は、もうそれで全てが決まってしまうような錯覚を持ってしまうことがあります。もう自分はだめなのだと、自分には能力がないのだと、諦め頑張ることを止めてしまいます。たかだか十歳やそこらで手にした結果が、その後の取り組みに対する態度を決めてしまっては、これほどもったいないことはありません。今手にしている結果も、過程の一つの表れなのだと励ましていきたいです。目先の結果より、歩き続けることの大切さと喜びを、伝え続けていきたいです。

 子供は常にたくさんの「結果」を手にします。テスト、成績、偏差値、スポーツの試合、競技会、結果を前に共に喜び祝い、共に残念に思いつつ、それでも一貫して過程を重視することです。九十点が合格点として、八十九点を取ってきたとしても、あまり努力していたように見えないならば、九十に足りない八十九ですが、一生懸命努力していたようならば、百点の価値のある八十九点です。

 いい結果を手にすることもあれば、残念な結果を手にすることもあります。また年を重ねれば重ねるほど、数字で表された分かり易い結果をすぐに手にすることばかりでもありません。時には表にはすぐに現れない結果に向けて、こつこつと何年も何十年も歩き続けていく必要もあるものです。

 ですから合格や優勝やテストなどの目先の結果に振り回され、上へ下へとジェットコースターに乗っているかのように動き続けるのでなく、結果がすぐには見えないからとやる気を損なうのでもなく、長い目で見て課題に取り組む意欲・やる気を育てることに力を注いでいきたいです。

 まずは過程の努力や態度に価値を置き、それらにフォーカスし続けること。そうして過程の取り組みに喜びを見出す姿勢が培われるのならば、結果に囚われことなく自らのペースでこつこつと歩き続けていくことができます。そんな歩みの継続こそが、たとえ遅い歩みに見えたとしても、いつか遠くに辿りつくことを可能にする、そう感じています。

車の中にて、もしこれほど多くの牛を養う必要がなかったら

2013-08-18 06:17:03 | 子育てノート
Scientific Americanからdaily newsやweekly digestが毎日のようにEメールで届くのですが(雑誌をサブスクライブした時に「設定希望」をチェック)、子供達との話題作りになってます。

山へブルーベリー採りに向かう車の中で、“Hamburgers Will Not Feed the World”
At least 70 percent more calories would be available if farmers shifted from growing crops for feed and fuels to food production By Coleen Jose and ClimateWire
 について。

記事の趣旨:

2050年には90億に達するだろうとされる世界人口。食糧難も必至。

もし動物の飼料や生物燃料に用いている作物(crop)を、人の食料に用いるとするのなら、より多くの人々に食料を行き渡らせることができるだろう(少なくとも70パーセント以上のカロリー、40億人分余分に)と。食べるためや乳製品確保のために動物を養うことを減らせば、つまり、肉食から野菜中心の食生活に人々が移行すれば、より多くの作物を確保することが可能なのではないか。

現在、穀物の36パーセントのカロリーが、飼料や生物燃料に用いられているそう。といっても内わけを見ると、米国の肉食率際立ってます。
インドでは、89パーセントの作物が人の食料に、5パーセントが動物の飼料に。
中国では82パーセントが食料(77パーセントのトウモロコシは動物飼料)に。
米国では作物の27パーセントが食料、半分以上が飼料に!

記事によると、ビーフからポークやチキンに移行させるだけでも、3億5千万人分の穀物確保が可能になるとも。


週に4回のビーフを1回チキンに、1回魚に変えていくだけでも違ってくるんだね。
でも1人くらい食生活を変えたからといって何かが変わるわけでもないでしょ
だからといって何もしないというのもおかしなことだよね
少しでも自分たちにできることから、といったことかな

そんな会話を。

家ではひき肉のビーフをたまに食べるくらいで、肉といえばほとんどチキン、あとは魚が主なのですが、皆ビーフ大好き。この記事のタイトル「ハンバーガー」を見て、長男なども、ああハンバーガー食べたい!と叫び始めたほど。

肉食中心から野菜中心、ビーフからチキンなどは、ヘルシー面からも勧められることですが、一気に全部、とはいかなくても、今のようにたまにビーフを楽しむくらいでいいかな、そう話し合いました。長女などは、私はたま~に肉ぐらいで、あとはもっぱら豆腐でいいかなと。


ゆっくりと話し合うという時間も、学校が始まるとなかなか取れないでしょうが、習い事や学校やの送り迎えの車の中などで、こういった話題を用意しておくのもいいかなと思っています。