靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

混濁の中に何を掬い取り、子供達に伝えていくのか

2013-10-06 06:07:33 | 子育てノート
「ツンドラを歩いたことある? ふかふかして、ちょうどこんな感じ」

 上半身を起こして目をこする私のベッドを、ぽんぽんと叩く音。ネイティブ・アラスカンの村々を訪ねた夏、滞在していた家のお姉さんは、朝になると、こうしてツンドラへベリー摘みに、川へシルバーサーモン獲りにと誘ってくれました。

 週末には、少しお洒落をして、集まりへ。

「マイコには、これかな」

 手作りのビーズのネックレスを首にかけてくれ、少し離れて微笑み。賑やかな笑い声の聞こえるドアを開けると、手作り料理がテーブルを埋め、姪の誕生祝いに、従兄弟の引っ越し祝いにと持ち寄られたプレゼントが積まれています。歌や踊りにと、宴は夜更けまで。

「どの村から来た?」

村人達と同じ黒髪に茶色の瞳、どこへ行ってもそう聞かれたものです。お姉さんは、喉に何かつかえたような独特の音を持つネイティブの言葉をうまく話せない私にウインクしながら、「日本からよ。日本の妹よ」と答えます。

「ああ、日本の村かね。わしらの祖先は、元々は同じじゃったからのう」     

 真っ白な髪をしたお爺さんが、水平線を見つめながら、そう答えました。

・・・・・・・・・・・・
 
 ネイティブ・アラスカンの暮らしは、ここ百年ほどの間に大きく変化しています。今では狩猟採集のみに頼らずとも、スーパーへ行きお金を払えば、肉や魚、野菜や果物まで、一年中手に入れることができます。かつて移動の手段だった犬ぞりは、観光客向けのエンターテイメントとなり、村人達はゴアテックスのジャケットを着込み、雪原にはスノーマシンのエンジン音が響いています。人々の精神的な支柱は、シャーマニズムから、キリスト教へと移り変わりました。押し寄せるキャピタリズムの渦の中、各家庭のテレビからは、次から次へと新しい商品を掲げるコマーシャルが流れ、若者達は、イヤホンの英語のリズムに合わせ、バスケットケットボールに夢中です。

 毛皮をまとい狩猟採集に勤しむ、そんな物語に出てくるような「エスキモー」の暮らしは、もう村々では出会うことがありません。狩猟採集の腕を磨けば、皮のなめし方を覚えれば、パルカの作り方を上達させれば、コミュニティーの一員として幸せに暮らしていける、人々が長い間拠り所としていたそんな村社会の枠組みは、近代化の波に呑み込まれていきました。急激な変化の中、何を拠りどころに生きていけばいいのかと途方に暮れる人々。今日、ネイティブ・アラスカンの、アルコール中毒やうつ病、自殺率の増加が、大きな社会問題となっています。

 人々が長い間拠り所とした価値観や精神文化の移り変わり、最新式の機器に囲まれ流行の衣服をまとい、かといって、がむしゃらに走り続けることで手に入れる物質的な豊かさだけでは、心が満たされないと感じる人々。それは、日本から遠く離れた地球の北の果、ただここアラスカのみに見られる現象でしょうか? 

 欧米諸国に追いつけ追い越せで、著しい経済成長を遂げた日本。経済成長のもたらした受験戦争の激化は、少しでも偏差値の高い大学を出て、大企業に就職しよりステータスのある職種につけるようにと、子供達の背中を押し続けてきました。そうしてたどり着いた先には、競争に打ち勝ったのだからと恵まれた地位に胡坐をかく人々、勝とうが負けようが虚しさを満たすことができず心身症に悩む人々、競争には参加したくないと引きこもりやニートとなる人々、一律の秤で一緒くたに振り分けられ何の希望も見出いせない人々・・・。

 
 変化し続ける枠組みの中で、今、私達は何を大切なものとして選び取り、子供達に伝えていけばいいのでしょうか? 混濁の中に何を掬い取り、次世代へと繋げていけばいいのでしょうか?


 日々の子育てを通し、迷い、悩み、試行錯誤しながら、少しずつ少しずつ私なりの着地点を見つけていきたい、そう思っています。


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