…… 池 千之助   信州ありふれた普通便 ……。

         信州・長野県長野市から、お気楽で無駄な記事を載せています。

信州・松代 龍燈山・清水寺(せいすいじ)のシダレ桜を・・・・・!

2020年04月14日 | まち歩き
  今日は朝から風が強く、昨日同様に今日も天気がイマイチと思いきや、雲は多いものの、日差しが見えて来ました。



  世間では、明けても暮れても新型コロナウイルスの話題で持ちきりですが、こちら長野県でも、昨日一気に7名の感染者が増えて、36名になったと報道がありました。



  また、長野市内・繁華街の権堂アーケードにあるキャバクラのスタッフさん男女2名が感染して、ここを訪れた不特定多数の客40数名が濃厚接触者として、保健所へ名乗り出て、相談して欲しいと呼び掛けているようです。



  まあ、どのような人たちが名乗り出るか不明ですが、無症状だから自分は大丈夫として、あちこち動かれたらどんな形で感染するか全く予想も出来ず、こちらも恐ろしくて、今後は不要不急以外は出歩けなくなりました。




  さて、今日の画像は、、1週間前に行って来ました地元の清水寺(せいすいじ)のシダレ桜が見頃だと云うので、行って来ましたので、それをご紹介したいと思います。



  この清水寺(せいすいじ)さんは、古い仏像も安置されていますので、それも一緒に撮影出来る様にお頼みして、天気を見てフォト取材をさせていただきました。



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  まず、大きな観音像が迎えてくれますが、この観音像は、1940年代後半(昭和19年11月)の第二次世界大戦末期の本土決戦の為に、この近在の舞鶴山や象山に大本営移転計画が行なわれ洞穴の採掘場での作業中、その殉職者など尊い人命を犠牲にした故、その方々を偲びそのご冥福を祈ると共に、今後の人類恒久の平和を希求して、ここに永遠に供養すために観音像を建立したようです。(三十三世・清水寺御住職の碑より)



  そして、この清水寺には三つ葉葵の御紋が寺紋と与えられ、江戸時代には、徳川家の祈祷寺としても供料を給わっていたようでした。



  ですので、松代藩の真田家城主と云えども、この清水寺を訪れた際には、馬から降りて門をくぐったと云われていて、当時から格式の高い寺院になっていたようでした。



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  ここ清水寺でも、樹齢三百五十年と云うシダレ桜が有名で、それも楽しみにお伺いさせていただきました。



  この護摩祈祷堂の横には、人形供養の像も建立されていて、地元の人々は、大切なお人形さんを持ち込んだり、また遠方の皆さんからも、郵送で受け付けているようです。



  この人形供養料もダンボールの大きさ(縦+横+高さ)の寸法が80cmまでは¥3,000と安価になっていて、色々とご相談に応じていただけることです。



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  上の画像は、この清水寺の奥様から、この花も、間もなくこの辺に沢山咲く様で、花の名前は聞き忘れてしまいましたが、一応撮って来ましたので、載せてみました。



  この龍燈山・清水寺(せいすいじ)には、上記にも述べましたが、平安時代初期の一本造りの仏像群があり、それも特別に許可をいただいて、撮影させていただきましたので、少し清水寺の宣伝をと云う事で……、





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  正直、どこの神社仏閣にあるような御守りや、根付け、御朱印なども販売しているのですが、この限定版の三枚御朱印は、素晴らしい感じがしました。



  次回は、この清水寺・本堂に安置されている一本造りの仏像群をご紹介したいと思います。



  今から千年以上も前の仏像ですので、長野県下でも最古の仏像と云われています。



  仏像好きな方にとっては、たまらないでしょうね……!