雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

これって、日記?

2012-11-05 | 日記
 昨日、今日と、バタバタ動きすぎて、疲れが出てしまった。 今日、ちょっと「昼寝をしよう」と横になったら、眠り込んでしまって若い頃の夢を見ていた。 バイクの後ろに妻を乗せて、機嫌よく高速道路を走りまわっている夢だ。 土地の案内をしたり、腹が減ったので何か食べようかと妻に話しかけたりしたが、妻は不機嫌に黙り込んだままで、そこには一生懸命に妻の機嫌どりをして、燥いでいる自分があった。 
 高速道路ではありえないようなヘヤピンカーブに差し掛かり、車体を大きく傾けて乗り越えたが、妻がますます不機嫌になり、全く黙り込んでしまった。 「夢に出てくる死者は喋らない」とよく聞いたが、あれは嘘である。 亡くなった直後の妻は、夢の中で煩いほど喋りまくっていたのだが、「どうしたことだろう」と、夢から覚めたときに考えた。 私が妻の声を忘れかけているのだろうか。 バイクで妻とドライブした時の思い出が、薄らいでしまったのだろうか。 それでも、久々の楽しい夢が見れて、涙ぐむほど嬉しかった。

 私はバイク好きだったが、妻は車好き。 妻は普通自動車の免許取りたてのとき、若葉マークを付けて神戸から長野の実家まで子供を乗せて帰ったことがあった。 途中でトラックに「妨害運転をされた」と帰宅してから自分の無謀さを棚に上げてぼやき続けていた。 そんなことがあって、少しは懲りたかと思いきや、なんのとはない、ますます車好き、ドライブ好きになっていった。 

 今だから言えるのだが、車の運転は私より上手かった。 私が運転する車の助手席に乗った時など、その煩いこと、「それ、左から車がきた」「信号が青になった、早く出せ!」まるで自動車教習所の先生気取り。 「うるさい! 判っとるわい!」よく喧嘩もしたが、やはり妻は傍にいて、元気に世話をやいてくれた方が良い。 当時は、絶対にそんなふうに考えたことはなかったが、今になってしみじみ思う。 

 と、相も変わらず訳の分からない文を連ねているが、これって日記かな? 強いて名前をつけるとしたら、夢日記? 思い出日記? 後からしみじみ思う日記? (=^・^=)

 

便座カバーの話

2012-11-04 | 日記
 目の手術で入院するのだが、まるで修学旅行のの用意をする中学生。 大きな紙製の手提げ袋に、パジャマに下着、洗面用具に小さな魔法瓶と湯呑。 忘れてはならないのが、ウォシュレット用の便座シート。 100円ショップでかった貼るタイプのカバーだ。 前回入院したときに、洋式トイレを使ったら、ペーパーカバーがなく直に座った。 病院だけになんだか気持ちが悪かった。 とは言え、和式トイレは、もう何十年も使っていないので足が痛くて、大袈裟だがエコノミーシンドロームにならないかと思ったりして…。

 洋式トイレようの貼るタイプのカバーは、妻が殺菌スプレーを使っていたのを、すぐに無くなってしまって不経済なので、私の提案でこの貼るシートを持ち歩くようになった。 殺菌してやっていた私の手間も簡単になったし、シートは洗濯して何回も使えるのでエコノミーだ。 妻も「気持ちいい」と喜んでくれていた。 

 このブログの記事の数が388件になった。 日記あり、コラムあり、漫才あり、俳句に短歌、ショート・ショートあり。 位牌から、ヒッグス粒子やiPS細胞のはなし、そしてトイレの便座カバーまで、内容のうすっぺらなのはともかくとしてバラエティには富んでいたように思う。 1日1件の目標はダメだったが、そのかわりに字数だけは多かった。(嫌われるタイプだそうだが) 記事を全部残してくれているgooプログには感謝している。 記念にバックアップをとっておこうと思いながら、1年を経てしまった。 

起承転結

2012-11-03 | 日記
 月日のたつのは早いもので、もう11月に入ってしまった。 昨夜まで夏蒲団で寝ていたのだが、夜中に寒くて目が覚めてしまった。 今日毛布を1枚出しただけだが、日に乾してホカホカの毛布で寝る今夜が楽しみだ。 (冷たくなっていたりして…)

 夕べ、映画版のルパン3世を観ながら、小さな物語「龍神の川」なる稚拙な物語を書いていた。 実はこれ、二つ前の記事、小噺「疑惑」の続きのつもりで書いたのだが、主役の名前が違っていた。 小噺では「与吉」と書いているが、龍神では、与助。 たとえ数名の方であろうとも、きっと読んで下さった方がいらっしゃったに違いないのに、「いい加減な奴だ!」と、自責の念にかられる。

 龍神の川で神隠しに遭った妻滋乃に一目逢いたくて、一人息子の小吉が嫁をもらったら、命を捨てても龍神の川で妻に逢いたいという与助を案じて嫁を取らなかった小吉だが、与助が病死した2年後に小吉は結婚する。 龍神の川はここで終わっているが、その嫁は、龍神の川に居るらしい小吉の母親の使いで、しばしば小吉に逢いにきていた娘だった。 この娘は、父の与助は妻の滋乃本人であると思っていた。 小吉は小吉で「妹」だと信じ込んでいる。 はてさて、どのように起承転結に展開していくのか…。 (@_@;)←バカまるだし

アホの一つ覚え

2012-11-01 | 日記
 老人の孤独死は後を絶つことはない。 今日、ニュースで聞いたのは、70才代男性の衰弱による孤独死だったと思う。 「思う」と書いたのは、集中して視聴していた訳ではないので、詳しいことはわからないからである。 奥さんが病死されたあと、悲観して生きる気力が無くなってしまったのだろうと私は推察している。 同じ妻に先立たれた年寄りとして、気持ちがよく理解できるからである。 

 第一に、妻を助けてやれなかったことの後悔に襲われる。 特に私の場合は無信心であるため、「あの世で妻が見守っている」みたいな心境はない。 仏壇の位牌に話しかけることもなければ、花を供えていても、これは自分の心に供えているもので、死者は完全に消滅したのだという決然たる思いが私の意識にある。 

 第二に思うことは、子供たちに自分の世話をさせたくないと思う事。 衰弱死されたご老人も、そんなことを考えたのではないだろうか。 病死と報じずに、衰弱死と報じていたのは、そこにご本人の意思が働いていたのではないか。 乱暴な言い方かも知れないが、私はこの衰弱死を「なにもしない自殺」だと考える。 私自身も、一時そのような心境になっていたことがあった。 孤独死を防ぐことが出来るのは、行政よりなにより「ご近所付き合い」だ。 独り暮らしのお年寄りは、元気なうちから積極的にお付き合いを心がける必要があろう。

 妻の死後、活動範囲の狭い私が思いついたのは、このブログを立ち上げることであった。 妻を死なせてしまった後悔や、寂しさを拙い文章に綴って、どなたかに読んで戴くことで、どんなにか癒されたことだろう。 実は、いくら書いても反応が返ってこないことから、数字通りに本当に読んで戴いているのか、随分疑ったこともあったが…。 (-_-) 

 (アホの一つ覚えで、やたら顔文字を入れる癖がついてしまった)