雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

伝説

2012-06-07 | 日記
 今日は朝から快晴だったが、何をする気もにもなれず、のらりくらりと一日を過ごした。 自分には「病気上がりだから」と自己欺瞞しつつ。

 夕食のあと、「コレナニ」を見ていたら、山中でロケに来ていた女優が、人の頭に似た苔生した石を見つけた。 なるほど、大きさといい、笑っている顔の部分といい、人の頭のようだ。 自分は最初「崩れた地蔵尊の頭部?」と推理したが、番組で触れないかぎりただの推量でしかない。 番組の「おもわく」にはまって自分なりの解釈をしてみた。
 「これは、伝説の石に違いない」とは、女優の意見。 笑いながら石に閉じ込められた男の顔だと言う。 そこで番組はこの山の持主にインタビューするが、答えは「知らない」 そんな伝説は「聞いたことが無い」 それなら、自分がこの伝説のシチュエーションを想像してみようと思った。

 何百年か昔、この山の麓にある村の若者がキノコ採りに山に登ってきた。 見つけたキノコの中に、何やら珍しいのが混ざっていた。 「ん?これは食べられるキノコかな?」 持ち帰って、もし毒キノコだったら家族を被害に巻き込むと思い、一口食べてみることにした。 

 たまたま麓の村の父子がキノコを採りに来て、若い男が笑い転げているかのように苦しみもがいているのをのを目のあたりにした。 「どうしたことだろう」村人の脳裏をかすめたのは「はやり病?」だった。 「もし、このような病が村に広まれば、村は全滅してしまう」と危惧した村人は、伴に連れていた息子を村に帰し、祈祷師と屈強な男を連れてくるように指示した。

 「この男は、悪霊に憑りつかれたに相違ない」 祈祷師は苦しむ若い男を洞穴に運び入れて、岩で穴を塞ぐことを屈強な男達に命じた。 祈祷師は「明日の朝様子を見に来て、憑きものが落ちていたら、洞穴から出すように」と言って立ち去ったが、翌朝村人が来てみると、若い男は笑った表情のまま死んでいた。 洞穴に閉じ込められたまま、見捨てられたと思い込んだ若い男の呪いが石の一つに憑りつき、やがて土中に沈み、何百年経って人の目に触れようと土中から出てきたのだ。 

 で、「何で伝説なのに誰も聞いたことがないの?」 当時は伝説の「笑い石」(笑い飯ではない)と、云い伝えられていたが、やがて村人たちも「あほらし」くなって、伝えるのを止めてしまったのだ。 

 「それで?」、まあまあ穏やかに、ここは番組の意図するところに合わせてあげようではないか。 
 「合わせ過ぎ?」そうかなあ(-_-;)

借り暮らしの…

2012-06-05 | 日記
 一年中では、曇り空の日が一番多いのではないだろうか。 今日も昨日も曇りの日が続く。 今日は退院後初の外来診療の日だったので半袖のTシャツで出かけたら、ちょっと寒いくらい。 街は、長袖の人と、半袖の人が半々くらいであった。

 入院中は、時間が来れば食事が出るし、シャワーも目薬も看護師さん任せ。 目のコロコロ痛みと、退屈が無ければ天国だったが、それでも一日中ベッドの上でのゴロゴロの生活は、かなり辛いものがあった。 退院して帰ってくれば結構用事があって、「ベッドの上でのゴロゴロの生活」が懐かしくもある。 年寄りの身勝手かも知れないが。 

 「借り暮らしのトラエッティ」が、楽天に快勝した。 カネやんのホームランも、藤川のセーブも、心を晴れやかにしてくれる材料だ。 明日もがんばれや! 借り暮らしを返上して、「貯金暮らしのトラエッティになりーや!」 男前の藤井、「明日もヒット頼んまっせ」 

 

 

若いつばめ

2012-06-04 | 日記
 雨男雨女 vs 晴男晴女の対決! そんなテレビ番組を見た。 なんちゅう対決やねん! 天気がそんな数人で決定されているのなら、世間的に雨が欲しい時は雨男雨女を広場に集めて雨乞いをすればいい。 卑弥呼の時代に戻ったような番組に、さすがノー天気男の自分も呆れ気味。

 この時間に窓の外で不如帰が一羽「テッペンカケタカ」と鳴いている。 なにか物悲しく聞こえるのは、自分の心が湿っている所為かも知れない。 陰気な文章を書いているかと思えば、どんふざけの陽気な文章がある。 他人はこんな自分のことを「躁鬱病患者」と思うかも知れないが、躁も鬱も無い。 気持ちが湿っているのは目の痛みが未だにとれないからだ。 かなり鬱陶しい。 

 写真は、病院のベランダで休息している若きつばめ。 青く奇麗な羽の色をしているが、写真が小さくてよく見えないのが残念である。

ボーフラ

2012-06-02 | 日記
前記事(白内障手術実体験)で、水晶体を取り換えて「赤ん坊」の時の色が蘇ったように書いたが、少し違うように思えてきた。 目には硝子体という大きな透明部分がある。 この硝子体も汚れたり視力を下げたりもする筈だ。 現に自分の硝子体には、ボーフラがわいている。 このボーフラが手術後3Dで見えたことがある。 いつものボヤけたものではなく、片目にくっきりと見えて、それが目の下に置いた手に「すーっ」と落ちてきて、あたかも掌で受け留めたように暫く留まって、やがてどこかに消えていった。 

 これは、「飛蚊症」といい、ボーフラではなく、蚊なのだそうである。 しばらく留まっていたのは、蚊が卵を産んでいたに相違ない。 今後は蚊とボーフラの水たまりになるのではないだろうか。

 それは冗談で、硝子体周囲の老廃物が剥がれ落ちて硝子体の中をさまよっているのだそうである。  飛蚊症の赤ちゃんなんて聞いたことがない。 水晶体が新品になっても、年寄りの目は、やはり年寄りの目なのだ…と、しみじみ思う。

白内障手術実体験

2012-06-02 | 日記
 先月29日に入院して、今日2日退院してきた。 当たり前かも知れないが、あまり楽しいものではなかった。 入院前に手術の説明と10年前に制作されたビデオを見せられたが、あれは見ない方がよいと思った。 他人事なら「サラッ」と興味を持って見れるが、やがて自分に蒙ることとして見ると嫌なものである。

 入院の当日は、眼圧検査や、度数検査、視力(ランドルト環)検査、医師の診察等が有った他は何もすることがなく、早い目にシャワーを浴びてiPodで音楽を聴いたり、ワンセグテレビを見たりして過ごした。

 2日目は、手術の当日、朝から点滴を受けたり、抗生剤の点眼を受けたり、「いよいよ手術」という雰囲気に包囲されて、嫌が上にも緊張してきた。 手術は午前9時から午前9時40分まで。 その内、30分が準備、手術は10分程度だった。 目の麻酔は点眼だけで、針をさされた記憶はない。 目は見開いた状態で眼球ともに透明(多分)のシールを張られ、眼球の動きをやや封じられた。 眼球の上部に3mm切開され、ここから超音波粉砕機(そんな重機のような器具名ではないが)を差し込み、目の水晶体を包む嚢を残し、水晶体だけを粉砕して吸い出す。 その後、同じ切除孔から別の器具で小さく折りたたまれた「人工水晶体」を挿入、これが液を吸って膨れ上がり嚢の中に納まる。 

 生きた水晶体は、眼球内の筋力でレンズの度を自分の意思で変えることが出来たが、人工水晶体ではそれが出来ない。 かって「バカ〇ョ○カメラ」と呼ばれた安物カメラと同じで「単焦点レンズ」だ。 

 手術した左目を していない右目と比べると、色が実に鮮やかである。 中年男性の薬剤師さんと話をする機会があり「手術した目は、赤ん坊のときと目と同じ色を見ているんだよ」と聞かされた。 そう云えばそうである。 右目は、古い蛍光灯器具の茶色く変色したカバーで、左目は新品の色だ。 今までは、随分汚れた白を脳が白と判断していた訳だ。 

 とは言え、「もっと早く手術を…」などとは思っていない。 仕方なく手術を受けたものであり、一番良いのは、少しくらい汚れていても、手を加えていない若い目だ。 右目は、あまり白内障の症状が進行していないので、「半年先に手術をしましょう」と、医師の判断であった。