雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

御仏なれど

2012-06-27 | 日記
 与謝野晶子が、

   鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな

 と短歌に詠んだ鎌倉の大仏は「釈迦牟尼(お釈迦様)」ではない。 大仏がある高徳院は、浄土宗の寺院であることからも「釈迦牟尼」ではないことがわかる。 浄土宗は法然が開祖であるが、それまでの、生前に「徳を積む」ことで、死後極楽浄土に行けるとする仏の教えを破り、ただ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続けることで、極楽浄土へ行ると説いた宗派である。 「南無阿弥陀仏」とは、極楽浄土の頂点に立つ阿弥陀様に身を委ねることであり、貧しい故に寺院にお金を寄付したり、物を差し出し徳を積むことが出来ず、さりとて、仏の道や真理を伝えたり、導いたりすることも出来ない無知な民であっても、念仏を唱えることで阿弥陀如来が救って下さると説いた法然上人の教えである。 従って、高徳院の大仏は「阿弥陀如来」なのである。 

 我が家の宗旨は浄土真宗であるが、法然上人の説いた浄土宗を、弟子の親鸞上人がさらにアレンジして、たとえ念仏を常に唱えなくても、ただただ阿弥陀如来を信じておすがりすることで、極楽浄土に行けると説いたもので、広く貧しい農民に支持された宗派である。 

   鎌倉や 仏様だが 阿弥陀さまは イケメンだから 惚れてしまうやろ-

 与謝野晶子さん、だらしない短歌にしちゃって、ごめんなさい。<m(__)m>