雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

観たいDVD

2012-05-07 | 日記
 映画音楽の「ララのテーマ」を聴いて、昔観たあの映画「ドクトル・ジバコ」を思いだした。 当時、友達に「ドクトル・ジバゴの映画が観たい」と話したら、「あの映画は社会主義を批判するものだから、観ない方がいい」と言われて、私自身もマルクスの社会主義理論や弁証法的唯物論、史的唯物論にかぶれていたときだったので、素直に「そうか」と、素直に映画を見ないことにした。 ところが、何年か後にレンタル・ビデオを観て、「なーんだ、ただのラヴ・ストーリーじゃないか」と思ったことが有る。 ただ、時代背景がロシア革命のさ中で、ジバゴはパルチザンの従軍医師であったが、パルチザンを逃走したこと、詩人でもあったジバゴの詩が、革命軍の批判を浴びたことで、当時、民主青年同盟員であった私の友人が、反社会主義映画と決めつけたようだ。 

 ツタヤで「ドクドル・ジバゴ」を探したが、見つからなかった。 その代り見つけたのが、劇場映画版「人間の条件」 原作は五味川純平。 主役は仲代達也、新珠三千代。 本当は、加藤剛主役のテレビドラマ版が観たかったのだが、残念ながらツタヤで見付けられなかった。 ←(有ったかも知れないと言う意味)

 あと、観たいテレビドラマに新珠三千代繋がりで「細腕繁盛記」がある。 しかし、DVDを購入してまで観たいという程ではない。 その内、レンタルDVDを見つけてこよう。
 
 

温故知新「国木田独歩の運命論者」

2012-05-06 | 日記
   「いや、僕はもういただきますまい」と杯を彼に返し
   「僕は運命論者ではありません」
 彼は手酌で飲み、酒気を吐いて、
   「それでは偶然論者ですか」
   「原因結果の理法を信ずるばかりです」

 これは「国木田独歩」の小説「運命論者」の一節である。(主人公 自分)は、ひょんな事から滑川のほとりで 高橋信造 と名乗る運命論者と出会う。高橋に彼が砂に埋めて隠していた上等のブランデーを勧められて、高橋の運命話を聞く破目になる。
 信造は、今は高橋家に養子に入っているが、以前の姓は 大塚信造 と言い、父の 大塚剛蔵 は名の知られた判事であった。

 信造は子供の頃から「自分は剛蔵の実子ではないのではないか」と薄々勘付いていたが、その疑問を18歳の時に父にぶつけてみた。父が打ち明けるには、信造は馬場金之助という剛蔵の碁友の子供であり、瀕死の床にあった金之助の元に2才の信造を残し、実の母親は姿を消したのだと言う。剛蔵は子供がなかったので、2才になってもまだ馬場の籍に入れられていなかった信造を実子として引き取り、ここまで育ててきたのだ。
 今では剛蔵に秀輔と言う実子もいたので、義弟に家督を譲り、弁護士になっていた信造は雑貨商 高橋梅 の養子となり、梅の実の娘 里子と結婚した。
 その後、梅は 馬場金之助 を見捨てて姿を消した信造の実の母親であり、妻の里子は父親の違う実の妹であることを知る…。

 私(猫助)は、運命論者ではない。しかし、遺伝子を運命と信じている。人は、いや人に限らず生き物は、生きていれば必ず年を取り、そして死ぬ。これは運命とは言えないのだろうか。ゲノムの解析で、その人の運命と言えそうな「癌」に罹る大凡の年齢までが判るそうである。
 ほかに例えば「同性愛者」も、遺伝子に組み込まれたプログラムであり、親の育て方でもなければ、当人が選択したものでもない。「未来は神によって予め定められている」とは思わないが、かなりの部分が「遺伝子によって定められている」と思う。
 運命論者は、その遺伝子を神に置き換えているのかも知れない。

  温故知新「子供がテーマの俳句」2012/04/29
  温故知新「徒然なるままに」2012/04/19
  温故知新「祇園精舎の鐘のこえ」2012/04/15
  温故知新「土佐日記」2012-04-12
  温故知新「太田道灌」2012/03/28
  温故知新「国木田独歩の運命論者」2012/05/06
  温故知新「南方熊楠」2012/07/24
  温故知新「ジョン万次郎」2012/07/22
  温故知新「杉原千畝」2012/07/24
  温故知新「自殺のすすめ・渡辺淳一著」2012/10/15
  温故知新「播州皿屋敷」2012/09/13
  温故知新「平将門の怨霊」2012/09/12
  温故知新「死者の奢り」2012-12-06
  温故知新「琴、花、酒のあるものを」2013/02/20
  温故知新「二宮金次郎」2013/04/17

怪奇なアルカリ乾電池との遭遇

2012-05-05 | 日記
 不思議なアルカリ乾電池があった。 最近、ジョーシンで24本パックの単四電池を買った。 電池のメーカー名は maxell 商品名は ALKALINE その内の1本だけが、全く使い物にならなかった。 今まで長年乾電池を使って来たが、このような乾電池にお目にかかったのは初めてだ。 

 いつも使っているパナソニックの電池式小型ヘアーカッターの力が弱くなったので、アルカリ乾電池の新品パックを封切して交換した。 「ん?」全く動作しない。 「極性を確かめてみたが異常はない。 接触不良ではないかと振ったり叩いたりして確かめてみたが、微動だにしない。 もう一度取り換える前の電池に替えると、弱いながらも動く。 それではと、同パックの別の電池に取り換えると力強く動作した。 電池の残量計を持ち出して測定してみると、極性は間違いなくセットしているのに、この一本だけメーターが逆振れした。 不思議な電池があったものだと、極性を逆にして測定してみると、一瞬測定器の針がメーターの中ほどまで振って「すーっ」とゼロに戻った。 丁度、電界コンデンサーに回路計をつないだ時の様子だ。 その後は、何度測定しても電池残量計の針はゼロのままであった。 電池の外観は全く正常で、液漏れ等も、腐食もなく、ピッカピカの新品そのものである。 かなり使い込んだ電池であっても、ゼロになるまで使ったりはしないし、紛れもなく新品であり悪いのは24本中1本だけであった。 

 1本分、損をしたと怒っているのではない。 むしろ、こんな不思議な電池に遭遇した(ちょっとおおげさだが)ことに、「なにか良いことが起こりそう」な予感がして、この電池を仏壇に供えている。 アホ丸出しだが…。

レム睡眠と夢枕

2012-05-02 | 日記
 昨夜午後9時に床に着き、浅い眠りが続いた。 その間、学生に戻っていて学校へ行く途中で道に迷って山道に入り込んだ夢をみていた。 それが、どこでどう変化したのか、妻を風呂に入れている夢になっていた。 そこには、やたら謝っている自分があった。 「ごめん、ごめん、痛かったやろ」と、妻の首のあたりを擦っていた。 何をしてそうなったのか、思い出そうとしても全く思い出せない。 ただ、妻の体温をしっかり感じとっていた。 「死者が、自分を思い出して貰いたくて逢いに出て来た」とは、こういう事なのかなと、暗闇の中で考えていた。 思い出が、繫がった手品の絹ハンカチのように、次々と浮かんできて、年甲斐もなく「泣くかも知れない」と予感したが、その前に睡魔に負けていた。

 今朝は雨だった。「これくらいの雨」と傘もささずにゴミ出しに行ってきたら、思いのほか下着まで濡れていた。 例え風邪をひいても、妻にうつす心配をしなくても済むので気が楽だ。 そのまま自分の体温で乾かした。 

 

猫助の俳句&川柳

2012-05-01 | 日記
  俳句 : あらくさの 若葉競わせ 陽が上がる  (猫)

 ちょっと強めの風が爽やかな朝、今日も青空が広がる。 ゴールデン・ウィークの真っただ中、銀行と郵便局に用足しに出かけておかないと、また連休に入ってしまう。 

  俳句 : 菜の花や 白き蝶々が 雑に舞う  (猫)

 じっくりと吸えば、もっと蜜がでて来るだろうに、気忙しく次から次から花を替えてはあっという間に飛び去ってしまう蝶々。 

  川柳 : 100円は 100円ならでの 訳があり

 少し扇風機が欲しい季節だが、まだまだ100円ショップで買ったミニ扇風機で充分だ。 しかし、回しているうちに止まってしまう。 うっかりそのままスイッチを切らずに放置していたら、熱くなっていた。 「すっ すごい! 冷暖房対応だ!}

  俳句 : 青葉若葉 色さまざまに 夏を呼び  (猫)

 年を取ると、寒さに弱いが、熱さにはもっと弱い。 四季ではなく、春と秋だけの二季になればいいのにと、勝手なことを考える。