雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

温故知新「国木田独歩の運命論者」

2012-05-06 | 日記
   「いや、僕はもういただきますまい」と杯を彼に返し
   「僕は運命論者ではありません」
 彼は手酌で飲み、酒気を吐いて、
   「それでは偶然論者ですか」
   「原因結果の理法を信ずるばかりです」

 これは「国木田独歩」の小説「運命論者」の一節である。(主人公 自分)は、ひょんな事から滑川のほとりで 高橋信造 と名乗る運命論者と出会う。高橋に彼が砂に埋めて隠していた上等のブランデーを勧められて、高橋の運命話を聞く破目になる。
 信造は、今は高橋家に養子に入っているが、以前の姓は 大塚信造 と言い、父の 大塚剛蔵 は名の知られた判事であった。

 信造は子供の頃から「自分は剛蔵の実子ではないのではないか」と薄々勘付いていたが、その疑問を18歳の時に父にぶつけてみた。父が打ち明けるには、信造は馬場金之助という剛蔵の碁友の子供であり、瀕死の床にあった金之助の元に2才の信造を残し、実の母親は姿を消したのだと言う。剛蔵は子供がなかったので、2才になってもまだ馬場の籍に入れられていなかった信造を実子として引き取り、ここまで育ててきたのだ。
 今では剛蔵に秀輔と言う実子もいたので、義弟に家督を譲り、弁護士になっていた信造は雑貨商 高橋梅 の養子となり、梅の実の娘 里子と結婚した。
 その後、梅は 馬場金之助 を見捨てて姿を消した信造の実の母親であり、妻の里子は父親の違う実の妹であることを知る…。

 私(猫助)は、運命論者ではない。しかし、遺伝子を運命と信じている。人は、いや人に限らず生き物は、生きていれば必ず年を取り、そして死ぬ。これは運命とは言えないのだろうか。ゲノムの解析で、その人の運命と言えそうな「癌」に罹る大凡の年齢までが判るそうである。
 ほかに例えば「同性愛者」も、遺伝子に組み込まれたプログラムであり、親の育て方でもなければ、当人が選択したものでもない。「未来は神によって予め定められている」とは思わないが、かなりの部分が「遺伝子によって定められている」と思う。
 運命論者は、その遺伝子を神に置き換えているのかも知れない。

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