「アンダーグラウンド」村上春樹 1997年(3月20日)講談社
1995年1月1日元日 読売新聞サリンスクープ山梨県上九一色村
1995年1月17日(火)阪神淡路大地震
1995年3月20日(月)オーム真理教地下鉄サリン事件
全部読むのがいいのだろうけれど、それは細部の違いを探すマニアや強い興味を持つ人に任せておけば良い。それほど強い興味があるわけでもないなら、インタビューは適当に3つくらい、それから前書きの「はじめに」と後書き的な”本編”「目じるしのない悪夢」を読めば充分かも知れない。なにしろ、「我々は自分の体験の記憶を多かれ少なかれ物語化する」のであり、この本に記載されている60余りの記述も「自分の記憶と他人の記憶を混同し、必要に応じて入れ換えて」いる実証なのだろうから。
- 普通の人々が
- たまたま
- いつもと違って
- 危機感の欠如
- 記憶
- 視力
- 夢
警察・政府のその後の行動にも見られる閉鎖的・責任回避的な社会体質に戦争の始まりの構造が見え、この事件をゴシップで終わらせて学ぶべく反省がなければ・・・悲劇はまたやってくるだろう。我々(?)の社会が対応できない形で。なんて書くとかっこいいよね。
前にも他のエントリーで書いた事があるかもしれないけど、私はこの事件の数年前に名古屋の金山駅前でオーム真理教の事務所に連れ込まれたことがあるよ。私がもっと勉強をしていて境遇が変っていないようなら入信していたかも知れなくて、実行犯の一人になっていた可能性もあったのかもしれないってことだな。これは本当。
そして、エコナ(特保)問題や食品偽装なども「アンダーグラウンド」からやってきたのかもしれない。のだった。
でも一気に読みました。
春樹氏のくどい好奇心と記録フェチのような部分
が遺憾なく発揮されていますよね。
ノンフィクションというジャンルの作品として名作だと思います。
事務所への連れ込み、めちゃめちゃこわいっす;
四谷駅前での選挙活動(歌と踊り付き)もこわかったが。
養老先生が、『バカの壁』で怒ってましたが、
そういう部分(根拠のない信心)を含めて人間だよな、とも思う。
ニュースとは違う視点。
俯瞰できない個人という部分で納得しています。