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◆東京電力のカラクリ

2011年07月02日 09時18分53秒 | 読書とか

田原総一郎自選集Ⅱ『経済神話のカラクリ』より「原子力戦争」
単行本1976年、文庫本1981年

田原総一郎自選集Ⅲ『日米IT戦争のカラクリ』より「ドキュメント東京電力企画室」
単行本1981年、文庫本1986年

両方に重複する内容が多々ありますが、原発の問題が中心です。
中立のつもりでもたぶん原発推進への疑問の方が大きかったのではないか。判官びいきもあったか。
読んでいくと「悪いやつ」はいるかもしれないが、それぞれの立場で能力を発揮した結果ということなのかもしれないと思える。つまり「悪いこと」をしようとしている人間はおそらくいない。何か欠落していたものがあるように感じられ、そこに「悪」が存在することになるのでしょう。それはどちらの側(それぞれの立場の中)にもあったように思える。
いざ、事故が起きてしまってから振り返れば、こうしてそれが起こるべくして起きていたのだとわかる記述の如何に多いことか。

「原子力戦争」は小説として書かれ、実名を避けている。
原子力船『むつ』金。官と民。アメリカの思惑。
公害が認識される前の言い分がそのまま原子力に重なっていくのですね。腹立つなー
この中に河野一郎が立派なことを言いながら主張を引っ込めるあたりの描写があるわけです。この部分は小説としてではなくドキュメンタリーですよね?事実ですよね。「ドキュメント東京電力企画室」にも書いてありますもんね。
『エコロジーという洗脳』の中にもありましたが、日本の原発技術はアメリカのデッドコピーで、技術を開発することは抑制されていたんですね。そして、原発推進派の言い分と反原発派の言い分は、フクシマの事故が起きた痕ですら変わっていない。孫引きの孫引きを繰り返し、デッドコピー同士の論争はそのまま繰り返されている。これに終始しては、結局今回も数年のうちに忘れ去られるのではないか。「放射性物質の存在がある限り、忘れることはない」というかもしれないが、情報がマスコミで取り上げられない限り記憶と問題意識は必ず薄れていく。町(建物)が再建され、そこに経済活動と生活が出来上がれば、目に見える被害は消え去ってしまう。健康的被害も極端に多発しない限り問題とされない。多少目立ったとしても地方紙の片隅に載るだけだろう。チェルノブイリ後のヨーロッパはどうだったか。これまでに国内で発生していた原発事故はどうだったろうか。今、選択をしておかなければ、次はもっと酷い結末を迎えることになるだろう。我々にその覚悟はあるだろうか。今の生活を数年だけやめて我慢する覚悟はできないだろうか。
「必要だから作るのではなく、売るために必要な状況をデッチ上げる」
「電力はエネルギー源だからあらゆる産業に連鎖反応を起こして景気を刺激する、つまり高度成長の夢よもう一度、というわけだ」
この作品の連載によって田原氏は会社を辞めたのだそうだ。

「ドキュメント東京電力企画室」
官僚は恐ろしいです。まともに行ったらかないませんよ。
すでに明らかにされている数字、エネルギー需要予測の前提である経済成長率。『本当の見通し』を出すと悲観的になってしまうから、混乱を避けるために~って、まるで「ただちに健康に影響があるものではない」というセリフとオーバーラップしますね。
おお!リビアのカダフィさんが、あの人が石油メジャーに勝ったのがオイルショックにつながっていくのか。そうなのか?っていうか、立場を変えたらヒーローじゃねーの?カダフィさん!でも、おかげでこっちは原発推進になっていくんだから迷惑なこった。しかも、オイルショックは幻影だった?石油は足りなくなるどころか、輸入量は増えていた!
電力会社「軽水炉は完成した実用炉だもん(どきどき)」
国「ああ、じゃあ研究費や開発費は要らないね」
電力会社はGEの技術を過信していた。本当は問題だらけだったのに~
橋本清之助原子力産業会議代表常任理事「われわれ原子力関係者は社会とファウスト的契約を結んだ。(中略)これが制御されないときに、恐るべき災害を招くという潜在的副作用を与えたのである
官僚主導による上から政策は破滅への暴走を招くかもしれない(生真面目さの暴走は、いい加減でないだけにかえって危険である)と~結局官民中途半端になって、悪循環~見直されることなく2011年03月11日を迎えるのであった。
P88 「東電の、いや電力業界の未来の安定と繁栄を確保するつもりで原子力を選んだことは、もしかすると破滅への選択ではなかったのか」とあるが、事故が起きたあとでも反省できない国は最低だと思う。これまでどおりの基準で安全確認して再稼動しようとする馬鹿経済産業大臣と自治体の頭は、一度プルトニウムの一気飲みをするべきだと思う。
田中角栄電源三法「金をやるからおとなしくしろ(その金は電気代に上積み)」
地域分散型エネルギー構想は住民運動側からも、官からも出され、ともに電力会社を標的にしている。ああ、この流れが再びきているんだな。これが書かれてから30年、少ししか動かなかったものが今大きく変わるチャンスか。
2005年にこの自選集が出されたとき、自作解説の中で「同社(東電)が誇るべき過去を改めて振り返り、再生を果たすことを、わたしは強く願っている」とあるが、田原氏のこの願いは届かなかったようである。


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