「カフカ小説全集3『城』」(初1926) 2001白水社
長編3つとも未完で死後に友人が発表。
『城』は構成がとっても『審判』に似ている。主人公の社会的な地位が大きく違うけれど、傲慢な性格は瓜二つ。
『城』は『審判』の書き直しなのかもしれない。
バルナバスの家族が自ら破産していく姿は、『審判』でも同様に弁護士を雇いうことに金を使って破産していく男と同じだ。
さらにこちらでは、主人公Kの正体を不明なままにしておくことで、より作品の中の動きを抽象化する。
『城』では組織と地位と権力や責任などをすべてより抽象化していく。
長いセリフがたくさん出てくるが、ほとんどがどうでもいいことを長々と言い訳しているだけであって、その説明は論理的であるように装っていながら根拠が薄弱で非常に空虚である。セリフが長くなればなるほどにその傾向がある。役所とその組織とそれぞれの仕事の分担と責任、誰も自分のやっていることの意味を知らないのではないかと思える。そしてそれを皆が良しとしている状況。
いったい何の話なのか。
私にはこれが宗教を語っているかのように見えた。
一見ただの田舎町に見える城は、それは宗教であり教会である。
だれもが城にかかわり城に住んでいながら、その奥の本当の城にはたどり着けない。
ただ、城とその組織を信じて、自分の仕事をこなすことで何かの希望を持っている?
いや、仕事などしている者はいないように見える。仕事を作り出すことに精を出す人々、それを敬う人々、そこにはただただ浪費があるだけだが、その浪費が人々の生活を支えているのか。一体どうやってこの城は成り立っているのか。
作品は未完であり中断しているのであるが、
最後でKが「私は実は神である」とか言い出しても驚かないよ。
「お前たちを試していたのだ」とか言って、『審判』とは逆の終わり方(城の崩壊)をするとかね。
なんか『聖書』っぽいよね。『水戸黄門』か。
この作品を読みながら、安部公房がカフカと自分を同一視していく雰囲気を感じる。安部公房は絶対にカフカに自分を寄せていっている。
さて、2024年はカフカ没後100年となるが、果たしてブームは来るのだろうか。