「小野田寛郎の終わらない戦い」戸井十月 2005新潮社
ヒューマンドキュメントロングインタビュー
小野田さんに特に興味もなかったのだが、どこにいても成功した人だろうとは思える。
なぜ30年も戦いを続けたのか。
性格と時代と教えと成り行きと怠慢と疑念。そして生き残る力、作戦遂行への信念。
仲間。(一人だけ生き残る)
妻や子供がいたらどうしていただろう。
「敗戦や 妻なく子なく金もなし 職もなければ死にたくもなし」
日本民族
「正当な日本」って?
「富める国」とは?
「立派な国」とは?
共感するところもあるが、怖い人間だと思う。癪持ちのアスペルガーかも?
一応、その信念には敬意を表するが、その実態は知る由もない。
出てきたときの覚悟についても、その言を信じるならば尊敬に値する。
何度も死んだことにした日本政府。
彼の存在はフィリピンにとっては不幸だったのか、ラッキーだったのか。
個人(住民)レベルでは恐怖と不幸だったろうが、国にはきっとラッキーだっただろう。
フィリピン住民から書かれた本(証言)などは無いものだろうか。
(住民に対する罪は認める。しかし、多くの他人の罪(犯罪)が押し付けられてもいるはず)
役人と国会議員とマスコミには、ここでもうんざりさせられる。
P72に天皇と首相の言葉があり、それを見る限り、日本国憲法を改正しようとする安倍さんたちの物言いには疑問が残る。
P77の朝鮮戦争特需を見れば、安倍政権における武器三原則の見直しは、もう一度起こるそれを見込んだものだとの疑いが持たれる。アメリカもそろそろ戦争をしないといけない(武器在庫処分、入れ替え)時期に来ており、日本もその方向に合わせた政策をしているのかもしれない。日本という国の豊かさは経済に負っており、そのためであれば他国の争乱さえも飯の種にする国だという認識が必要なのかもしれない。そういうことを批判する人間たちであっても、そこから抜け出すだけの覚悟を持っているだろうか。
P138 たくましい人間が検査入院で弱らされる。これこそ、まさに日本の医療のいちばんの病ではないか。小野田さんがそうなったことは、健康診断に始まる日本の医療制度の間違いを端的に示しているのではないのか。
結局、最終的に彼は日本人だったのか。
日本で16年、支那で4年半、フィリピンで30年、再び日本で1年、ブラジルへ
「財団法人小野田自然塾」親の責任~日本はどこかで軌道修正が必要だった~
小野田寛郎 お別れ会
NHKオンデマンド「生き抜く 小野田寛郎」(2005)