「1973年のピンボール」村上春樹 1980講談社
登場人物に名前がないことに違和感。充分話の流れは伝わるのだけれど。
- 僕
- 双子
- 208
- 209
- 共同経営者
- 事務員(女の子)
- 工事人
- 大学講師(カタログマニア)
- (ピンボールコレクター)
いや、3人の名前がある。
作中ではジェイズ・バーのジェイ、そして鼠。なぜ彼がバーテンとか店主とか言われなかったのかわからないが、名前そのものが店と一体となったもので個人を示す要素が弱いということかもしれない。それとも、作家の個人的な何かか。鼠についてはさらにわからない。なぜ鼠なのか。
もう1人は前書きらしき部分での直子。
- ジェイ
- 鼠
- 女
おそらく、”名前”が邪魔だったのだろう。名前によって伝えたいイメージがぶれるのを怖れたのか。だが、それが上手く言ったのかどうかは不明だ。私は本の内容よりも自分の思い出に浸る時間の方が多かったように感じる。まあ、それが狙いであれば、大成功ということだけれど。
この本は”葬式本”である。
配電盤の葬式をして、思い出と町の記憶の葬式、ピンボール台の葬式(ここが直子との別れの会話ですか)
村上春樹の作品は浮気者が当たり前のようなイメージになっていたので、僕と鼠が同一人物だと思い込んで込んでいた。未だに読後感の中でそれが拭えない。デビュー作からの3部作の真ん中ということで、前後の作品もあわせて読みます。