リッスン・トゥ・ハー

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ペリー来航

2007-11-13 | 掌編~短編
「ペリー来航」

 南家の朝は戦争そのものである。
 それぞれが一斉に起きて同じような行動を取るものだから、洗面所もトイレも早い者が優位となる。家族が多いわけではない。人数から言えば4人だ。父と母に、姉そして私。
 一番早起きなのは、恐らくたいていの一般家庭がそうなのだと思うが、母である。そこに何の疑問も抱かずにいることに、男女共同参画社会を目指す日本、いや世界の視線を感じなくもないが、ここでは紙面の関係上無視することにする。
 母は起きて、4人分の朝ごはんを作る。手際のよさはなかなかのもので、それはそれは見事にせっせと作っている。ここで具体的になにをするかを描写できないのは、私がその現場に居合わせたことがないためで、見ていないものは描写できるわけがない、だからこれで納得してもらうしかない。しかし2番目に起きた私がぼんやりと食卓に行くと、待っていたというように湯気がふわりと立つ熱いコーヒーが置いてあるのだから、手際は良いと想像できよう。
 その頃になると母はすでに自らの仕事に行く準備をはじめており、歯磨きや、朝のお通じなどはすでに済んでいるからこの物語に大きくは関係がない。
 そして怪物である姉が起きてくる。姉は巨体である。近づくとまだ幼児であれば確実に泣き出すし、小学生の低学年でも大きなものの影に隠れる。高学年になるとさすがに逃出すことはないが、決して目を合わせようとせず、必死でその恐怖に耐えている風になる。 姉は人並みはずれて肥えている。それが、起きてくると家は活気付く。丸々太った黒マグロが甲板に打ち上げられたかのように活気付く。姉がたてる鼻をかむ音や歯を磨く音やお顔を洗う音はいちいち非常にやかましい。こんなことをはっきり本人に聞こえるように言ったら殺されかねないが、その様は気持ちが悪い。
 いつも機嫌の悪そうに起きてきた姉はやはりやかましい音をたて、排便に臨むのだが、問題はここである。
 姉がトイレに入ろうとした時すでに見事に禿げた父が起きている場合、父はトイレを最低15分占拠する。
 なぜ忙しない朝の15分もトイレを占拠するのか。父の弁解によるとこうだ。
「前座に電気を通し温めることで、じわじわと腹を温めること5分、貯まった便に昨日の嫌なことを注ぎ込んで排出する準備をすること5分、固めの便をゆっくり焦らずに放出すること5分、その行程すべてを経なければ便は降臨しない」
 降臨しないのなら仕方がない。私は父の腹の中が便だらけになるさまを想像して途中で止めて、それはすさまじいし、できればすっきりださせてあげたいから15分かかってもすればいいよ、と思いそれに関して何もいわないが、怪物は違った。 
 姉は父の腹の中が便だらけになろうが、カスタードだらけになろうが全くお構いなしで、自分さえよければそれでいいジャイアンだった。いや、ジャイアンは映画版では良い奴になる分姉の方が永遠に姉であるから性質が悪い。
 いつからだろう姉と父は朝、互いを憎しみあい、罵り合うようになった。
 そしてある日、「この剥げはよでてこい」という姉の言葉にキレた父は全く譲らず、30分を超えようかというのにもかかわらず、トイレに入ったままで、いや、トイレと言う名の意地に入ったまま出てこない。明らかに会社は遅刻であろう、意地の為に会社を遅刻する、社会人らしからぬ行動である。姉が意地の扉の前で悲痛な叫び声をあげる。しかし、言ってることは「くそじじいでてこねえと毛抜き倒すぞボケ」だから、父がでてくるわけがない。
 やがて怪物は、あひー、とひとつ鳴いた。そして大変哀しげにへなへなと座り込んだ。「お父さん、ダメ、お姉ちゃんが・・・・」と私は意地の向こう側でおそらく聞き耳を立てている父に言ったが、時はすでに遅しであった、そのあたり一面を異様な匂いが立ち込めた。
 意地の扉は開かれた。涙と便を垂れ流す姉を呆然と見る家族はしばらくの間何もできずに立ち尽くしていた。やがて母がほら、シャワー浴びなさいと促し、それに大変素直に従って姉は風呂場に向かった。
 その日、姉は学校を休み、父も会社を休み、私もちゃっかり学校を休み、母は通常通り会社にいったけれど、3人で少しはなれた場所にあるファミリーレストランで、長い話し合いの末、7時15分までは父のもの、それ以降は姉のものという協定をむすんだ。他の家族は全く蚊帳の外である、そこに私と母が踏み込む余地は残されていやしない。とにかく父と姉は協定を結んだ。
 我が家の夜明けであった。