夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

中国人名と日本人名の読み方・その2

2012年02月05日 | 言葉
 きのう書いたブログで、東京新聞の互いに相手国を呼ぶその呼び方を「相互主義」だと言っている事に言及した。私はなぜそうなったのかをそのコラムはまるで考えていないと批判したのだが、田代博さんと言う方から別の観点からのコメントを頂いた。
 相手国を自国の読み方で読むのを「相互主義」と東京新聞のコラムは書いているが、お互いが相手国の読み方を行うのが「相互主義」だと思う、と田代さんは言う。私は「相互主義」の言葉の使い方までは気が回らなかった。私の考えたのはもっぱら漢字をそれぞれにどのように読むか、だけだった。
 そして、頂いたコメントで、ある事に思いが至った。それは古代の日本人の名前の表記である。それはまさしく「相互主義」で貫かれていたのである。

 倭国王「多利思比孤=たりしひこ」が隋の皇帝に送った有名な手紙がある。「日出づる国の天子」で始まる手紙である。自らを隋の皇帝と同じ「天子」と自称している事が無礼だ、と非難された王だ。私はもう一つ別の言葉が皇帝の怒りを買ったと考えているが、今回はその話ではない。
 この「多利思比孤」を日本の学者連中は聖徳太子だと考えている。「多利思比孤」は実は「「多利思北孤=たりしほこ」が正しいらしい。私は倭王が自ら「多利思北孤」と署名したと考えている。日本語での表記なら「足矛=たりしほこ」である。それ以前の天皇では「稚足彦=わかたりしひこ」「足仲彦=たりしなかひこ」「武小広国押盾=たけおひろくにおしたて」などが居る。「足」もあるし、「盾」があるなら「矛」もあり得る。「足矛=たりしほこ」は十分に意味のある名前である。

 しかし「足矛」と書いて「たりしほこ」と読めるのは日本語であって、中国語では時代によるが「ソクム」とか「ソクボウ」としか読めない。固有名詞で大事なのはその発音であって表記ではない。中国語で「タリシホコ」に近い発音で読めるためには「多利思北孤」と書くしか無い。「多利思北孤」は中国語の発音に近い表記を選んで日本人がそう書いたのである。しかもすべてが佳字(良い意味の文字)である。
 これが田代さんの言う「相互主義」である。
 ところが、日本の学者はそうは思わない。聖徳太子が摂政をしていた推古天皇の次の天皇である舒明天皇の名前と間違えたのだ、などと素っ頓狂な説を打ち出したりしている。舒明天皇の名前は「息長足日広額=おきながたらしひひろぬか」であり、その「足広=たらしひ」を「多利思比孤」と書き改めた、と言うのである。

 書き改めるのが既におかしいし、名前の一部だけを採ると言う更におかしな事をして、なおまた、まだ登場もしていない次の天皇と間違えるなどと言う馬鹿馬鹿しい事を正気で考えている。しかも舒明天皇の「息長足日広額」は死後に贈られた名前なのである。
 もうこれだけで、あまりにも馬鹿らしくて、学者とは何ぞや、と言う大きな疑問と失望を抱かざるを得ない。

 日本が「相互主義」を貫けば、中国も同じである。「小野妹子=おののいもこ」は唐では「蘇因高」と書かれている。「妹子=インカオ」である。日本側の「いもこ」の発音を使っている。「いもこ」は唐の発音では「インカオ」になるのだろう。「妹子」では「マイス」などとしか読めない。「蘇」についてはなぜそう呼ばれたのかは分からないが。
 日本の古代史では、日本書紀に出て来ない倭王の名前はすべて、こうした杜撰でいい加減な考え方で大和朝廷の天皇だとされているのである。
 東京新聞のコラム執筆者が、そうした日本の古代史学者の説明を読まされて勉強して来た事は十分に考えられる。さても、日本の古代史学者の罪の深さよ。

中国人名のふりがりなについて、東京新聞のコラムを考える

2012年02月04日 | 言葉
 今日の東京新聞の言葉に関するコラムは中国人名の振り仮名についてである。
 韓国や北朝鮮の人名は現地音に近い読み方を片仮名で振り仮名を付けるが、中国人名を日本語で読むのが許されているのは、中国では日本人名を中国語で読み、日本では中国人名を日本語で読む事を妨げない相互主義に基づいているからだ、とそのコラムは言う。
 ではなぜ、そうした相互主義が生まれたのかについては、このコラムは無言である。つまりそうした事は何も考えていない。何で朝鮮半島の国々と日本との間にはそうした相互主義が生まれなかったのか、と考えるべきではなかろうか。

 我々が朝鮮人名を現地音で読むようになったのは近年の事である。昔はそうではなかった。勝手に領海ラインを引いて、日本漁船を片っ端からだ捕した李承晩大統領は「りしょうばん」と呼んでいた。今は「イ・スンマン」らしいが、誘拐された金大中氏も「きんだいちゅう」で、「キム・デジュン」などとは呼んでいなかった。

 朝鮮にはハングルと言う理想的な表音文字がある。朝鮮語の発音に合わせて作り出された表音文字だから、欧米のアルファベットとは本質的に違う。ハングルを使えば現地音を正確に近く表記出来る。そして日本には表音文字の仮名がある。仮名を使えば、現地音に近い発音を表記出来る。
 だから朝鮮は日本に朝鮮語読みを求め、日本は朝鮮に日本語読みを求める事が出来る。

 しかし中国にはそうした表音文字が無い。ピンインと言うローマ字で発音を表す方法はあるが、それは文字ではない。従って、日本人名を漢字で表記している以上は、その漢字は中国語でしか読めない。だから自分達中国人名も、日本で漢字で表記している限りは日本語の発音で読むのに文句は言えない。
 それがこのコラムの言う「相互主義」になるはずだ。
 つまり、このコラムはこうした事を全く考えていない。考えられないのだろう。でもそうした考え方で言葉に関するコラムを書こうと言う勇気には感心してしまう。このコラムについては私は何度も書いているから御存知の方も多いと思うが「知っている? 知りたい・コトバ 言葉」である。
 今日のコラムで、台湾のゴルフ選手「曽雅?」は「ツェン・ヤニ」で一般化しており、「そう・がに」と呼んではしっくりこない、と書いているが、それは単に慣れの問題に過ぎない。我々、と言っても熟年以降の人にとっては、蒋介石は「しょうかいせき」であって、「チャン・カイセック」ではそれこそしっくり来ないのである。

 こうした人名などの現地音について、欧米ではどうなのだろうか。例えば「ヨハン・シュトラウス」はドイツ語の発音である。英語なら「ジョハン・ストラウス」とでもなるのだろうか。他国の人名をどのように呼ぶのかは、大きな問題だと思う。簡単に「相互主義」などで片付ける事は出来ないのではないか、と思う。


大型スーパーの一日限りの特売

2012年02月03日 | 暮らし
 イオンのカード会員を対象にした毎月一回、一日限りの特売を私は二度利用している。一度は自転車で、二度目はソーラー電波腕時計である。どちらも普段から値段を見ているから、安いと分かった。

 さて今回は日本酒一升瓶3本6000円である。久保田の千寿はインターネットで調べて3750円、八海山は様々なランクがあるが、写真で見る限りは2000円。これだけで既に5750円。だから残りがいくら安くても1000円以下ではないだろうから、結局は安くなる。しかしその残りの山田錦と言う酒がどこのどんな酒か分らない。山田錦は米の銘柄だから、山田錦を使った酒は幾らでもある。インターネットで見ても、写真にあるようなラベルの酒は無い。写真では銘柄も酒造会社も分らない。

 さてと、どんなものだろうか、と私は迷った。だが、妻が私は日本酒よりも12本セットのワインの方がいい、と言うので、12本8000円也のワインにした。そして当日12時過ぎに店に行った所、日本酒セットは既に売り切れていた。全国で2000セット限定で、ワインは2400セット限定で、そのせいもあるのだろうが、値段が分り易い事も理由だろうと思っている。

 ワインは私はあまり買わないので、それぞれの銘柄についてよくは知らない。ただ、私が普通に買うとしたら、700円くらいを最低として、最高でも1500円くらいの物しか買わないから、まあ、12本8000円なら高くはないか、と踏んだのである。
 どちらのセットにしても、果たして本当に安いのかどうかは、今の所は分らない。
  
 そして同時に辛子明太子も買った。だが、受け取りが、ワインや酒が2月15日以降なのに、こちらは2月11日から14日までなのである。これが15日までなら、ワインと明太子の両方を同時に受け取れるのに、と思った。受け取り日の指定の無い商品の方が多いのに、何でわずか1日違いの設定をするのだろうか。明太子は鮮度が問題なのだろうから、11~14日と限定されるのは分るが、12~15日にする事出来るだろうし、ワインの方を14日以降とする事だって出来るだろう。

 二度足を運ばせるつもりもあるのかも知れない、と思うと同時に、価格設定についてもそのままに信用は出来ないのかも知れない。なんせ、相手は百戦錬磨の大型スーパーなのである。

万葉集の原稿に夢中になっています

2012年02月02日 | 歴史
 ここしばらくブログを休んでしまって、せっかく立ち寄って下さったのに、申し訳なく思っております。言い訳ですが、外での仕事が忙しいのと、自分の万葉集の原稿の仕上げに夢中になっているからです。

 この原稿は去年中に完成して、年明けと共に売り込みを始めたいと考えていたのだが、読み直していて、もっと良い書き方がある、と思い付いたのが運の尽き。これを「運の付き」にしたいと懸命になって書き直している。そうすると、不思議な事には次から次へと書き直した方が良い部分が出て来る。何か、勢いに乗った、とでもいいたくなるような情況になっている。そして収拾が付かないような情況にもなっている。

 『扶桑略記』と言う歴史書は「天智天皇は山科野に入られて帰って来なかった」との説を紹介している。これを基に、伊沢元彦氏が平成2年に「隠された帝・天智天皇暗殺事件」と題する推理小説を書かれている。
 その天智天皇暗殺だけではなく、私は天武天皇も命を奪われていると考えている。その証拠は天智天皇の皇后、つまり後の持統天皇の、天武天皇に対する二首の挽歌にある。
 「燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずや面知らなくも」が二首の内の一首である。「燃える火」で天皇を表していると私は考えている。それを「取って」「包んで」「袋に入れ」てしまうのである。そんな事が出来ると言うのに、皇后は天皇の顔を見る事が出来ないのだ。何とも不思議な歌である。

 どの解説書も天皇が亡くなって、皇后は悲しんでいるとの解釈しか出来ていない。天智天皇への挽歌にしても解説書は曖昧な解釈しか出来ていない。
 その理由は明確だ。日本書紀では二人共病死になっているからだ。しかしどちらも皇后が、天皇の崩御と言う重大事に詠んだ重要な歌なのである。当然に皇后は当時の歴史の中に生きている。後の世の我々が歴史書で知っている事なんて、たかが知れている。
 歌を詠んだ本人を信じなくてどうするか、と言うのが私の考え方なのである。
 更には有名な「熟田津に」の解釈にも全く新しい解釈を私はしている。
 万葉集中、有名な誰もが読み解けていない難訓歌も私は読み解いている。

 このいずれも原文の漢字と言葉を正確にきちんと調べて追究した結果がそうなっている。いい加減な想像など一切存在しない。そして日本書紀も漢文の原文で読んで、正確な史実を掴もうとした。なぜなら、現代語訳に信じられないような間違いがあるからだ。それは承知してやっている誤訳である。自分達が解釈している日本書紀の記述に合わせるために敢えてしているのだ。それはつまりは、日本書紀の記述を全面的に信頼しているとの証拠でもある。
 誤訳はあまりにも念の入った誤訳で、古語辞典や漢和辞典も使っての事だから、非常に複雑な事になっている。そしてなぜか、古語辞典も漢和辞典も間違った解釈を、それも日本書紀の間違った読み方を取り入れて堂々と展開しているのである。
 一流の学者達が「ぐる」になってしている事だから、一素人が立ち向かうにはそれこそ万全の構えが必要になる。

 だから難しくて複雑にもなる。それを何とか、易しく分かり易く表現しようと心を砕くから、何度も何度も考え直し、書き直す事になる。でも、それだから、私の論理の展開には類書にあるようないい加減で雑な展開は無い、と自負している。
 こうした考え方が世に受け入れられないのであれば、学問とは一体何のために存在しているのか、と言う事にもなる、と私は考えている。