夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

万葉集の原稿に夢中になっています

2012年02月02日 | 歴史
 ここしばらくブログを休んでしまって、せっかく立ち寄って下さったのに、申し訳なく思っております。言い訳ですが、外での仕事が忙しいのと、自分の万葉集の原稿の仕上げに夢中になっているからです。

 この原稿は去年中に完成して、年明けと共に売り込みを始めたいと考えていたのだが、読み直していて、もっと良い書き方がある、と思い付いたのが運の尽き。これを「運の付き」にしたいと懸命になって書き直している。そうすると、不思議な事には次から次へと書き直した方が良い部分が出て来る。何か、勢いに乗った、とでもいいたくなるような情況になっている。そして収拾が付かないような情況にもなっている。

 『扶桑略記』と言う歴史書は「天智天皇は山科野に入られて帰って来なかった」との説を紹介している。これを基に、伊沢元彦氏が平成2年に「隠された帝・天智天皇暗殺事件」と題する推理小説を書かれている。
 その天智天皇暗殺だけではなく、私は天武天皇も命を奪われていると考えている。その証拠は天智天皇の皇后、つまり後の持統天皇の、天武天皇に対する二首の挽歌にある。
 「燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずや面知らなくも」が二首の内の一首である。「燃える火」で天皇を表していると私は考えている。それを「取って」「包んで」「袋に入れ」てしまうのである。そんな事が出来ると言うのに、皇后は天皇の顔を見る事が出来ないのだ。何とも不思議な歌である。

 どの解説書も天皇が亡くなって、皇后は悲しんでいるとの解釈しか出来ていない。天智天皇への挽歌にしても解説書は曖昧な解釈しか出来ていない。
 その理由は明確だ。日本書紀では二人共病死になっているからだ。しかしどちらも皇后が、天皇の崩御と言う重大事に詠んだ重要な歌なのである。当然に皇后は当時の歴史の中に生きている。後の世の我々が歴史書で知っている事なんて、たかが知れている。
 歌を詠んだ本人を信じなくてどうするか、と言うのが私の考え方なのである。
 更には有名な「熟田津に」の解釈にも全く新しい解釈を私はしている。
 万葉集中、有名な誰もが読み解けていない難訓歌も私は読み解いている。

 このいずれも原文の漢字と言葉を正確にきちんと調べて追究した結果がそうなっている。いい加減な想像など一切存在しない。そして日本書紀も漢文の原文で読んで、正確な史実を掴もうとした。なぜなら、現代語訳に信じられないような間違いがあるからだ。それは承知してやっている誤訳である。自分達が解釈している日本書紀の記述に合わせるために敢えてしているのだ。それはつまりは、日本書紀の記述を全面的に信頼しているとの証拠でもある。
 誤訳はあまりにも念の入った誤訳で、古語辞典や漢和辞典も使っての事だから、非常に複雑な事になっている。そしてなぜか、古語辞典も漢和辞典も間違った解釈を、それも日本書紀の間違った読み方を取り入れて堂々と展開しているのである。
 一流の学者達が「ぐる」になってしている事だから、一素人が立ち向かうにはそれこそ万全の構えが必要になる。

 だから難しくて複雑にもなる。それを何とか、易しく分かり易く表現しようと心を砕くから、何度も何度も考え直し、書き直す事になる。でも、それだから、私の論理の展開には類書にあるようないい加減で雑な展開は無い、と自負している。
 こうした考え方が世に受け入れられないのであれば、学問とは一体何のために存在しているのか、と言う事にもなる、と私は考えている。