夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

おかしなコラムで「人が居ない」現実を知った

2009年03月12日 | Weblog
 毎日ブログを書くのは結構大変である。常に関心のある事ばかりある訳ではない。それに書く以上はきちんとした事を書きたい。そうなると、最低でも1時間半は掛かる。外で仕事をしている日にはその時間をひねり出すのがとても難しい。だから時々、休んでしまおうかな、と思う。だがせっかく訪れてくれた人にそれではあまりにも失礼になる。
 更には、褒めてくれる人などがいれば、もう嬉しくて、やっぱり休めないな、と思ってしまう。
 日頃からきちんと結論の出ている事柄ならあまり苦労は無いのだが、自分でもきちんとは考えていない事に言及するとなると、それはもう大変。四苦八苦して、それで2時間とか3時間は経ってしまう。それでも、翌日その書いた物を見直すと、あちこちに駄目な所がある事を発見する。だから書き直しに更に時間が掛かる。
 それでも、これは私の文章修業になっている。考え方の修業にもなっている。だから苦労してもやり甲斐がある。そうしてみると、毎日、新聞のコラムを書く人は本当に苦労しているのだろう、と思う。どこかの新聞では、コラム担当は一人で、それしか仕事を持っていないとあった。一日掛かりなら見事なコラムになっても当然である。テーマを探す苦労はあるが、なかなかおいしい仕事ではないか、と私は羨んでしまう。

 それなのに、先日書いたように、おかしな考えのコラムがある。ある新聞には自分の書いたコラムに間違いがあったのに気付き、その訂正をしているのだが、訂正ではなく、単なる言い訳、それも非常に分かりにくい言い訳になっていた例がある。何とかして間違いである事を隠したいとの気持が、おかしな分からない文章になっている。それならいっその事、黙っていればいいのに、と思う。でも中途半端な良心がそれを許さなかったのだろう。
 でも不思議である。記事はデスクが読み、更には校閲者の目もある。少なくとも二人の専門家の目を潜り抜けている。先日のコラムにしても今挙げた過去のコラムにしても、決して難しい内容ではない。それなのに、二人もの専門家がおかしな事を納得してしまっている。実におかしい。もしかしたら、コラムはかなり「偉い人」が書いていて、デスクも校閲も文句を言えないのか。でもそれでは新聞の権威が失墜する。

 何か、今の民主党と同じような気がする。小沢氏に党首を辞めろ、と世間の大多数が言っても、党内には同じ事を言う人が居ない。つまり、世間が駄目だ、と言っている人が一番偉い人なんだから、誰も文句を言えない。だから民主党の権威は失墜してしまっている。
 民主党に権威なんか元々無いよ、と言うなかれ。無ければ無いで、更に落ちてしまった、と言っているだけである。
 本当に人が居ないんだねえ。骨があるなあ、と思えば、党を追ん出てしまったりして。党を頼らなければ選挙に勝てない人ばかりじゃ、どうにもならない。無党派層が圧倒的に多いんだから、既成の政党はもうやってけないのだ、と言う事くらい分かりそうなものなのに、やはり、群れている方が強いのか。

 吉田茂と言う人が、どのような政治家だったのか、不勉強で知らないが、『大人の見識』(阿川弘之 新潮新書)に楽しい話が載っている。
 外相だった吉田氏が進駐軍総司令部(GHQ)に行って、「GHQとはどういう意味か」と聞いたのだと言う。総司令官のマッカーサーが「ジェネラル・ヘッド・クォーターズの略で」答えると、吉田外相はこう言った。
 「ああ、そうでしたか。私はGo home quickly!の略かと思っていた」
 聞いた方も聞いた方だが、答えた方も答えた方だ。あまりにも面白過ぎて、作り話か、と疑ってしまうほどだ。
 当時、天皇より上位に立っていた占領軍の最高責任者にこれだけの事を言う度胸がある。それは様々な見識に裏打ちされた度胸である。こんな人、今の日本にはどこを探したって居やしない。一番の権力者がアメリカに行けば、ただ尻尾を振るだけ。見識なんかまるで無し。
 吉田氏も偉かったが、マッカーサーも偉かったと私は思う。今のアメリカの権力者なら、即座に吉田氏を更迭していただろうからね。
 麻生総理の祖父は吉田茂と言う人らしい。ここに出て来たあの総理大臣を務めた吉田茂氏とは同姓同名の赤の他人ですよね。