夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

東海道新幹線の車窓風景と「しんがり」

2009年07月16日 | 言葉
 新幹線の車窓風景の写真集を出した人がいる。題して「新幹線の車窓から」。その新幹線とは東海道新幹線だ。開業45周年を迎える同新幹線だからこそ、沿線の風景を変えて来た歴史がある。
 車窓風景は私も大好きだ。電車に乗れば、必ず外を見る。疲れているとつい座ってしまうが、それでも向かい側の窓から必至になって外を見ている。東海道新幹線は昔仕事でよく東京と京都を往復した。しょっちゅう見ているのにいくら見ても飽きない。だから必ず窓側の席を取ったし、取れなければ一応安全のために指定席は取って、始発駅の場合は自由席に座った。車窓風景を写真集にした人の気持はよく分かる。
 東京新聞の7月16日、その人と記者とカメラマンが一緒に「こだま」に乗った特集が掲載された。掲載された珍風景は6点だが、もっと載せてほしかった。著者の撮影している姿が一番大きい写真になっているのは主人公だから仕方がないかも知れないが、本当の主人公は車窓風景のはずである。
 著者は「移動手段としてだけでなく、旅の楽しみも提案したい」と語っているが、旅の楽しみを奪って来たのがほかならぬJRその物なのだ。速さだけを売り物にして来たから、今や名古屋や京都、大阪に行くのに「こだま」に乗る酔狂な人はいないだろう。何しろ「のぞみ」が増発されている時代なのである。
 いったん、速さに慣れてしまうと、遅い列車には乗れなくなる。恥ずかしい話、私のいつも乗っている東京都営の地下鉄・新宿線には地下鉄内でも急行が走っている。よく利用する区間では15分の所を10分で走る。5分の節約と途中駅を通過するのが快感となってしまったから、出来るだけ急行に乗ろうとする。そのためにわざわざ時間調整をしたりしている。調整時間は5分とか10分で、何の事は無い。それだけの時間を無駄にしている事にもなる。何のために速さを求めているのかと大いに疑問になる。でもしっかりと速さを求めてしまっている。

 そうそう、ついでながら、この地下鉄の急行の事をもう少し。実は急行を走らせるために割を食っている列車がある。途中駅で急行の通過待ちをする列車である。普通よりも2分以上も余分に停車する羽目になる。1分で良い所を3分も停車するのである。列車の込み具合から見ても、急行の利用客よりも各駅停車利用客の方がずっと多いのに、その多い方の乗客に不便を強いているのである。それに急行に乗れない客には、次の列車を待つと言う余分な待ち時間も要求する事になる。急行は今までのダイヤに新しく追加されたのではなく、各駅停車が急行に昇格したのである。乗れない列車が出来たのである。
 そんな僅かな時間に文句を付けるな、とは言えない。その僅かな時間、近距離での急行の利用客は僅か3分から5分程度、の節約を便利ですよ、地下鉄側は言っているのである。

 話を戻す。新幹線での風景を楽しみ方のコツとして、通過待ちがあり、駅弁も買える「こだま」に乗るのもそうだが、先頭車両に乗る事だ、と言う。特にこれは「鉄則」だと言う。発車直後、ゆっくりと流れる車窓風景を少しでも長く楽しむため、と言う。
 確かにそう言えるが、でも次の駅に到着する際には、先頭車両はすごいスピードである。風景は急速に流れている。しかし最後部車両ならずっとスピードは緩くなり、それこそゆっくりと車窓風景が楽しめる。
 発車の際にはホームの外に出る先頭がゆっくりで、後部はホームの外に出た時にはスピードが上がっている。反対に、到着の際にはホームに差し掛かる先頭はスピードがあって、後部がホームに差し掛かる時にはほとんど停止寸前のスピードになっている。そんなのは当たり前の事である。
 となると、この風景の楽しみ方と言うのは、出発するのに意味があって、到着には意味が無い事になる。何でも先頭が良いのか。最後尾では駄目なのか。最後尾は「しんがり」と言う。特別な言い方があるくらいだから、重要だと認められている。漢字にすれば「殿」。特に戦では退却する際に敵の追撃を防ぐ役目で、犠牲を伴うし、力量が大いに物を言う。岩波国語辞典には「しりがり(後駆)」の音便、との説明がある。こうした説明は非常に有用だ。
 またまた恥ずかしい話だが、「しんがり」を私はずっと「殿軍」と書くのだと思っていた。時代小説にそのように表記し「しんがり」とルビが付いていたからだ。そして、今、これを書いていて、改めて「しんがり」を辞書で引いて初めて分かった。
 同時になぜ「殿」なんだ、と疑問が湧いた。「殿」は元々は「尻」を表す漢字だと言う。それがなんで「大きな建物」を表すようになったのかは分からない。漢和辞典はその説明をしてくれない。「大きな屋敷に住むから殿様」は分かるのだが、肝心の「大きな建物」の理由が分からないから、理解出来た事にはならない。
 仕方が無いから『字通』で調べる。「殿」は「奠」と音が似ており、「奠=台の上に酒を置き、神に供える」から、「大きな建物=殿」になったと考えられる。本当は「奠」ではなく、「尸」の下に「奠」なのだが、そんな字は『字通』にも無いのだ。

 ついでながら、私の興味は常にこのようにして発展して行く。最初は新幹線の風景で、なぜ先頭車両が良いのか、との疑問があり、それが「しんがり」に繋がり、「殿」の漢字としての意味にまで発展する。忙しい時は『字通』で「奠」まで調べるような事は出来ないから、中途半端に終わっている。「殿と奠」のような説明は易しい漢和辞典にも絶対に必要だろう。私は白川静氏を御尊敬申し上げているが、その白川氏の『常用字解』にもそのような説明は無いのだ。同書は中高生にも分かるようにと作られている。
 いつも思うのだが、辞書は専門家が作っている。だから我々素人が何が分からないのかが分からないのである。