我が家の前の犬は後ろ足が弱かった。現在の犬は足はものすごく丈夫で家の中を駆け回っている。ジャンプ力もある。で、私達夫婦は、この犬は前の犬の生まれ変わりだね、前に出来なかった事を今やってるんだね、と無邪気に考えている。誕生日もわずか2日違うだけ。更には今の犬の誕生日は我々夫婦の結婚記念日と同じなのである。因縁浅からぬ、と言ったところである。犬の生まれ変わりを考えているのは、足の弱かった前の犬に対する我々の思いである。
これはペットの事だから笑い話で済む。だが、前世を商売にするとなると話は全く別の様相を見せて来る。その場合は、前世の人への思いではなく、今、目の前に居る人に対する思いに前世を利用しているのである。
前世を透視する番組がある。本もある。我々の運命はどうも前世の影響を受けているらしい。そうなると、前世がどうであったかは非常に重要になる。しかしそんな事言われても、今更前世を変える事など出来ない。そこから色々な事が提案されている。でもこれっておかしいよね。ある一人の人が以後ずっと生まれ変わり死に変わり、新たな個性を持って生まれて来た人に対しても影響力を持てるなんて。それじゃあ、何のために新しい命が生まれたか意味が無い。
それに人類はどんどん増えて今や全世界で50億とか60億とか言われている。でも、現在のような人類が誕生した時、その数は多分、数えるほどだったはずである。それらが生まれ変わって50億人になんかなるはずが無い。
単純に考えて、二人の人間から4人の人間が生まれるとする。つまり倍々になって行く。以下、数だけで単純に考える。
最初の二人を●と□として、そこから4人が生まれる。●はその4人の一人の前世として生まれ変わり、□もまた同じとする。残る二人を△と×とする。つまり、4人の内、前世のあるのは半分の二人である。こうした経過が次々と続く。だから常に人口の半分は前世を持たない。
半分は幸か不幸か、ずっと前からの前世を受け継いで行かなければならない。それが果たして良い事なのか悪い事なのか。前世に栄耀栄華を極めたからと言って、その前世を受け継いでいる人間が幸せとは限らない。人も羨むような栄耀栄華ならば、その分、世間の妬みや憎しみも受けている。そんなのを背負わされるなんて真っ平御免である。
今、半分は、と考えたが、そうも行かない。中には前世が途中でお休みしている場合がある。美輪明宏と言う人は前世は江戸時代の天草四郎時貞だと信じている。前世が彼だと言う事は、彼はその後ずっと休んでいて、生まれ変わりはしていない。こうした人間が多ければ、前世を持つ人間は半分よりもずっと少なくなる。
せっかくこの世に生まれて来たからには、自分自身の力で生きたいではないか。それなのに300年とか400年も経って、昔の人間が生まれ変わるなんてとんでもない。人類は本能的な部分ではまるで進化していないが、その他の部分ではかなりの進化を遂げているはずである。なのに、古い進化していない人間が新しい人類の背中にへばり付いているなんて、やはりとんでもない。
そうした意味で、平安時代の人が生まれ変わった人は迷惑な事だろう。それにしても、何で突然に目が覚めたのか。勝手な行動を取られると現世の人間は困惑するではないか。天草四郎はずっとそのまま「前世を生きていた」訳だ。何でほかの人に生まれ変わらなかったのだろう。機会が無かったのか。誰かに生まれ変わっていれば、天草四郎と言う前世は無くなっていて、別の人間の前世になっている。天草四郎は美輪氏をそれこそ「我が前世を賭けるべき人」と見込んで生まれ変わったのだろうか。
しかし、前世が見えると言う霊能者達はそうした疑問に答えようとはしない。そうした疑問など彼等には皆無なのである。疑問があったら、とても霊能者などやってられない。
確かに、見た事も無い現場の絵を描ける人が居る。アメリカでは、そうした人を事件の捜査に協力願っていると言う。これには現場と言うれっきとした証拠がある。しかし「前世」には証拠が無い。まあ、中には、祖先の霊が、当代の人間が知らない事を告げた、などの例はあるようだが、これは霊の技とは限らない。
私の母親の家は商売をしていた。その常連客の一人が、ある日、店の階段の下に猫が埋まっている夢を見たと言う。あまりにも真剣なので、掘ってみたら、確かに猫の死体だか骨だかがあったと言う。不思議な事もあるもんだ、で一件落着していたようだが、でもだからと言って、その客が霊視の能力があった訳でもない。
こうした不思議な事は結構ある。でもそれは商売にはならない。商売にしてはいけないのだと思う。雲を掴むような話で金儲けが出来るなら、こんなおいしい話は無いのである。今、世界はアメリカが起こしたそれこそ雲を掴む儲け話の破綻で恐慌に陥っている。
これはペットの事だから笑い話で済む。だが、前世を商売にするとなると話は全く別の様相を見せて来る。その場合は、前世の人への思いではなく、今、目の前に居る人に対する思いに前世を利用しているのである。
前世を透視する番組がある。本もある。我々の運命はどうも前世の影響を受けているらしい。そうなると、前世がどうであったかは非常に重要になる。しかしそんな事言われても、今更前世を変える事など出来ない。そこから色々な事が提案されている。でもこれっておかしいよね。ある一人の人が以後ずっと生まれ変わり死に変わり、新たな個性を持って生まれて来た人に対しても影響力を持てるなんて。それじゃあ、何のために新しい命が生まれたか意味が無い。
それに人類はどんどん増えて今や全世界で50億とか60億とか言われている。でも、現在のような人類が誕生した時、その数は多分、数えるほどだったはずである。それらが生まれ変わって50億人になんかなるはずが無い。
単純に考えて、二人の人間から4人の人間が生まれるとする。つまり倍々になって行く。以下、数だけで単純に考える。
最初の二人を●と□として、そこから4人が生まれる。●はその4人の一人の前世として生まれ変わり、□もまた同じとする。残る二人を△と×とする。つまり、4人の内、前世のあるのは半分の二人である。こうした経過が次々と続く。だから常に人口の半分は前世を持たない。
半分は幸か不幸か、ずっと前からの前世を受け継いで行かなければならない。それが果たして良い事なのか悪い事なのか。前世に栄耀栄華を極めたからと言って、その前世を受け継いでいる人間が幸せとは限らない。人も羨むような栄耀栄華ならば、その分、世間の妬みや憎しみも受けている。そんなのを背負わされるなんて真っ平御免である。
今、半分は、と考えたが、そうも行かない。中には前世が途中でお休みしている場合がある。美輪明宏と言う人は前世は江戸時代の天草四郎時貞だと信じている。前世が彼だと言う事は、彼はその後ずっと休んでいて、生まれ変わりはしていない。こうした人間が多ければ、前世を持つ人間は半分よりもずっと少なくなる。
せっかくこの世に生まれて来たからには、自分自身の力で生きたいではないか。それなのに300年とか400年も経って、昔の人間が生まれ変わるなんてとんでもない。人類は本能的な部分ではまるで進化していないが、その他の部分ではかなりの進化を遂げているはずである。なのに、古い進化していない人間が新しい人類の背中にへばり付いているなんて、やはりとんでもない。
そうした意味で、平安時代の人が生まれ変わった人は迷惑な事だろう。それにしても、何で突然に目が覚めたのか。勝手な行動を取られると現世の人間は困惑するではないか。天草四郎はずっとそのまま「前世を生きていた」訳だ。何でほかの人に生まれ変わらなかったのだろう。機会が無かったのか。誰かに生まれ変わっていれば、天草四郎と言う前世は無くなっていて、別の人間の前世になっている。天草四郎は美輪氏をそれこそ「我が前世を賭けるべき人」と見込んで生まれ変わったのだろうか。
しかし、前世が見えると言う霊能者達はそうした疑問に答えようとはしない。そうした疑問など彼等には皆無なのである。疑問があったら、とても霊能者などやってられない。
確かに、見た事も無い現場の絵を描ける人が居る。アメリカでは、そうした人を事件の捜査に協力願っていると言う。これには現場と言うれっきとした証拠がある。しかし「前世」には証拠が無い。まあ、中には、祖先の霊が、当代の人間が知らない事を告げた、などの例はあるようだが、これは霊の技とは限らない。
私の母親の家は商売をしていた。その常連客の一人が、ある日、店の階段の下に猫が埋まっている夢を見たと言う。あまりにも真剣なので、掘ってみたら、確かに猫の死体だか骨だかがあったと言う。不思議な事もあるもんだ、で一件落着していたようだが、でもだからと言って、その客が霊視の能力があった訳でもない。
こうした不思議な事は結構ある。でもそれは商売にはならない。商売にしてはいけないのだと思う。雲を掴むような話で金儲けが出来るなら、こんなおいしい話は無いのである。今、世界はアメリカが起こしたそれこそ雲を掴む儲け話の破綻で恐慌に陥っている。