夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「パソコンの進化」でトラックバックを頂いた

2009年03月01日 | Weblog
 パソコンは進化しているのに、キーボードは進化をしていない、と書いたら、早速トラックバックを頂いた。マックでも親指シフトキーボードのソフトとキーボードを作って売っている会社があると言う。頼もしい。私のマックG4とOSXはほとんど冬眠中なのでそれが活躍出来るとは有り難い。ただ、キーボードが進化していないのは変わり無い。音声入力も出来るとは言うものの、誰がどのようにして入力してもオーケーと言う事では、キーボード入力に勝る物は無いだろう。

 話はがらっと変わるが、私は東京―大阪のリニアで1時間、に大きな疑問を呈した。何でそんなにせっかちでないといけないのか、と。だが、今朝のテレビで「東京モンスター」とか言う番組(再放送)で、東京と大阪を1時間で結ぶのは大阪を東京と同一圏内にするためだと知った。言うならば、東京のすぐ隣に大阪を持って来るのだ。それはいずれ東京が満杯になるからだ。どこもかしこも超高層ビルになっても、まだ不足らしい。
 外資系企業が東京の丸ノ内に集中する理由は、他の企業と密接しているので、仕事の効率がすこぶる良い事にある。いくらインターネットが発達したって、やはりじかに「向き合って」が重要なのだ。人間と人間。そうした付き合い方が力を持っている事に私は少し安心した。
 そうした「丸ノ内」をもっともっと広げたい、との欲求が超高層を建てさせ、大阪を東京の隣に引っ張って来るのである。

 ただ、私はこうした構想に全面的に賛成はしたくない。こうした構想は言うならば、東京を単に商売の街にしてしまうだけである。ホント、何度も言うが、何でそんなに金儲けをしたいのか、しなければならないのか。
 東京オリンピックの前まで、東京には庶民の暮らす街の顔があった。それこそ下駄履きで乗れる路面電車が街じゅうを走り回っていた。見通しは良く、広々とした青空がどこからでも望めた。今、都心からちょっと離れた所でも、冬の昼日中に街を歩けば、日陰ばかりで寒くてしょうがない。何でこんな街になってしまったんだ?
 我々の暮らしは昔とちっとも変わっちゃいない。朝起きて顔を洗い、朝食を食べて会社なり学校なりへと行く。自分の仕事を終えて家に帰り、夕食を食べて風呂に入り、テレビを見たり、それぞれに自由な時を過ごし、そして寝る。
 昔はテレビではなくラジオだった。こたつに入って家族みんなでラジオを聞いていた記憶がしっかりとある。ラジオがテレビに変わっても我々の暮らしは大きくは変わらない。食生活が豊かになり、便利な製品も増えた。でもやはり毎日の暮らしに大きな変化は無い。

 私はパソコンを使い、インターネットでいち早く情報を手に入れたりもしているが、それだって、あまり重要とは言えない。私にとってパソコンは実はワープロの代用なのである。
 欧米人のタイプライターと同じような物を日本人は求めた。これは贅沢品でも遊び道具でもない。純粋に文化的な欲求である。それが梅棹忠夫氏達の「ひらがなタイプライター」になり、遂にワードプロセッサーの登場となった。
 当初のワープロは本当に能率が悪かった。文章のコピーなどは、コピーしたい部分をカーソルでなぞる。そのスピードは嫌になるくらいに遅い。なぞり終わると、今度はカーソルが文末から文頭へと戻って行く。そのスピードも同じように遅い。そうやってコピーする部分がワープロの頭脳に入るのである。
 次に、コピーしたい部分にカーソルを当て、コピーの指示をする。すると再び同じ速度でカーソルが動いて、記憶してある文章を一文字一文字と言うスピードでペーストして行く。
 ワープロより少し遅れてパソコンを採り入れた時、そのコピーの速さに驚いた。ほとんど瞬間的に終わってしまう。ワープロに慣れていた私は、コピーに失敗したのだと思い、何度も何度も同じ物をペーストしてしまった覚えがある。
 今だって、パソコンを必要とせず、ワープロ機能だけが欲しいと言う人は少なくない。この二つは本来は機能が違う。パソコンはタイプライターの代わりに登場した訳ではなかろう。タイプライターはその後、電動タイプライターも登場している。日本では漢字変換と言う厄介な作業があるから、ワープロがパソコンの親戚のような形で登場した。そっくりだから、一つになった、それだけの事である。だが、そこで間違いを起こした。ワープロ機能を過小評価したのである。

 富士通のパソコンにはJISキーボードの製品と親指シフトキーボードの製品とがあった。もちろん、今もある。標準はJISキーボードで、親指シフトキーボード製品は1万円か2万円高かった。何で親指シフトキーボードが標準ではないのか、と富士通に聞いたら、答は何と、「これはパソコンですから」だった。当時のパソコンはMS-DOSの世界で、一つ一つの指令を決められた文字(コマンド)を入力して指示する。それには日本語の出番は無い。つまり、富士通とても、ワープロとパソコンは異なる分野の製品だと考えていたのである。
 パソコンを純粋にデータ処理の道具としてではなく、ワープロのように使っている人の方が恐らくは多いだろう。そうした人々に対して、肝心のキーボードや入力方式の進化は本当に遅々たるものだ、と私は思っている。我々の暮らしの基本が変わらないのと同じように、ワープロその物の基本は変わらないはずである。

3 コメント

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どうもありがとうございました。 (杉田伸樹(ぎっちょん))
2009-03-01 16:58:53
トラックバックした杉田です。ご紹介ありがとうございます。

>パソコンはタイプライターの代わりに登場した訳ではなかろう。タイプライターはその後、電動タイプライターも登場している。日本では漢字変換と言う厄介な作業があるから、ワープロがパソコンの親戚のような形で登場した。

これはまさしくおっしゃる通りで、キーの入力とその結果が直接に一致しない(そうせざるを得ない)のが日本語入力の宿命で、それをどのように合理的にやるかが腕の見せ所だったのだ思います。

これを根底から考えていたのがワープロ専用機でした。パソコンでは文字の入力以外にできることがたくさんあるので、文字入力に関しては「そこそこできれば良い」となってしまったのだと思います。

しかし、文字入力はパソコンになっても重要な作業であることには変わりなく(と私は思う)、ワープロ専用機での遺産を活かせなかったのは短慮だったのだと思います。
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過去を引きずったのでしょう (宇治大君)
2009-03-02 22:18:20
パソコンはメモリー容量がKB単位だった頃、日本語は半角カタカナしかありませんでしたし、プログラミングをして使う道具だったので、英字入力が中心だったと思います(メモリー1バイト血の一滴でしたし)。
これが英字配列用のキーボードとスペースキー変換やEnterで確定の日本語入力環境をつくりだしてしまったのでしょう。
ワープロは少し遅れて日本語入力前提で設計されたので、日本語入力に関しては使いやすかったのですが、別の道具ゆえに共通化がされなかった。
共通化された代表的な事例が富士通のOASYSとFMRによる親指シフト入力だったかと思います。
パソコンの日本語入力がきついメモリー制限の時代の習慣を引きずってしまったのが・・・。
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宇治大君さんへ (夏木広介)
2009-03-03 17:32:08
 過去を引きずっているのでしょうね。でも何でそこから脱皮しようとしないのか、不思議に思うのです。トラックバックでもマックでも使える親指シフト入力のソフトなどを紹介して頂いていますが、ウインドウズ用には富士通から1万円もしないソフトのJapanistが発売されていて、それを使えば簡単に親指シフト入力が出来るのです。特別なキーボードも必要ありません。
 そうした簡単な事がなぜマックでは実現出来ていないのか、とても不思議です。
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