夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「彼が頂く」はおかしい

2011年01月13日 | 言葉
 何の事かと言うと、料理研究人などが料理法を説明していて、「……器に盛り、ゆず皮をのせる。たれにつけていただく」 などの文章がある。「器に盛ったり、ゆず皮をのせたり」 するのは料理をしている読者である。従って、「たれにつけていただく」 のもその読者である。
 「いただく」 (頂く・戴く) は 「食う」 「飲む」 の謙譲語である。国語辞典の中には、「食う」 「飲む」 の丁寧語、と断言したり、「近年、丁寧な言い方としても使う」 などと説明するのもあるが、と言うよりもその方が多いようだが、一体、いつから謙譲語が丁寧語になるような事が認められ始めたのか。「申します」 は明確に謙譲語であり、丁寧語として使うのは間違いとどの辞書も言っている。ひとり 「いただく」 のみが 「謙譲語兼丁寧語」 になる道理が無い。それに、言った方は謙譲のつもりなのに、丁寧だ、などと思われては立場が無い。そんな、発言者の立場を無視するような語法が成り立つと言うのがおかしい。

 ある辞書は次のように書いている。

 恩恵を受ける相手のない場合に使うこともあるが、やや一般的ではない。「一晩寝かすとさらにおいしくいただくことができます」

 料理法などの表現はこれである。料理をしている読者に恩恵を受ける相手の居る訳が無い。居るとするなら、その料理法を教えている人間である。その人間が相手に謙譲語を使わせるとは、何たる傲慢。

 引用した辞書は「使うこともある」との表現である上に、「やや」 付きではあるが、「一般的ではない」 と言っている。ある大型国語辞典は明確に「 謙譲語」 としか言わない。当たり前である。多分、誤解した使い方が結構はやっていて、それを多くの国語辞典が誤解しているのだと思う。上記の 「恩恵を受ける相手のない場合にも使うこともある」 はまさしく正解で、本当はそれは間違いなのである。しかし、その間違いは思ったよりも根が深い。
 先に挙げた 「たれをつけていただく」 は12日の朝日新聞の記事である。そうしたら今日の東京新聞に詐欺に近い勧誘の話が載った。そこに 「不審に思ったら消費生活センターに相談したい」 とあるのを見付けた。これは読者の立場での発言である。しかしその記事は記者が書いている。読者に注意をしている。注意をしている人間が読者の立場に立って 「注意したい」 と言えるのだろうか。
 こうした表現は蔓延している。
 都営地下鉄の駅には次のような注意書きが掲示されている。どの路線でも同じようだ。

 「エスカレーターでの歩行は危険です。ご注意いただきますようお願いいたします」

 注意をする必要のあるのは乗客である。「乗客が注意する」 であるのに、「乗客が注意いただきます」 と、その乗客に謙譲語を使わせるとは何事か。これは多分、「注意していただきます」 のつもりだろう。であるからには、それは都交通局の言い分である。だから 「注意して下さい」 とお願いするのが筋である。その証拠にはきちんと最後は 「お願いいたします」 になっている。

 上に挙げた三つの用例はそれぞれに使い方が違う。違うが根は同じである。「いただく」 の間違った解釈と、主客の混同である。不特定多数に向かって発言する立場の人間が、こうも同じようないい加減な物言いをして平気である。一体、いつから日本語はこんなに貧しい言葉になってしまったのか。