20年ほど前に万葉集は朝鮮語で詠まれていると言って、奇想天外な内容の歌を披露した韓国の女性が居た。タイトルは「もう一つの万葉集」。何しろ誰もが読めない有名な難訓歌を朝鮮語で読み解いたのだから、その本の白眉でもあり、本の帯にもそう書かれている。けれどもこれはとても上手い仕掛けになっている。と言うのは、難訓歌は日本語ではどうやっても読めないのだから、それを朝鮮語で読み解いても不思議ではない。そうしてその解読を納得させて、ほかのすべての歌も朝鮮語だと言う事に読者を納得させてしまったのである。
そうした解釈の仕方が全く筋の通らない事であるのは著名な学者も証明している。ただ、私は自分自身の手でそれをやりたかった。そこから万葉集に取り組んで、その魅力に取り付かれてしまった。別に私は万葉集の研究者でないし、研究者でさえない。単に日本語が大好きな素人に過ぎない。ただ、私のブログを御覧になっていれば分かるだろうが、性格がしつこい。その持ち前のしつこさで取り組んでいる。
今回私がしているのは、文字の読み方に不審がある歌、歌の意味が今一つ分からないのにも拘らず、専門の解説書はそれで何とも思っていない不思議な歌を対象に、自分なりに辞典を総動員して調べ直す事である。その結果、従来の解釈とはまるで違う意外な意味が現れた。そして例の難訓歌も私なりに解読が出来た。それは例の韓国人のやった、天皇の宮に拝謁に来い、でもないし、裏の意味である男性のシンボルが立ったから何度も行き来しようなどと言うエロ小説まがいの歌でもない。あるいは日本人が読み解いた、皇極天皇の弟の孝徳天皇が亡くなって、私、額田王の背子である斉明天皇が即位した、と言う単なる史実を詠んだ歌でもない。後者は特に女性の斉明天皇に対して額田王が「わが背子」と呼び掛けている日本語では考えられない無法が平気でまかり通っている。
私の解釈は意外ではあっても、決して奇想天外ではない。きちんと言葉の意味を調べ、言葉と言葉の繋がりも考えて、出した結論にも矛盾や齟齬が無い事を確かめた結果である。
そうして出来上がった一つの成果を原稿にして、ある出版社に一部を読んでもらった。自信作だったのだが、ものの見事に否定されてしまった。第一に文章が長くて趣旨が掴みにくい。第二に想像だけで物を言っても説得力は無い。万葉研究には多くの著作がある。関心を持つ人の理解は深いのだ。つまり、よく訳の分からない単なる想像が書かれていると判断されてしまった。
そこで反省して書き直しを始めた。そうしたら前には気付かなかった考えの浅さや追究のし足りなかった所が出て来た。それはしっかりと追究をし直した。しつこいから、一度書き上げても更に読み直しているから、またまた考えの足りない部分が出て来る。同じ所を毎日やっていても、その度にまた新しい発見がある。
実はそれは当然なのだ。考え方が深くなって来ているから、ある所で述べた事と、別の所で述べた事とが関連が深い事が見抜けるようになっているのである。そうなると、大幅な書き直しにもなる。文章が長くて趣旨が掴めないと言われたのは、思考の過程が長い事を指している事も分かった。そうした事も直した。
多くの人々によって万葉集の歌の研究がなされているのは知っている。私の出した意外な歌の内容ももしかしたら既にやっている人が居て、後塵を拝する事になっているかも知れない。けれども、考え方のほとんどが同じだと言う事はあり得ないだろう。とにかく、私はしつこいのである。しつこいからこそ出来る考え方に私は自信がある。
万葉集の解説書はもちろんの事、歴史に関する解説書なども克明に読むと、執筆者がいい加減に考えている場面に何度も出くわす。何でこんないい加減な事で済ませるのか、と疑問に思うが、学者と言う権威には素人はかなわない。冤罪事件ではないが、まるででっち上げのような結論に我々は説得させられてしまっている。
みなさん、本当に権威には弱いのである。けれども、今回の福島の原発事故で、「権威者」達の素性がものの見事に我々に分かってしまった。もう何を言っても誰も信用などしない。卑怯にも自分だけの保身を図った事がすべて裏目に出ている。
私の万葉の歌の解釈のし直しにはいい加減な事も曖昧な事も無いけれど、更にふんどしを締め直して、最後の仕上げに取りかかるとしましょう。結果を本としてみなさんに御覧頂ける日が来る事を夢ではないようにと切に願っております。
そうした解釈の仕方が全く筋の通らない事であるのは著名な学者も証明している。ただ、私は自分自身の手でそれをやりたかった。そこから万葉集に取り組んで、その魅力に取り付かれてしまった。別に私は万葉集の研究者でないし、研究者でさえない。単に日本語が大好きな素人に過ぎない。ただ、私のブログを御覧になっていれば分かるだろうが、性格がしつこい。その持ち前のしつこさで取り組んでいる。
今回私がしているのは、文字の読み方に不審がある歌、歌の意味が今一つ分からないのにも拘らず、専門の解説書はそれで何とも思っていない不思議な歌を対象に、自分なりに辞典を総動員して調べ直す事である。その結果、従来の解釈とはまるで違う意外な意味が現れた。そして例の難訓歌も私なりに解読が出来た。それは例の韓国人のやった、天皇の宮に拝謁に来い、でもないし、裏の意味である男性のシンボルが立ったから何度も行き来しようなどと言うエロ小説まがいの歌でもない。あるいは日本人が読み解いた、皇極天皇の弟の孝徳天皇が亡くなって、私、額田王の背子である斉明天皇が即位した、と言う単なる史実を詠んだ歌でもない。後者は特に女性の斉明天皇に対して額田王が「わが背子」と呼び掛けている日本語では考えられない無法が平気でまかり通っている。
私の解釈は意外ではあっても、決して奇想天外ではない。きちんと言葉の意味を調べ、言葉と言葉の繋がりも考えて、出した結論にも矛盾や齟齬が無い事を確かめた結果である。
そうして出来上がった一つの成果を原稿にして、ある出版社に一部を読んでもらった。自信作だったのだが、ものの見事に否定されてしまった。第一に文章が長くて趣旨が掴みにくい。第二に想像だけで物を言っても説得力は無い。万葉研究には多くの著作がある。関心を持つ人の理解は深いのだ。つまり、よく訳の分からない単なる想像が書かれていると判断されてしまった。
そこで反省して書き直しを始めた。そうしたら前には気付かなかった考えの浅さや追究のし足りなかった所が出て来た。それはしっかりと追究をし直した。しつこいから、一度書き上げても更に読み直しているから、またまた考えの足りない部分が出て来る。同じ所を毎日やっていても、その度にまた新しい発見がある。
実はそれは当然なのだ。考え方が深くなって来ているから、ある所で述べた事と、別の所で述べた事とが関連が深い事が見抜けるようになっているのである。そうなると、大幅な書き直しにもなる。文章が長くて趣旨が掴めないと言われたのは、思考の過程が長い事を指している事も分かった。そうした事も直した。
多くの人々によって万葉集の歌の研究がなされているのは知っている。私の出した意外な歌の内容ももしかしたら既にやっている人が居て、後塵を拝する事になっているかも知れない。けれども、考え方のほとんどが同じだと言う事はあり得ないだろう。とにかく、私はしつこいのである。しつこいからこそ出来る考え方に私は自信がある。
万葉集の解説書はもちろんの事、歴史に関する解説書なども克明に読むと、執筆者がいい加減に考えている場面に何度も出くわす。何でこんないい加減な事で済ませるのか、と疑問に思うが、学者と言う権威には素人はかなわない。冤罪事件ではないが、まるででっち上げのような結論に我々は説得させられてしまっている。
みなさん、本当に権威には弱いのである。けれども、今回の福島の原発事故で、「権威者」達の素性がものの見事に我々に分かってしまった。もう何を言っても誰も信用などしない。卑怯にも自分だけの保身を図った事がすべて裏目に出ている。
私の万葉の歌の解釈のし直しにはいい加減な事も曖昧な事も無いけれど、更にふんどしを締め直して、最後の仕上げに取りかかるとしましょう。結果を本としてみなさんに御覧頂ける日が来る事を夢ではないようにと切に願っております。
額田王の難訓の解釈は鈴木氏の解説が最もしっくりきますがいかがでしょうか。
下記のHPを一度見てください。わが背子のことも書いてありますよ。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kenji99/japanese.htm