夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

東京新聞の校閲者の辞書と私のとは全く違うらしい

2011年09月25日 | 言葉
 土曜日の東京新聞の言葉についての校閲者のコラムに次のようにある。

 「全然」を肯定的に用いることが問題になっています。もともとは全然と書いて「まったく、すっかり、そっくり、まるで」などと読んでいたようで、江戸時代末から明治初期に使われるようになりました。一般的な打ち消しを伴う用法が定着したのは、大正末から昭和の初めごろのようです。
 多くの辞書に「全くその通りであるさま・すっかり・(下に打ち消しを伴って)少しも、まるで・非常に」という意味が載っています。ですから肯定でも使えるわけです。「きょうのテストは全然駄目だった」「きょうのテストは全然できなかった」は、どちらもオーケーということになります。
 問題なのは戦後ぐらいから使われだした「非常に」の用法です。新聞では「全然美しい・全然楽しい」などとは表記しません。ただ、この使い方も多くの辞書にあるので、誤りだとは言い切れない面もあります。

 「全然美しい」などの言い方が多くの辞書にあると言うのだが、私の持っている6冊の辞書にはそうした表現はすべて、「俗語」とか「俗用」「標準的とは言えない」などと書かれている。コラムの筆者の辞書にはそうした事が書かれていないらしい。そうでなければ、「俗用。俗語」が誤りだとは言い切れない、との根拠にはなり得ないと思う。
 そして私の持っている辞書はコラム筆者の辞書とは大いに違う。
 どの辞書も「副詞」として、冒頭に次のように書いてある。
・その事柄を全面的に否定する意を表わす。全く。
・程度を全面的に否定することば。すこしも。まったく。
・全く。(後に打消しの言い方や否定的な意味の表現を伴って)まるっきり。
・(下に否定的な表現を伴って)全面的な否定を表す。
・(下に打消の言い方や否定的な意味の語を伴って)全く。まるで。
・(あとに打消しの語や否定的な表現を伴って)まるで。少しも。
 最後に小中学生用の辞書の説明を挙げる。
・(あとに打ち消しのことばがくる)まったく。まるで。少しも。

 校閲者の辞書の「全くその通りであるさま・すっかり」は、私の持っている大型辞書には「形容動詞」として載っている。それは「全然たる」の言い方になっている。副詞の「全然」とはまるで違う。
 彼の辞書は形容動詞と副詞と更には俗語が渾然一体となって説明されているらしい。

 もう一つ。上記の肯定・否定のどちらでも使えるの用例に「テストは全然駄目だった」が肯定の表現になっている事に私は少なからず戸惑った。確かに「駄目ではなかった」と言うような否定ではない。けれども言っている内容は否定である。「駄目だった」を肯定だとは誰も思わないだろう。上記で私は「副詞の〈全然〉とはまるで違う」と書いたが、それは「副詞の〈全然〉とは全然違う」と言っている訳で、「違う」が否定の表現だから、これでおかしくは感じないのだと思う。
 ついでにもう一つ。「駄目」を漢字にして、「できない」を平仮名にする、その根拠は何だろうか。一般的な用字用語辞典に従っているのだろうが、根拠にしている理由をきちんと誰にでも納得出来るように説明出来るとはとても思えない。
 私はどちらも漢字にしている。それで意味が明確に分かるし、筋も通るし、平仮名の多い文章の中に紛れ込んでしまわない利点がある。もしもどうしても書き分けよ、と言われたら、私なら「だめ」と「出来る」のように書き分ける。その方が、意味から考えても筋が通る。特に「勉強ができる」と「出来が良い」などの書き分けは、絶対と言えるほど不可能である。つまり「駄目」と「できる」を書き分けているのは、言葉に対する考え方がいい加減なのである。