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夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

またまた体重が増えてしまった愛犬

2009年09月16日 | ペット
 ついに我が家のポメラニアンの体重が7キロになってしまった。標準は3・5~5キロくらいらしい。1年程前、獣医から、6・5キロなので、せいぜい6キロに減らしましょうね、と言われた。元々、骨格が大きいのだと言う。息子は見るたびに「でっけー、重てー。なんだこりゃ」と言ってはぶら下げて喜んでいる。いや、喜んでいるのではないだろうが、楽しそうに見える。私らの餌のやり過ぎだと非難するのだが、やり過ぎで太る事はあるが、骨格まで大きくはならないだろう。我々が食べているテーブルの下で、真剣に悲しそうに声を出されると、ついつい甘くなってしまう。それこそ、本当に子猫みたいな声を出すのである。吠える時は猛犬のようなのに。
 別に肥満体ではないらしい。と言うのは肉が固くしまっているからだ。背中などポンポンと強く叩いたってびくともしない。外出から帰って跳び付かれようものなら、ひっくり返ってしまいそうになる。重さとその勢いでかなりの衝撃になるのだ。息子は自分の体力が無さ過ぎるのだ、と私を非難するが、まあ、一部当たっているから仕方が無い。犬に負けずに私も体力を増強しなければ。
 何しろ、何でもよく食べる犬なのだ。中辛のカレーライスも好き、やはり中辛の、と言ってもテンメンジャンもトーバンジャンも私の目分量で入れているから結構辛いマーボ豆腐もぱくぱく食べてしまう。カレーライスやハヤシライスは、みじん切りにしたタマネギを入れてある場合には注意してタマネギを除く必要があるが。

 以前、動物病院でうちではペットフード以外は絶対にやりません、と言って25歳くらいになる猫を連れて来ていた夫婦がいたが、それはそれでその猫は幸せなんだろう。だから本当は人間の食べ物の味を教えてはいけないのだ。
 そうは思うが、ペットフードだけで長生きするのと、旨い物も食べて、つまりは太く短く生きるのとは、どちらが本当に幸せなんだろうか、とつい考えてしまう。まあ、ポメラニアンの場合に一般的な寿命とされる12年とか13年とか生きられれば、好きな物を食べて暮らすのが幸せなんだろうな、と思う。前のポメはやはり人間の食べ物も食べて12年生きた。ある動物病院ではペートフードは良くない、と言っている。
 で、私も家内も半信半疑で、ペットフードと人間の食べ物との二本立てをやっている。
 今このらちもない文章を書いているすぐその横で、なにしろ、机と同じ高さの所なのだ、すやすやと寝ている犬を見ていると、やっぱりかわいいなあ、と思ってしまう。結局、私は単なる犬バカに過ぎない。

 きのうだったか、「徹子の部屋」にピアニストの中村紘子さんが出た。飼い犬のミニチュアダックスフントがミニではなく、標準ダックスフントになってしまった、と言っていた。子犬の時、手足が大きいので、ご主人が、確か庄司薫さんだったよね、やめたほうがいいよ、と言ったのだそうな。「でもね、目と目が合ってしまって」。
 うん、それは想像が付く。あの無心な目を見たら、誰だって駄目になってしまう。人間だって邪心の無い人はかわいい。そう言えば、実業家とか政治家にはあまりかわいい人は居ない。

犬と私は親子の関係

2009年09月12日 | ペット
 三歳半になろうと言うポメラニアンの雄だが、男の私をまるで母親のように思っているらしい。私が朝起きればすぐに「お早う」とやって来る。寝る時も「お休み」と言いに来る。つい真夜中までパソコンに向かっていて、さあ寝ようかな、と思うと必ずどこからかやって来る。まるで、「待ってたんだよ」と言わんばかりに。
 ちょっと外に出て帰って来れば、たとえ集合ポストに新聞を取りに行ったのでも、跳び付いて離れようとしない。買い物から帰って来た時など、重いザックを降ろす間も待てない。そうかそうか、と相手になってやるが、そう簡単には離れてくれないので困る。妻はあんたに似てしつこいのよ、と言う。私は道理とか決まり事に対してはしつこいが、犬との親子関係にまではしつこくなんかない。

 生後すぐに親から離されてしまったから、甘え足りないのだろう。言う事を聞かない時は無視するのに限る、とペットの本には書かれているから、実行しようとするのだが、この犬にはそれが効かない。そばに来て、じっと上目遣いで見ながら、寂しいよー、早く機嫌なおしてくれよ、と訴え続けるのである。自分が悪いのだと反省している風には見えない。私がなぜか機嫌が悪くなったとしか思っていないらしい。
 私も馬鹿だからそのあまりの真剣さと辛抱強さに負けて、そうかそうか、と言って許してしまう。妻は、ほら、足元を見られてる、と言うが、別に不良になる訳でも無さそうだし、いいじゃないか。
 でも本当に手が掛かる。犬が居る、と言う感じではない。まるで小さなだだっ子が一人居るみたいだ。皇后陛下が小さかった浩宮を置いて海外に行かれた時、一日に一度は抱きしめてやって下さい、と言われたと聞いた。なんだなんだ、皇后陛下の話と犬を一緒にするなんて。でも、愛情を注ぐ必要があるのは皇太子だって犬だって変わりは無い。
 ホント、犬とのスキンシップも言葉を掛けるのも大事なのだ。犬は人間の言葉が分かるから、と言うか、人間の心の動きが分かるから、敏感に反応する。一人では何にも出来ないのだから、どうしたって人間に頼る。それを無視しては駄目だろう。だだっ子と違って、言葉で理解させる事は出来ないから、その分だけ余計に心で接してやらないといけない。

 今晩もまた時々私の顔にどっかと寄っかかりに来るだろう。暑苦しいし、くすぐったくて困る。でもこの頃は少し涼しくなったから、少しは我慢してやろう。あっち行けよ、なんて言うと、いくら優しく言っても、ウーと怒るから、しょうがない。ただ、私の顔に尻尾を向けるのだけは勘弁してくれ。自分の居る事を確認させる事と、私が自分に関心を持っている事を確かめに来るのだろうから、これも重要な儀式の一つなのである。

犬と楽しく暮らしています

2009年08月07日 | ペット
 私が仕事をしているすぐ横で犬が気持良さそうに寝ている。眠っているのではない、ちょっとした事ですぐに目を覚ますから、寝ているのだ。同じ高さだから多分安心なんだろう。
 私の机は鍵型になっている。本当はコの字型にしたいのだ。もっと言えばロの字型にしたい。文字通り机に囲まれている状態だ。それなら、必要な物は何でもすぐに手に出来る。現在は狭いので実現出来ていない。
 私の仕事はたいてい多くの参考書が必要になる。国語辞書は最低小型が4冊、間に合わなければ大型が1冊加わる。それに古語辞典に漢和辞典。これも複数冊になる。時々は英和辞典や仏和辞典も必要になる。言葉の辞書とは別に、歴史事典、百科事典、園芸事典、日本地図や世界地図、それに時刻表も必要になる。場合によっては源氏物語、古事記、日本書紀、万葉集などがメインの参考書になる。これらを一度ではないが、その大部分が一緒に並ぶ。それを開いて並べて置くにはそれくらいの面積が要る。
 それにほとんどがパソコンがらみだから、パソコンにも場所を取られている。メインの机は食堂のテーブルを使った物だからかなり広い。だがそこに2台のパソコンと2台のモニター、それと2台のキーボードを置くと、もうそれだけで一杯になってしまう。だから最低限でもLの字型が必要になる。そのLの字の一方に今、犬が寝ている。

 時々目を開けては私の存在を確認して安心している。犬は私を仲間だと思っているらしい。どうも親とは思っていないらしい。遠慮が無さ過ぎる。でも人間の気持の動きを敏感に察知する。怒った顔を見せると、悲しそうにうつむいたり、怒ったりする。だからいつもニコニコしていなければならない。それに、自分が納得していない事で怒られると堂々と反抗をする。しつけは愛情だ、は犬の場合にも同じなのである。
 下手に怒ったり無視すると、それなら俺にも考えがある、部屋でしょんべんしちゃうからな、と実行に移してしまうのである。悪癖はどうもそれだけが原因ではないらしいのだが、まあ、怒るよりはまずは愛情を、と心掛けてはいる。結局、犬に自分の生き方を反省させられているような情況である。情けない。

 いやいや、そうではない。人間は動物に教えられる事がたくさんある。何よりも動物は強欲ではない。恨みや妬みで相手を殺したりはしない。人間なんかよりずっとずっと高等なのである。そうだろう、信じている宗教の違いで、互いに殺し合ったりするなんて、下の下である。宗教と言うさも高級らしく見える体裁の下に獰猛で野蛮で下劣な性格が隠されているだけに過ぎない。実は宗教を信じているのではない。宗教に取り憑かれているに過ぎない。
 人間は自分の欲得のためなら何でもする。自分が正義だと言いたいがために、自分と敵対する相手を悪者に仕立てる。それは簡単に見破られてしまうのに、それさえも気が付かない。今の中共のウイグル民族に対してがその典型だ。欲で目が見えなくなっている。多分、耳も聞こえなくなっているだろうから、これはもう、落ちる所まで落ちないと解決は付かないのだろう。

 汚い人間の事は考えるのはよそう。そうそう、犬の抜け毛で困ってはいませんか? 掃除してもしてもふわふわとした抜け毛が家中に落ちている。私の犬は毛の長いポメラニアンだから特にそうなる。私は仕事場に安いニードルパンチと言う名の敷物を敷いているが、そこに犬の毛が驚くほどくっついて来る。簡単には取れない。で、ある時素足の裏でこすってみたら、いとも簡単に毛が固まりになって取れる。犬のブラッシングは毎日するが、腹側とか手足の先までは行き届かない。やらせてはくれないのだ。だからそうした部分の抜け毛が多い。それが敷物にくっつく事で取れる。言うならば、「ブラッシング敷物」である。
 この犬は昔はブラシッングがとても好きだった。そして今でも「ブラシしようか」と言うと、すぐにブラシの置いてある所にすっ飛んで行き、ベランダのゴミ箱の上に乗せろと催促する。そこがブラッシングの定位置だからだ。ところが、この頃はブラシッングを始めると鼻にしわを寄せて怒る。噛み付きそうになって怒る。それをなだめながら全身をブラッシングする。なぜ怒るのかはよく分からないが、多分、一度何かで痛い思いをしたのだろう。まあ根気よくブラッシングの気持良さを思い出させよう。
 そろそろ机の上も飽きて来たらしい。仕事も一段落したから、この辺で紅茶でもいれて、それからブラッシングとしましょうか。