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夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

前原氏を「言うだけ番長」にしたのは誰だ

2012年02月27日 | 政治問題
 今朝の東京新聞のコラムがあだ名を取り上げて、産經新聞が前原誠司政調会長を「言うだけ番長」と揶揄(やゆ)した事を取り上げている。前原氏は腹を立てて、先週の記者会見の席から産經新聞の記者を排除した、と言う。
 このコラムは産經新聞の肩を持っている。「八ッ場ダムの建設中止に代表されるように、その表現は論評として決して見当違いではない」と言っている。一方、前原氏は「記事を読むだけで暗い気分になる。子どものいじめやペンの暴力の次元だ」と話していると書かれている。
 そうした事を取り上げて、このコラムは「次期首相候補の一人に数えられる政治家の狭量さが情けない」と締めくくっているが、私はそうだろうか、と不審に思う。

 八ッ場ダムの建設中止を打ち出した前原氏はそれこそ真剣だったと思う。しかしその真剣さに楯突いた勢力が存在する。それは身内の民主党内閣であり、官僚であり、石原都知事を始めとする首都圏の都県の知事達である。埼玉県など、やらせで建設促進に動いた事実がばれてしまっているではないか。
 八ッ場ダムについては、今までに掛かった金が無駄になる、設した方が結果的には安上がりになる、などと言うお粗末な意見に牛耳られているらしい。馬鹿も休み休み言え、と言いたくなる。

 表面的な事情だけで何かを言うのは易しい。だから、多くの人々がころりと騙されてしまう。もっともっと深い所に、沈潜して、隠されている陰険な勢力のある事を忘れてはいけない。東京新聞は決して「言うだけ番長」ではないと思っているから、私は愛読者になっているのだが、各紙を始めとして、マスメディアは、それこそ「言うだけ番長」ではないか。

休眠預金を国が使いたいとは何事か

2012年02月16日 | 政治問題
 口座に眠っている庶民のお金を国が使いたいと言う。とんでもない事だ。我が家にも5口くらいの休眠口座がある。なぜ休眠になっているのかと言うと、一つには合併などでその銀行が無くなってしまったり、近くの支店が閉鎖されたりして、出し入れが出来にくくなったからである。一つには出し入れしていない期間が長くて、ATMでは認識しなくなってしまったりしているからだ。少しは預金者の責任もあるだろうが、ほとんどは銀行側に責任があると私は思う。

 その預金を早く言えば「召し上げる」のである。今の所、銀行が猛反発しているから無事だが、どうなる事やら。こうなると、早速に休眠口座を復活させる人も増えるだろう。
 休眠口座イコール埋蔵金と考えているらしいが、埋蔵金なら国には膨大な量があるだろうに、自分達の都合の悪い事は考えないのである。何とも身勝手な。
 何で安易な事しか考えないのだろうか。多分、それが彼等の「脳力」の限界だからだろう。そんな輩が国を運営しているのである。政府を形作っているのが政党で、その政党が民主党も自民党も支持率が下がる一方である。本来なら、与党が下がれば野党が上がるのに、そうはならない。政党に対する期待がどんどん小さくなっている。

 お人好しの日本人もそこまで馬鹿ではない事が少しは見えて来た。結局、自分達が困らないと目覚めないのだが、力を持っている連中はまだまだ困ってなどいないだろうから、目覚めているのは力を持たない庶民ばかりである。

原発の危険な安全評価

2012年01月19日 | 政治問題
 「安全評価が危険」。こんな馬鹿馬鹿しい話は無い。
 昨日の午後5時半頃、霞ヶ関の仕事場に行ったら、何台もの装甲車らしき車の赤色灯が点滅し、何やら拡声器で訴える声が聞こえる。暗いのでよく分からない。何かのデモかな、と思った。そして3時間後、帰る時にもまだそれは続いていた。
 今朝の新聞で、それが経済産業省での安全評価の意見聴取会に対する抗議らしい事が分かった。私の仕事場は、経産省の一軒置いた隣にある。

 原発の寿命が40年から簡単に60年に引き延ばされた。福島県で採取された砕石が放射線を浴びていて、それを使ったマンションが放射線の被害を受けている。
 そして相変わらず、原発に厳しく対処すれば、電力が不足する懸念がある、との考え方が跳梁跋扈している。一体、いつになったら、そうした悪夢から目覚めるのか。
 今朝の東京新聞の社説は次のように語っている。

 電力の供給不足を訴える電力業界への配慮より、安全、安心を求める国民の、作業員たちの期待に応えるために、原発の延命には、厳しく歯止めをかけるべきである。
 私たち消費者にも、新時代に踏み出す覚悟はある。

 まさに、国民の声その物である。身に合わない贅沢を求めず、真剣に実質的な暮らしをしよう、と国民は考える事が出来ている。そうした国民の認識にも及ばない、その遥か下の方で自分達の欲得にあくまでもしがみついているのが、日本の今の指導者達かと思うと、背筋が凍る思いがする。

消費増税と野田内閣

2012年01月15日 | 政治問題
 昨日の東京新聞に「消費増税シフト始動」の大きな見出しがあり、「首相、一体改革決意」とあった。いよいよ消費税の増税に取り組む気構えが明確になった。見出しでそうだと分かるが、でも「シフト」とは一体どのような意味なのか。何となく分かるのだが、正確には分からない。

・シフト=(米語で「位置の移動」の日本語形)1・変形守備態勢(野球で)「バントシフト」。 2・入れ替え(自動車のギヤの)
・シフト=1・形勢・配置の変更。特に、野球で、打者に応じた守備位置の移動「バントシフト」。2・切り替え。「ギアシフト」「シフトキー」

 そうか、パソコンの「シフトキー」ってそう言う意味だったのか。いつも使っているくせに、その意味を考えた事が無かった。でもパソコンの場合に「シフト=チェンジ」とは思いにくい。
 それにしても、何でこんなカタカナ語を使う必要があるのだろうか。「消費増税態勢かためる」でいいではないか。記事を分かりにくくしてどうしようと言うのか。多分、この見出しを付けた記者なりデスクは「シフト」でとても分かり易くなった、と考えているのだろう。だから、時々、分からない文章が出て来て、私は頭を抱えている。

 そして今日の同紙。共同通信社の新内閣発足を受けての全国緊急電話世論調査の結果が発表されている。改造効果が全く見られないのに、ほっとする。国民はそんな事で騙されたりはしないのである。ただ、目玉としての岡田氏の登用に「期待する」が59・4%もあって、一瞬、あれっ? と思った。世論は増税を支持しているのか、と。
 けれどもそうではなかった。国会議員定数と国家公務員給与の削減が実現しない場合には「増税すべきでない」との回答が79・5%にも達しているのである。

 首相が岡田氏に期待している「ぶれないで、逃げないで結論を出してくれる政治家だ」が実現する事を心から祈る。でも常に「ぶれて、逃げてばかりいる」首相が、そう期待するのを本当に信じられるだろうか、との疑念は大きい。首相が逃げないのは、原発を輸出すると言う、信じられない政策からだけである、と私は思っている。

双葉町町長が言う「いまだウソ 恥じるべき」と

2012年01月06日 | 政治問題
 原発事故で全町民が非難した福島県双葉町の町長が東京新聞に寄せた手記が紹介されている(1月6日東京新聞朝刊)。町長の井戸川克隆氏は次のように書き始めている。

 突然に地球が怒った。危うい原発を壊した。安全だと私たちにうそをついてきた「原子力ムラ」の正体を、世に知らしめることになった。それを地球が私たちに注意をしたんだと思う。

 そして町長は収束宣言を明確に否定している。

 恥ずかしいのは、いまだにうそをついている人たち。事故は終わっていません。

 「衣食足って礼節を知る」と言うことわざは誰もが知っている。しかし衣食足っているのに礼節を知らない恥知らずの人間がわんさと居る。なぜなのだろうか。
 それは多分、衣食の質が変わってしまったからだろう。ことわざの「衣食」とは生きて行く上での必須の衣食を指しているはずである。ところが、現在の衣食は贅沢この上ない物になってしまっている。パリでは普通の女性は持っていない、持とうともしない、もっと言えば、持ちたくもないようなパッグなどを買い漁っているのは日本女性だと言う。
 テレビでは、次から次へと贅沢な食べ物が紹介されている。紹介するだけではなく、例えば20万円もするテスーキが出されて、実際にリボーターがそれを食べているのである。何と罰当たりな、と私は思ってしまう。
 接待の料理屋では客が箸も付けずに料理を残したりして、それを次の客に出していたのがばれて、左前になった有名な料理屋がある。世界中で、飢えて死ぬ人が後を絶たないと言うのに、何たる贅沢三昧かと、呆れ果ててしまう。

 こうした衣食はいくらあっても、またいくら上を行っても飽き足りる事は無い。だから、礼節を知る事は一生かかっても出来ないだろう。
 同じ朝刊に、71歳の男性の投書が載っている。

 (野田首相は)大学を出て、すぐに松下政経熟に入り政経熟の金で暮らし、そして間を置かずして政治家に、という経歴を見てもそこには庶民の生活、自分で働き、生活したという経験が見られません。そういう政治家が真に国民を思う政治を行うことなど到底期待できないことがこの数ヶ月間でよく分かりました。

 衣食足る事がどのような事か分からない首相が国民のための政治を行えるはずが無い。失礼な見方だが、私は野田氏のあの顔が最初から嫌いだった。何となく胡散臭いのである。真面目そうに見えて、何にも知らない顔のように見えた。美醜ではなく、顔にはその人の性格がそのまま現れてしまう。そう言う私も決して良い顔はしていないだろう。でも道行く幼児はニコニコと笑ってくれる。世間に恥じる事の無い生き方をしなければ、と常に思っている。

どうにもおかしな話ばかり

2011年12月23日 | 政治問題
 新聞を読んでもテレビを見ても、最近はおかしな事ばかりである。
 八ッ場ダムにしても、途中でやめるよりも、作った方が安上がりに済む、と言うのが建設の理由だと言うのだから呆れて物が言えない。しかも周辺の都県の知事達がそう言っている。何を血迷っているのだろうか。
 東京電力は電気料金の値上げを言い出している。ただでさえ世界一高い電気料金だと言われているのに、何の反省も無い。結局は発電も送電も独占なので、そこに群がるハイエナどもが寄ってたかって料金の値上げに動くのである。
 東京電力と関西電力の筆頭株主である東京と大阪に頑張ってもらいたい。
 福島の原発事故が、様々なこれからの技術開発を使って、やっと40年後には終息するだろう、との予測なのに、それを「終結宣言」にしてしまう政府。

 新聞は「民意」でこうした馬鹿げた事どもを覆そうと言うのだが、新聞が「民意」を育てて来たとはとても思えない。権力寄りか、大企業寄りか、そのいずれかの立場に立ち続けて来ていて、今更「民意」も何も無いと思う。
 ただ、私は東京新聞は「民意」を大事にしている新聞だと思っている。東京の地方紙だ、との自覚があるからだろうと思っている。

 我々の周囲では、みんな、「民意」が力だと思っている。でも、どうやって我々の民意が生かせるのかが分からない。「民意」に沿う政治をしてくれると期待した民主党には完全に裏切られている。
 私は勝手に、政党など、百害あって一利無し、と考えているが、現在の政治体制は政党に所属していないと不利なようになっている。それを変えるのが現在の有利な政治体制の下で権力を握っている議員達なのだから、どうにもならない。
 そして「民意=衆愚」だと考えている人々が居る。そしてそうした一部の人々が様々な部門で権力を握っている。
 今生まれた赤子が、不惑の歳になるまで経たないと、原発事故の終息が期待出来ないのと同じように、「民意」による政治もまたそれくらいの年月を要しないと実現出来ないのだろうか。原発事故の終息はあくまでも「期待」に過ぎないのと同じように、「民意」による政治もまた「期待」に過ぎないのだろうか。
 まあ、今第一線で活躍している人々はほとんどがその頃には死んでしまっているだろうから、あまり考えても意味が無いのかも知れない。

次の総選挙が楽しみだ

2011年12月17日 | 政治問題
 今、私の周囲に、次の総選挙で民主党に入れようなどと考えている人は一人も居ない。かと言って、自民党でも公明党でもない。民主党はこの2党以上でもなければ、以下でもない。つまり、同じ穴のむじなである。
 野党の時には何でも自由に言える。言った事に何の責任も取らされない。責任を取る立場ではないから、当然と言えば当然だ。その癖が政権を取っても残っている。ずっと責任を取らずに来たから、それが習い性になってしまっている。
 責任を取ると言う事がどのような事であるのかが分からない。だから言う事とやる事が一致しない。それで平気な顔をしていられる。何とも厚顔無恥な連中である。

 まさかそんな連中だとは思いもしないから、例えば、菅氏の厚生大臣としての厚生省の役人に隠していた事を出させたのを功績の一つだと勘違いしてしまった。どうもあれには裏があるようだ。
 蓮舫氏の事業仕分けにも拍手喝采したが、すべて尻つぼみである。
 たとえ一人か二人優秀な人材が居たとしても、残りがすべてパーだからどうにもならない。
 今度の野田総理の福島の終息宣言は一体何なのだ。人を馬鹿にするのもほどがある。まあ、前々から口先だけの男だな、とは思っていた。でもそんな男が民主党から選ばれたのだ。民主党がいい加減な党である事は歴然としている。

 大阪の動きをファシズムだと非難する人が居る。そうだろうか。日本の政治家は勉強をしていない人が圧倒的に多いから、民主的に、などと考えていたら、どうにもならなくなる。優れた人がリーダーシップを取ってでしか、日本の政治は立ち行かない。
 石原都知事にとやかく言う人も多いが、東京からあのトラックの黒煙を無くした功績は大きい。やる事をやる人は、言う事も言う。そしてその実績を見れば良いのである。

 終息など全くしていなのに、終息宣言を出す総理など、詐欺師の風上にも置けない。その詐欺師は、日本国内で廃絶しようとの動きが大勢を占めている原発を輸出しようとしている。何とも恥ずかしい事である。総理一人恥ずかしい立場に立たされるだけではない。日本国民が等しく同じ立場に立たされるのである。責任感の無い人間は何でも出来るのである。

日本の原子力発電所建設の経緯

2011年12月15日 | 政治問題
 今、東京新聞に日本の原子力発電所建設の発端からの経緯が連載されている。第一面トップの扱いである。そこには赤裸々な情況が書かれている。安全など、初めっから考えてなどいなかった事が明らかになっている。「原子力発電ありき」ですべてが動いて行った。第一回の11日には、凄い事が書かれている。

 1952年、伏見康治と言う一人の物理学者の「日本でも原子力研究を準備しよう」との提言から事は始まった。日本学術会議副会長の茅誠司との共同作戦で政府への申し入れの案が練られた。
 当然に反対する学者も居て、原子力発電が一夜にして原爆に化する、との学者の意見に賛同者が相次ぎ、提案は撤回に追い込まれた。そして伏見は後年こう言った。「あれは科学的態度でない。情緒だ」
 我々が考えたって、どちらが科学的でないかは一目瞭然である。

 そうした科学者の動きを尻目に動いたのが政界で、主導者は中曽根康弘である。そして1954年、原子炉築造費2億3500万円の予算が計上された。科学者達は寝耳に水、と反対を訴えたが、予算案は成立してしまった。
 本人は後になって否定しているが、中曽根はこう言ったと伝えられている。
 「あんたたち学者が昼寝をしているから、札束でほっぺたをひっぱたいてやるんだ」

 そして今なお、札束でほっぺたをひっぱたく事が堂々とやられている。そしてカネには全く抵抗力の無い連中が、見境も無く札束でほっぺたをひっぱたかれて喜んでいる。
 日本は独立を回復した時から既に腐っていたのだと分かる。それは腐った人間が、指導する立場に居たからだ。自分が腐っているから、何が腐っているのかが分からない。同質なんだから当然である。
 そうした人間がずっと日本の政治を主導して来たのである。この後の回で、日本の政治家がいかに「ど素人」であるかが語られている。

日本国の金遣いはでたらめだ

2011年10月01日 | 政治問題
 9月30日の東京新聞の一面に「天下り法人に半額超支出」の大きな見出しと、その左に「苦渋の中小企業・復興増税『やむなし』」が並んでいた。
 ここでの天下り法人と言うのは、「経済産業省や文部科学省など官僚のOBが役員を務める独立行政法人や公益法人、民間企業など」を指している。そこに「原子力の研究や立地対策を目的とする政府のエネルギー対策特別会計の電源観初促進勘定の半分以上」が支出されていたのである。08年度は9団体に1700億円だと言う。ロト6の一等の1億円が1700回も当たらないと得られない巨額である。
 その原資は電気料金に一世帯当たり月額約110円を上乗せして得ていた。つまり、我々がそうしたOBを飼っている訳だ。我々は誰一人として、そんなペットにも劣る動物を飼った覚えは無い。

 左隣にある記事の見出しは、「苦渋の中小企業」とあるが、それは「探訪・都の企業」と題する連載記事だからであって、簡単に「苦情の庶民・復興増税『やむなし』」になる。
 我々庶民の正義感と言うか、常識と言うか、それを見事に悪用した悪辣極まるやり方である。
 そして原発開発に対して、電力会社と原発を誘致したい自治体、そこに群がるハイエナ連中のやらせが次々に発覚している。

 すべてのカネが我々庶民が額に汗水垂らして稼いだカネである。先の月額110円は1世帯当たりにとっては小さな金額ではある。しかしこれは電気料金に上乗せされていた金額だけであって、そのほかにも、様々な分野で納得の行かない金額が上乗せされているはずである。それは一世帯当たりに直したら一体どれほどの金額になる事やら。それが日本全体になるのだから、巨額になるに決まっている。その巨額のほんの一部が上記の1700億円なのだから、推して知るべし。

 本当に我々は重大な転換期に立っていると思う。このままでは日本は絶対に潰れる。よく考えもせずに適当な人物を選挙で選んでいたツケが回って来たのである。ただ、選挙では誰かを選ばなければならない。ある一人だけが突出しても、定員に足りるまで、有象無象(たくさん集まった価値の無い人。世にたくさんあるくだらない物)が選出されてしまうのだろうから、そうとばかりも言えないのだが、結局、我々一人一人が日本を操るキーを握っている事だけは確かだろう。
 さて、そのキーをどこに差し込んだらいいのやら、さっぱり分からない。
 天下りOBの名前やそこにふんだんにカネをばらまいている連中、そしてあらゆるハイエナ連中の名前を知る事がその手始めだと思うのだが。

古賀氏の退職で、巨大な不毛の存在が明らかになった

2011年09月30日 | 政治問題
 電力会社と大企業、官僚が癒着して利益を貪る巨大組織が、獅子身中の虫と見られた古賀氏が辞職に追い込まれた。周囲は時間の問題だと思っていた。本来なら、古賀氏の立場を守るべき政治家達、例えば与謝野氏や枝野氏、蓮舫氏などがそっぽを向いた。蓮舫氏などは、古賀氏の本さえ読んでいないとはっきりと言った。皆さん、口では色々とおっしゃっているが、実際にはあの程度なのだろう。

 電力会社は独占企業である。日本は世界一高い電気料金を支払わされていると聞いた。その料金は国民が払う。もちろん大企業も払うが、電気料金は原価として国民の支払う代価の中に含まれる。従って、電気料金はすべて国民が支払う結果となる。
 寡占に近い大企業が国民の幸せを願って、幸福をもたらす物ばかりを作っているのなら、話は別だが、結構、無駄でどうしようもない物も作って国民に売り付けている。そして我々国民は、それで幸せになれるのだと洗脳されているから、文句を言わない。
 何の事は無い。我々の払う電気料金はすべて電力会社に入る事になる。そしてそれが独占企業なのである。そうした図式を抑えるのが官僚の役目のはずだが、その官僚が甘い汁を吸いたいと黙認するだけではなく、奨励さえしている。

 今度の福島の原発事故で、そうした図式がすっかりあからさまになってしまった。国民は全員、それを知っている。にも拘らず、相変わらず糊塗しようと彼等は躍起になっている。それが古賀氏を退職に追い込むと言う典型的な形になって現れている。
 電力会社・大企業・官僚が癒着している。「癒着」とは「必要以上に何かの組織にべったり依存する」(新明解国語辞典)だが、漢語だから、感覚的に良く分かる、とは言い切れない。我々には、と言ってもすべての人々にではないだろうが、もっと直接に訴え掛けて来る言葉がある。「つるむ」である。「電力会社・大企業・官僚がつるんでいる」。「つるむ」とは「連れ立って行動する」の意味でも使われるが、元々は「動物が交尾する」の意味である。岩波国語辞典にはその意味しか載っていない。

 「電力会社・大企業・官僚の癒着」は「交尾」なのである。そんな事を堂々と天下にさらして良いものか。当人達は厚顔無恥だから、恥ずかしいとは思わない。恥ずかしさよりも金儲けの方が遥かに抵抗しがたい事なのである。だからその金儲けがいかに莫大なものかがはっきりと分かってしまうのである。

 動物の交尾がなぜ人間が連れ立って行動する、の意味になるのだろうか。先の明解国語辞典は、それは、雅語動詞「つるぶ」の転用、だと言う。しかし、岩波古語辞典には「つるぶ=交尾する。交説する。〈つるみ〉とも」としか無い。「つるみ」には「つるびに同じ」としか無い。
 新選古語辞典(小学館)は少し違う。
・つるむ=「つるぶ」とも。1・つれだつ。「あとからつるんで来申すわ」。2・交尾する。
・つるぶ=交尾する。「つるむ」とも。
 「つるむ」では「連れ立つ」の方が原初の意味になっている。これは「つるぶ=つるむ」ではない事を示している。元々は「つるぶ」だった。それは「交尾する」である。そして「連れ立つ」姿の実態が「つるぶ」にそっくりな、言い替えれば、みっともない連れ立ち方を「つるぶ」で表すようになった。でもそれではあんまりだ、と言い方を少し変えて「つるむ」の言い方になった、と考えるのが筋が通る。
 新明解国語辞典は三省堂の発行である。そこに、「つるむ」は「つるぶ」の転用だと書かれている。にも拘らず、同じ三省堂発行の例解古語辞典には「つるぶ」も「つるむ」も無いのである。そう言えば例解古語辞典には他の二冊の古語辞典にはある「兄=え」も無かった。
 話が発展してしまっているが、古語の「え=兄」は「弟から見た兄。妹から見た姉」の意味なので、とても重要な言葉なのである。従って、「弟=おと」は「兄に対する弟」「姉に対する妹」になる。万葉集関係のある本では、「兄と言えば弟」だと言って、「兄」の表記で「(男性の)弟」を表していると説明しているが、「兄」の表記で「妹」を表している場合もある。多分、その執筆者は「兄=男性」だと思い込んでいたのだろうが、例解古語辞典だけしか持っていなければ、間違いだと気付く事は恐らくは無いだろう。辞書の責任は重大なのである。