千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

おだやかな秋

2011年10月15日 | 日記


     
 秋を表題にすることが多くなった。

 おだやかな秋。

 刈り入れの済んだ田に、おだやかな秋の陽がふりそそぐ。
 山を見やれば、紅葉も少しずつ始まっている。
 おだやかな秋そのもの。

 妹が運転するワーゲン。
 田んぼの合間を走る。
 西瓜畑があり、北里大学があり、アパート群があり、向こうの山の手前には、長く伸びた駅舎が迫ってくる。
 上越新幹線浦佐駅。

 ブログで読んだので概要は分かったけど、ボランティアで支えている店、夏はクーラーがないので休館などと、都会では絶対にあり得ない。人は来ない。この種の店はありすぎて、人が来ないでは経営が成り立たない。東京近郊に住処を持ち、東京でしか友人たちと会う場を持てない妹たちの弁。

 煩雑な東京を離れて、地方で暮らす人たちもいる。

 今春のトレッキングで山仲間になった女性も、東京を離れて湯沢のマンション暮らし。車を持たず、夫婦で歩く。おかげで山や野に親しむようになったと聞く。

 都会には都会の良さがあることも知っている。
 利便性に長けていることはこの上もない。
 だが、
ビル群を見上げたら、目まいがして多分卒倒するだろう。
 もちろん私のことだ。

 毘沙門堂の近くに車を駐車。
 銀行裏の目立たない場所に、蔵づくりのその店はある。
 入り口のドアを開けたら、見覚えのある背中がそこにあった。
 友人だった。
 前々日はカウンターの中、この日は逆の立場か。
 オーナーがいた。
 先ず、オーナーに妹たちを紹介。それから友人を。
 蔵造り、太い柱、白壁。趣きがあっていい店だ。

 大家さんが、蔵を居酒屋風に造り替えて、人を招いた跡をそのまま使っているという。テーブルも椅子も、何もかも。それにしても粋な趣味人だったんだろう。

 店の名前は伏せるが、
お茶を飲みながら のんびり おしゃべりしたり 絵を鑑賞したり 情報交換をする場所です とある。

 ギャラリー作品展
 日本語クラス
 英語レッスン
 着物を着よう会  などなど。
 
 オーナーはすぐ帰って、友人がカウンターの中に入った。
 ボランティアは何人もいるが、都合の悪い日だってある。
 私はこの種の仕事は苦手。
 この店も、友人がいるから来る。

 すぐ下の妹は、今までのギャラリー展示作品を載せた写真集に目を通し、友人との会話はその下の妹。陽気でおしゃべり好きは友人と妹、よく似ている。

 ここで3人展はいかがですか。
 いいですね。
 予約しておきましょうか。
 待ってよ、待って。
 私、自信がない。
 下手くそだし、画材いっさい物置だ。絵の会にも出席できなくなった旨を報告済みだ。
 前に描いた絵がいっぱいあるじゃない。
 冗談はやめてよ。
 あるにはあるけど、ろくな絵じゃないんだから・・・

 話はつきなかったが、帰りの車中で、展示するとしてもスペースが足りない、作品が大きすぎて店の中に収まりきれない、と妹たちは言っていた。
 3人展・・・
 いつの日か実現するとしたら、いつもの友の店のギャラリーだろう。

 で、Eメールで送ってきた妹たちの作品の一部。

 陶芸歴10年は過ぎているすぐ下の妹の作品。
 賞のない公募展に出展。かなり大きな器らしい。









 書道師範免状を持つ妹の書と、最近やりだした表装。
 これも書道展に出展した作品。








 母の退院話は、引っ込んだり、また浮上して引っ込んで、来週火曜日が退院日と本決まり。
 あと1ヶ月、あるいは1週間以内ということもあり得ます。
 そう告げられてから1ヶ月が経過している。
 寿命だから本当のところは分からないのだろう。
 担当医は病室に顔を出さなくなった。
 看護士長が伝えてくる。

 妹たちが病室にいたとき、
老人ホームの施設長がやって来た。
 母の手をさすり、足を揉み、大きな声で語りかける。
 母が反応した。
 大きな反応があった。
 きくえさん、帰れるよ。みんなが待っているよ。
 懸命にマッサージを施す姿に、私たち姉妹は涙した。
 終の棲家・・・
 そう思っていただきたいのです。
 私たちは最後までおあずかりさせていただきます。

 母の最期は、老人ホームか診療所なのか分からない。
 だが、こうして生きている。

 おだやかな秋、
今日は雨模様だったが、時々止み寒さもない。朝も歩き、診療所にも歩いて行った。
 診療所で、昨夜の風は凄かったですね、と言われて驚いた。全然知らないで眠っていたようだ。

 雨上がりの山が、ずいぶん紅く染まっていた。



いつのまにか 秋

2011年10月12日 | 日記



いつのまにか 秋
いつのまにか 秋になってしまった

ぬぐっても ぬぐいきれなくて
呼吸することさえ 苦しい夏もあったのに

秋の風が吹き
秋色の筆で 目の前を駆けていったのが
誰なのか
探りだすこともしないうちに
もう 秋
いつのまにか 秋

空気は軽やかで
風はさわやかで
弛緩しきった心を持ち上げてくれる

いつのまにか 秋
いつのまにか 秋がやってきた

昨日出会った あったかなぬくもりを
忘れずに そっと抱きしめていようか

やがて来る冬を
しっかりと生きてゆくために

                             (azumi)

 ここ何日か快晴。
 空気は乾き、さわやかな秋を満喫。

 夫と浦佐に出かけた。
 友人がボランティアで店番をしている店。
 蔵を改造した店である。
 暑い夏は休店していた。
 母の入院以来、この友人とも久しぶりだ。
 イスタンブール帰りの知人も来ていた。
 パンフレットを拡げ、トルコの古代都市カッパドキアの話で盛り上がっていた。

 カウンターの中にいる友人の口紅がいい感じ。
 褒めたら、100円ショップで買ったの、だって。
 この頃やめていた口紅、私もその店で買おうかな。

 女たちが賑やかな店。
 後ろのテーブルでは、何人かで勉強会だったし、一人ポツンと坐っていた夫には、コーヒーを運んだ女性が話し相手になってくれた。
 ご主人とお話しててもいいですか。
 どうぞ、どうぞ。

 店に展示中の陶芸作家がやって来た。
 陶芸は3年くらいのキャリアだが、画家らしい。ちひろのようなやさしい女の子の絵もあった。
 壁面や棚の上に展示できるようになっている。

 しばらくぶりに世の中に飛び出したような私は、天井近くに張られた絵の名前を思い出せないでいた。
 日本の言葉に似ているあれ・・・
 さ、さくらだ・・・
 サクラダ・ファミリア?

 それは、サグラダ・ファミリア、聖家族教会、アントニー・ガウディの未完成作品です。
 陶芸作家が言った。さすが。井の中の蛙の私とは違う。

 和服を着る会の主催者もいた。
 写真をやっている人もいる。
 いろんな人たちがやってくる店。
 国際大学あり、北里大学、北里学院ありの浦佐周辺。
 人の確かな息づかいを感じる店ではある。

 イスタンブールに出かけた知人は旅の疲れも見せず、私の背骨から首を揉みほぐしてくれた。
 こちこちに凝っていた首筋がすうっと楽になった。

 連休は孫たちが母の病室を覗き、明日は妹たちがやって来る。


 秋の野原 ノコンギク(キク科) チカラシバ(イネ科)



 浦佐毘沙門堂













童話 マユミ

2011年10月09日 | 日記


     
 あーちゃんは石垣に腰かけて 女の子たちとはしゃいでいます。
 薬師様の境内では ちょっと大きな男の子たちが ぺちに夢中です。
 いつものお兄さんが いつもの時間にやって来ます。
 布の手提げ袋を持って ほおが真っ赤です。
 村の定時制に通っているのです。
「やあ こんにちは」
 お兄さんは 笑顔で声をかけてくれます。
 あーちゃんたちも 手を振ります。

 砂利道の向こう側は役場です。
 大きな火の見櫓があって あーちゃんの大好きな所でした。
 でもお父さんに叱られたので もう行けません。

 あーちゃんには 2人の妹がいて お母さんは大きなお腹をしています。
 いつも 一緒に遊ぶように言われているのですが すぐに飽きて 遊びに出てしまうのです。

 お母さんは 東京にいたことがあります。従軍看護婦で 中国にも渡っています。傷の手当てはお得意のものです。
 小さい頃のあーちゃんは いい言葉で話し 人見知りをしない子供でした。
 お母さんと出かける 役場や農協や郵便局のカウンターがお気に入りです。
 足を縁に乗せて 落ちないように両手でカウンターに踏ん張って おじさんやお姉さんたちとお話をするのです。
 なのに 農協の隣の消防小屋は 恐くて近づけません。 扉の下に覘いているのが 赤いおばけに見えたからです。
  (もうちょっと小さかった頃は アリも恐かったのです)

 恐がりのあーちゃんでしたが 1人で役場に入って行くようになりました。
 友達と 薬師様で遊んだ後のことです。 標準語で話すあーちゃんを 大人の人たちはにこにこと相手をしてくれて あーちゃんは大得意になったのです。
 カウンター越しに あーちゃんのおしゃべりを 離れた所で聞いているだけのお父さんでしたが  
毎日のようにやって来るあーちゃんに
みんなの仕事のじゃまになるから もう来てはいけない と言ったのでした。
 お父さんに叱られた意味など 分からないあーちゃんでした。

 お母さんのお腹から 女の子が生まれて
あーちゃんは 一番上のお姉ちゃんになりました。
「また 女の子」
 お母さんがため息をつきます。
 あーちゃんは 女の子の自分が悲しくなりました。
 そんなあーちゃんに
お父さんが やさしく声をかけてくれました。
 双子の赤ちゃんが生まれるかも知れなかったこと
  女の子だと思ったこと
  名前を二つ選んでいたこと
 妹の名前はまゆみにしたこと    
  2人共 手のひらに乗るような赤ん坊だったこと
  まゆみはすぐに死んでしまったこと
 あーちゃんは まゆみの分までがんばろうね と言われたのでした。

 あーちゃんは 小学生になりました。
 小さかった頃と違って すっかりおとなしい子供になってしまいました。
 2年生の担任の先生は あの手提げ袋のお兄さんでした。
 内弁慶ではにかみやのあーちゃんだったけど 3人の妹たちも次々に小学生になって なぜか先生方に可愛がられてゆくのでした。
 お父さん お母さん
文芸に秀で 物腰のやわらかな お父さんの人望が厚かったからなのでしょう。
 それと 手の器用なお母さん あり合わせの布で 子供服を作り 可愛いアップリッケまで縫い込んでくれたのですから 先生方が目を見張ったのです。

 ずうっとずうっと後のことです。
 秋が深くなった山で お父さんに教えてもらったのです。
 双子のようにも見える 桃色の木の実 可愛らしい実を見つけたのです。
 割れて 赤い種子が顔をだしているのもありました。
 「マユミ」 でした。

 それからは まゆみや「マユミ」のことを忘れられなくなったのです。
 秋が深くなると「マユミ」を思い出します。



 ※ぺち(方言) めんこ  名刺大を指す。 丸いものを「丸っぺち」、
 硬貨位の小さいものを「爪っぺち」と言った。昔は、男の子、女の子一緒によく遊んだ。


 マユミ(ニシキギ科) 2010・10・27
 清津峡にて。









秋の空が

2011年10月06日 | 日記

       
秋の空が
頼りなげです
まだ
10月に入ったばかりというのに
山に
初雪が降りました

心も
秋の空のように
頼りないのです

日々をただ
時間とともに
気ぜわしく
身体を動かしています

飛び出しかけた心は
塒に修まって
一人語りを続けています

心はいつも
あなたに語りかけ
便りをしたためているのに

頼りないのです
忍び込むすきも与えません

秋の空が
頼りなげです

山に
初雪が降りたあさに

凍りかけて
羽ばたくことも忘れた
私がいます
                          (azumi)

 また風邪?
 身内に笑われそうだ。
 とにかく風邪だ。
 診療所に通っているご褒美に、風邪菌をもらった。
 ありがたくないご褒美である。
 熱はないが、鼻水、クシャミ、それが酷いのだ。

 午後になると気を取り直す。
 マスクは離さないまま、母に語りかけ、離れて見守る。

 母の瞼が腫れ上がっていたのが気にかかっていたが、昨日治まった。
 電解質の塩分調整をしていたのが原因らしかった。
 退院の話は延びている。再度、血液検査をしたので結果次第らしい。

 病室にいると、午後3時前後になると気温が低下する。
 電気毛布を持ってくるように指示された。
 病室の暖房が入るのはまだ先のことだ。
 それにしても寒い。
 秋をまたいで、初冬の感あり。

 母のおかげで、原田康子の「風の砦」は下巻に入った。読み進める間に記憶も甦ってくる。
 北海道の北の果て、荒涼とした原野、凍てつくオホーツク海、歴史ロマンは心を駆り立ててくれるにふさわしい物語だ。

 山本周五郎から辿って、藤沢周平に行き着くまでの、原田康子は峠の一つだったような気がしている。構想が上手い。引き寄せられる。

 明日か、明後日、孫たちが来る。
 風邪、明日は治っているはず。


 昨日の晴れ間、魚野川土手の桜並木を少し歩く。



 桜並木の下に咲いていたミゾソバ。







ひとりごと

2011年10月03日 | 日記


     
さみしい
はかない
ぎゅっと 握れば 粉々になってしまうような

いろは 何
うすむらさきの 秋のいろ

さみしく
はかなく

ぎゅっと 抱きしめれば
いろ濃い むらさきに変わる

お前が 自分をとりもどしたから

秋の風は 見放さなかったのだよ
                       (azumi)

 季節のうつろいを感じる時も与えないまま、
またたくまに秋になってしまった。
 野花は戸惑いがちに、花を開いてはしぼむ。
 日の出前は花びらを閉じている小さな白い花。
 昨日の午前中、用足しのついでに1時間の散歩。薄日が射して、ほのあたたかな秋の陽気。
 川沿いを歩いていたら白い花を見つけた。土手にも、畦道にも、草原にも、至るところで咲いていた。



 ゲンノショウコ(フウロソウ科)に似ているが違う。

 シソ科の野草だと思うが、薄紫の花がそこかしこにいっぱい。白い花、薄紫の小さな花が可憐。




 凛とした風情で、野草化したキクイモも土手でしっかりと咲いている。



 午後一番、診療所まで歩いた。病室に入ったとたん、大粒の雨。急激な冷え込み。看護士と会話をし、ケアマネージャーがやって来たりで、文庫本の続きがはかどる訳がない。
 母の瞼が腫れ上がって気になるが、こんなとき医師はいない。ケアマネージャーも、ホームでは度々あった症状と云う。

 土日は接客があるので遠慮している友の店に顔を出してみようか。
 雨ならやめる。
 昼下がり、何人かの仲間たちと出会えるひととき。
 励ましたり、励まされたり、今の私は励まされているばかりだ。
 他人を中傷したりしない、このつながりを、もう、長いこと大切にしてきた。

 今朝の一品。

 間引き大根葉と油揚げの炒め物。



 追記。

 歩いていたら、野辺に前述の白い花が咲いていた。
 枝を折って店に持って行った。
 友も分からない。
 一人来て、
もう一人、クラフト工房をやっている女性が来た。
 あ、ゲンノショウコ。ピンクもあるね。草刈りをした跡に生える花は短かくて地面を這うように咲くけど、山なら背が高くなる。
 さらりと教えてくれた。
 昨日は山で、イラクサやミズ(ミズナ)のムカゴを山ほど採ったそうだ。これからはキノコが気になる、とも言っていた。
 いい人に会った。
 山のことは何でも知っているみたい。

 ミズのムカゴ、採りに出かけたかった。